2019年4月5日、現場・会議の金曜日。 | 滋賀・高島の機屋・サダ杉岡のブログ

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滋賀の高島という地域で機屋をしている今年53歳の男のブログです。
仕事のこと・家族のこと・日々の日常で感じたことなどを綴っております。
大したことは書いておりませんが、それでもよろしければご覧ください。

前の日のニュースで、黄砂の飛来を予測されていて。


春と言えば・・


桜前線の予測が花形役者だとすると。花粉、そしてこの黄砂の予測が厄介者の存在のようです。


我が家のある滋賀県の北西部に位置する高島市は、西日本だし、日本海側にも近いので、黄砂の飛来はやっぱり、とても嫌。



少し風が強い日が続いている気がするので、それに関連もしているのでしょうが。


マシであれば良いな、と思います。


そんなことを思う金曜日。


朝食。玄米、お煮しめ、お味噌汁。


鮮やかなニンジン。


無印良品さんのオープンでいただいたニンジンですが、この色の鮮やかさ。そして味もよく。


ごちそうさまでした。


今日も朝は、ゴミ出し、段ボール出し、などの段取りをしたあとは・・



エアージェット織機の掃除からスタート。


二時間ほど、エアーガンを握りっぱなしで20台の織機回りなどの掃除をしますが、握力がなくなってくるし、身体の至るところにホコリが入ってくるし、なかなか大変。


しないと、経糸から出るサイジングの糊などを含んだわたが多くなりすぎて、織るのにも支障があるし、緯糸に関連する部分はセンサーも多く、そのまわりの風綿を取らないと、最後まで糸が通らないミスも起きる。


腕の見せ所なのですが、終わる頃にはそこそこ、汗びっしょりになっています。


それでも



終わったら、爽快感はありますね。



社員さんが欠けがちの今週はどうしても、現場が中心で。


ここに会議や、営業での面談やお電話への応対、メールへの返信対応などが入ってくるから、頭を切り替えてやらないと、パニックになります。


まあ


それが仕事、なのですけどね。


掃除のあと、事務所でひとしきり用事をこなして。


それから


機織りをしてくれていた会長と代わって織る仕事に。


会長には、出荷の仕事をしていただきます。


親子でバタバタ忙しい。


親子間の連携やら仲は、良いやら悪いやら。


ただ


他の機屋さんや、商売やさんもそんなものだろう、と思っていますけど。


13時、お昼ごはん。


ごちそうさまでした。


会議がある15時まで、ギリギリにかけて、先日伺った無印良品銀座のレビューをブログで書いて。


生産者として、でしゃばったことになるのも気が引けて、書こうかどうしようか、と逡巡したのですが。


先日お会いした良品計画の方々も範囲を考えたら「上げてもいいですよ」という感じでしたし、オープン日も迎えて一日過ぎましたし、貴重な思いで、記録として残しておこうと考えました。


なかなか無い経験だと感じましたので。


15時からの高島晒での会議は、ちょっと理事長の怒りに触れてしまい(議事録を担当しておるわたしとしては大事なところをサーっと流されるのが怖いので確認をなんどかしたような感覚)、バトル。



前からわたしの発言や態度にはイライラされていたそうで、ああそうですか、という気持ちしかそのときはありませんでしたが。


客観的に考えて、年上の方相手に喧嘩腰はいかんな、と反省。


でも今は、高島晒や高島ちぢみは大変大事な時期なので、話し合いの中身ひとつで今後の方向性が変わっていく気がしています。


今まで・・


前の年と同じものを作って、売れて、というやり方で会社や組織を運営してきたベテランの人たちの考え方や意見はとても大事で尊重すべきことなのです。


しかしながら、今現在の衣料向け織物製造業の全体的な不況の前では、将来のことをまず考えて、相当頭を柔軟にして臨まないと大変なことになる気がしています。


変わったアイテム、特徴ある素材しか動かない現状では、おなじ「高島ちぢみ」を扱う他の機屋さんとおなじことをしていては全くだめで、同じものを織り、おなじパイの仕事を奪い合うようなことを続けてきた機屋さんにとっては、本当に厳しい時代になっていると思います。


ウチの会社の会長は、その辺のことがわかってかわからずか、スパッと社長から身を引き、わたしに代を譲って五年ほど経ちました。


しかしながら


やっぱり、会長として過去とおなじやり方で製造業を続けようとはしますし、産地の仕組みとしてそれはそれでしょうがない部分もあり、わたしとしてはそのやり方を尊重しながらも、今風に合うように、できる範囲でコントロールしてきました。


そのお陰で新しいものも生まれ、新しい得意先様に巡りあったこともありますし、こういうやり方で良かったのかな、と思うときもあります。


ただし


ここまで既存の規格ものが売れない時期が来るとは思いませんでした。


わたしも今年48才ですし、そんなに若くもありません。


常にアンテナを張り、その上で産地を引っ張っていくくらいの自覚がないと、そのうちわたしも頭の古い人間になってしまいます。


そういう面では


わたしの業種では、過去の経験が生きない、そんな時代が来たように思えてなりません。


だからといって、喧嘩していてはダメですね。


反省。


そんなことを思いつつの。



帰り道。


春の夕暮れだ。


会社に寄り、今週は疲れたので、議事録は少なめにすることにして、来週以降にまとめようと思います。


帰宅。


今日は、オリックスバファローズは山岡くんで初勝利を目指します。



そんな家を後にして。


焼き鳥へ。



産地の若手の人たちと。




色々反省しつつ。





「オリックスが勝つまでビールやめとく」と子どもと約束したので、今日は、チューハイ(スタコ)をひたすら飲んでいて、ぐるぐるに酔っぱらう。


今週は疲れていたからかな、風邪薬が悪かったかな、などと思いつつ。


帰り道、気持ちが悪くなり、車を止めてもらい、堤防道路の路上に出たら、バランスを失い、見事にぐるぐると坂を転げ落ちるわたし。


バチが当たったかな。


ドラマだったら大きな石があったりして、頭を撃って死んでしまうようなところですが・・。


わたしは丈夫。生きていた。


坂を上がって、他の方に大笑いされて、なんとか帰宅。


家族に黙ってそっと服などを処理しようかと思ったところ、丁寧に同行者の方々がピンポンをならしていただき、ジ・エンド。


ヨメ「何でそんなに泥だらけなん?」


わたし「気持ち悪くなって、堤防の坂から落ちたから。」


ヨメ「もう、やめてよ~。」


わたし「うん、ごめん。」


などというやり取り。


猛省しつつ


あまり、人様や家族に迷惑をかけることなく、生きていこうと思います。


皆様、すみませんでした。