2016年6月19日、日曜日・そういえば父の日。 | 滋賀・高島の機屋・サダ杉岡のブログ

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滋賀の高島という地域で機屋をしている今年53歳の男のブログです。
仕事のこと・家族のこと・日々の日常で感じたことなどを綴っております。
大したことは書いておりませんが、それでもよろしければご覧ください。

本日、日曜日の朝はしとしとと降る雨が印象的な、始まりでした。


朝からは住んでいる区の「まちづくり」会議の予定がありました。


一応、案内をもらったので出席する予定でした。


その前に


朝食を食べました。





コーヒーと食パンのメニューでした。


ごちそうさまでした。


それから雨の降るなか、ヨメと子達に送ってもらって、会議に出かけました。


ヨメと子は、サッカーの芝生を植える作業のため、わたしを送ったあとは、そのままグラウンドへ出向きました。


窓の外では雨が相変わらずしとしとと降る中、会議が行われました。





例年と比べても


びっくりするほど参加者は少なく、そして意見は出ませんでした。


その状況の評価があるとして、それを


しょうがない、とするのか


それとも


「それで良い」としてそれで問題なく済ませて良いのか?


はたまた


是と非があるとして、誰がそれを決めるのか?


全くわからないまま、次の会議があるらしいということで、一時間もかからない中で、会議は終わりました。


雨の中、歩きながら、濡れながら、わたしは家まで帰ります。


これでええんかなぁ?


誰のための会議なのかなぁ?


例えば、ウチの子などがこの地域に将来暮らすとして、その未来のために何かが生まれる会議だったのかなぁ?


などなど、頭に浮かぶ言葉は月並みながらも、自問自答の答えとしては、何とも言い難いものばかり。


区も疲弊されている中で、それでも前年通りの事業をされたい、というのはわかりすぎるほど、よくわかります。


ですが


その目先のことを乗り切るための、いわゆる「付け焼き刃」の状態こそが、疲弊の原因だとわたしは思います。


これを「是」、とする地区が悪いのか、それをそういう風に向かうよう、指示している行政かなにかが悪いのか、わたしにはわかりません。


二人の子どもを育て、そしてよそのまちから嫁いできたヨメを守りながら、自身が生まれた地区で仕事をしつつ、生きていくということは、なかなか簡単なことではない、と思いながら帰宅しました。


帰り着き、小一時間ほどしたらヨメと子が、サッカー練習場の芝生植えの作業からもどってきました。


何の気なしに、テーブルのわたしの席に置かれていた、スーパー低カロリーでお馴染み、ローソンの名作「ふすまパン」(本名・ブランパン)を食べ終えたところで、ヨメに指摘されました。


「それは上の子が食べたかったものなのかも?」





今日はモヤモヤする日、だということがこれで確定しましたので、とりあえずふすまパンを食べ終えました。



そして、そうめんを食べました。




お腹いっぱいになる前、そうめんを切り上げ、子どもたちへのお詫びとして、わたしは雨降る中、ローソンへとクルマを飛ばします。


ブランパン、そして下の子向けのおやつを買いました。



父の日。


そんな日に、テーブルに見慣れないもの。


それを眺めているわたし。


そんな折り、子どもたちが


「食べてみて?」


と言って、それが「罠」だとは知るよしはありませんでした。


また、例えトラップだとしても


するなら、せめて、別の日にしてよ、と思いつつ・・


帰宅と同時にわたしは、しばらく別の部屋にこもり、ひたすらアニメ「メジャー」を鑑賞します。



主人公、ゴローくんが事故で実のお父さんを亡くしたあと、挫折と成長を繰り返し、タイトル通りメジャーリーグのプレイヤーになっていくという展開の漫画が原作のアニメですが、何度見ても心に染みる名作です。



見ている最中に、携帯電話に友だちから写真が送られてきて、「高島ちぢみ」が近くの量販店の店頭で売られている、という情報が入りました。



(送られてきた写真)


わたしや、同業者の方の作った生地が店頭に並んでいるその様は、わたしにとって勇気のでる写真でした。


素晴らしい写真、ありがとうございます。


わたしにとっては、自分の住んでいる地域の運営も大事ですが、何より自身の仕事である「高島ちぢみ」を売り、広め、メジャーにすることがやっぱり、大事なことなのです。


改めて、そんなことに気づいた日曜日の夕方でした。



夕食は、子どもたちが大好きな、「手巻き寿司」でした。





そして


父の日プレゼントとして、キリンの黒ビール「スタウト」がテーブルにおかれていました。


今度は、引っかけ問題ではないのね?と慎重に聞き、判断し、美味しく食事とともにいただきました。


ごちそうさまでした。


食べながら、子どもたちに


「手巻き寿司のご飯が入っている器は、とうちゃんが一人暮らししていたときに買ったもんなんやで。どういう思い出があるかわかる?」


と聞いたら、二人とも


当然に「わからん。」


と答えました。


しばらくクイズのやり取りをしたあと


正解として


「一人暮らししていたときに、日曜日の夕方、ひとり寂しくスーパーに行って、カレーを三合のご飯で食べるために買ったもんやで。」


ということをわたしが告げたときに、上の子のリアクションがまた、刺さりました。


上の子「なんや、もっとロマンチックな、おはなしかとおもった。」


ご飯三合は、どう考えてもロマンに溢れない話です。


それに的確すぎるツッコミを入れられるくらいに、知らない間に、彼らは大きくなっているようです。


わたしの想定や意図などが、及ばないところ、全く関係ないところまで、君たちは大きくなれば良い、そして色んなことを、君たちが変えていけば良い。


わたしがどこまで見守ることが出来るかのは、これからのわたしの人生のお楽しみ、ということなのかもしれません。


それを楽しみにしつつ・・


明日からも、わたしはわたしの出来ることを、コツコツとやっていきたいとおもいます。


頑張ります。