2019年4月27日、「平成最後・令和最初の」を使うのが恥ずかしい。 | 滋賀・高島の機屋・サダ杉岡のブログ

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滋賀の高島という地域で機屋をしている今年53歳の男のブログです。
仕事のこと・家族のこと・日々の日常で感じたことなどを綴っております。
大したことは書いておりませんが、それでもよろしければご覧ください。

お休みに入り、世間がゴールデンウィークの賑わいを見せると同時に・・


今回の連休に際してはちょっと雰囲気が違うなあ、と感じていて。


やっぱり年号が変わるのは特別な感覚がしています。


子どもたちも何となくはじめてのことに戸惑っていたり、何かわからないけど喜んでいたりするのを見ると、聞かれなくても親としては昭和から平成に変わったときのことを教えざるを得ないし。


特に


テレビで、平成の時代内に起きたことを特集などをしていると、とっても面白い。


上の子などのリアクション、下の子の表情。


ジュリアナ東京や、ヤマンバギャルを見て


「なんやあれは?とうちゃん?」


とか


合同結婚式の場面では


「どういうことや?入った宗教で結婚相手が決まるんか?」


とか


そんな他愛もないことだけれど、聞かれること、伝えられること、ともにそういう相手がいることに楽しさと言うか、世代の代わる瞬間を感じると言うか。


というわけで


平成という年号を使えるのもあとわずかで、次の年号もすぐに始まるのですけれど


その瞬間に際しては、何となく遠出するよりは、家族でしんとしておこうかなというような気がしています。


そんな折


ウチのヨメがいうには


『「令和最初の」を使うのが恥ずかしい』


とか


『「平成最後の」とか恥ずかしい』


というような意味合いの発言です。


これは、何となくわたしはわかる気もしていて、会社の伝票や書類などで年号を使うとき以外は、わざわざ「令和」「平成」を毛筆で書いたりすることも気分的になく、平成最後に何かしなくては!とか、切符などをコレクションしなくては!という気もないわけです。


(下の子が、年号が発表された瞬間に貼り出した「令和」の鉛筆がきの書などは可愛らしくてよかったですけど。)







確かに


年号が変わることは不思議な、特別な感じがあるのも事実なのですが・・。


その国全体のざわめきや、心のざわめきを抑えつつ


とにかく、普通にいつも通りに過ごせたら良いなと思っています。


天皇陛下や皇太子殿下、あるいは皇后さまや皇太子妃殿下、または侍従の方々や宮内庁関連の人々などは交代に際して、わたしなどが想像するより、おそらく、とんでもなく大変な手順を踏まれているわけで。


それを思えば、本当に大変なことで尊敬をするわけですが。


地方にすむ、しもじものわたくしなどからみれば、普通にざわめかず過ごすのが、せめてのお手伝いであるような気がします。


ちなみに


今回は、会社の事務コンなどの端末の年号更新プログラムの入れ換えなどでずいぶん費用も手間も時間もかかりました。


というわけで


わたしの回りでは今後はややこしさなどの面から、会社の書類などはこれから西暦表示などが増えるかとは思いますが、お許しください。


家族で新しい時代をさりげなく迎えつつ、会社においても荒波を乗り切っていきたいと思います。