2019年1月5日、新春賀詞交歓会。 | 滋賀・高島の機屋・サダ杉岡のブログ

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滋賀の高島という地域で機屋をしている今年53歳の男のブログです。
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1月も早くも5日になりました。


11時から、今津サンブリッジホテルさんでおこなわれた、高島市商工会さん主催の「高島市平成31年新春賀詞交歓会」に参加させていただきました。


例年は、仕事始めの日は、大阪か京都か名古屋かにいってしまうので、毎年行われるこの年賀会にはあまり参加できなかったのですが。


今年は土曜日に開催されたし、また喪中でもないし、またまた会長=親父さんからも「行かないので代わりに行け」ということも言われてしまったし、なおかつ行けない理由は無かったので・・。


参加させていただいた次第です。


参加させていただくと、それはそれでいろんなことを感じました。


そんな本日。


朝から、帰省していた姉一家が横浜へ戻りました。


ウチの親父さんが


「姉一家が最寄り駅から乗る在来線の湖西線が何時に京都に着くか」という時刻表を、携帯アプリで確認するのが出来ないので、下の子が教えていました。


しかし


何時に着くか、別に姉に聞かれていたわけではなかったようで・・。


とにかく、駅まで送っていくだけのはずの親父さんの方がそわそわしていて、何か痛々しい。


9時50分には車に乗せ、姉一家を送っていきたい親父さん。


対照的に、荷造りを終えたあと、45分から餅を焼きはじめる、姪っ子と甥っ子。


その比較が面白くて、眺めていました。



無事のお帰りを祈ります。


それからわたしは、冒頭の「年賀会」に参加するため、ヨメと下の子に市内今津まで送ってもらいました。


会場は多くの人です。


聞けば、大体普段200人ほどの参加があるそうです。


今回は、亥年は国政選挙の年ということで、大岡衆院議員も骨折を押して松葉杖で参加され、国レベルの尽力されている話などをされておられましたし、県議会議員の高島市選出の清水議員、海東議員ともに高島市を巡る滋賀県レベルの話も、挨拶の中で多くしていただいた感じがしました。


ミサイル誤射のくだんの一件以来、国や自衛隊関係の方々から配慮されているのか、自衛隊の方々の参加も多く、高島市長のお話もそれにしたがってとても丁寧、というか長めには感じましたが、まあいろんな話題があるのだなあ、と感じました。


市長はいつも、挨拶に立たれる際には、こういう機会を生かし、高島市にまつわるそのときの課題や、処理された市政の報告をされるのですが、わたしはそれはそれで大事なことで、必要なことなのだけど、将来のビジョンを語っていただきたいと思っています。


市政の現状をお伝えされるのは文章でも、あるいは市役所の他のかたでも出来ることなのですが、ビジョンや夢を語れるのは、市長しかできないことのような気がするからです。


しかもお正月。


多少、市民としては、将来のこの街に関しての夢が見たいな、と思う気がしました。


時代が時代だけに、大放談、というわけにはいかないのでしょうが。


そんなことを思いつつ。










年賀のお料理等をいただき、お酒もいただき、よい気分。



ごちそうさまでした。


特に帰るべき用事もなかったので、誘っていただくままに、市内安曇川の「千駒」さんでお好み焼きをいただきにいきました。


まあ、二次会というか。


ホルモン。




焼きそば。




お好み焼き。


16時過ぎ、市会議員さんたちに囲まれて食事をしていて、気づいたら、一人になっていたのでそろそろ帰宅。


とりあえず安曇川駅まで行き、そこから家に電話をして、迎えに来てもらいました。


家では


下の子がずっと任天堂Switchの「カラオケ」をしていたようです。




冬休みも終わり。


三学期の始まりが近づくにつれ、彼らの意気が少し消沈気味に見える昨今ですが、頑張って欲しいものです。


わたしの仕事始めも近づいてきております。


よい年にしないと。