朝からは住んでいる区の「まちづくり」会議の予定がありました。
一応、案内をもらったので出席する予定でした。
その前に
朝食を食べました。

コーヒーと食パンのメニューでした。
ごちそうさまでした。
それから雨の降るなか、ヨメと子達に送ってもらって、会議に出かけました。
ヨメと子は、サッカーの芝生を植える作業のため、わたしを送ったあとは、そのままグラウンドへ出向きました。
窓の外では雨が相変わらずしとしとと降る中、会議が行われました。

例年と比べても
びっくりするほど参加者は少なく、そして意見は出ませんでした。
その状況の評価があるとして、それを
しょうがない、とするのか
それとも
「それで良い」としてそれで問題なく済ませて良いのか?
はたまた
是と非があるとして、誰がそれを決めるのか?
全くわからないまま、次の会議があるらしいということで、一時間もかからない中で、会議は終わりました。
雨の中、歩きながら、濡れながら、わたしは家まで帰ります。
これでええんかなぁ?
誰のための会議なのかなぁ?
例えば、ウチの子などがこの地域に将来暮らすとして、その未来のために何かが生まれる会議だったのかなぁ?
などなど、頭に浮かぶ言葉は月並みながらも、自問自答の答えとしては、何とも言い難いものばかり。
区も疲弊されている中で、それでも前年通りの事業をされたい、というのはわかりすぎるほど、よくわかります。
ですが
その目先のことを乗り切るための、いわゆる「付け焼き刃」の状態こそが、疲弊の原因だとわたしは思います。
これを「是」、とする地区が悪いのか、それをそういう風に向かうよう、指示している行政かなにかが悪いのか、わたしにはわかりません。
二人の子どもを育て、そしてよそのまちから嫁いできたヨメを守りながら、自身が生まれた地区で仕事をしつつ、生きていくということは、なかなか簡単なことではない、と思いながら帰宅しました。
帰り着き、小一時間ほどしたらヨメと子が、サッカー練習場の芝生植えの作業からもどってきました。
何の気なしに、テーブルのわたしの席に置かれていた、スーパー低カロリーでお馴染み、ローソンの名作「ふすまパン」(本名・ブランパン)を食べ終えたところで、ヨメに指摘されました。
「それは上の子が食べたかったものなのかも?」

今日はモヤモヤする日、だということがこれで確定しましたので、とりあえずふすまパンを食べ終えました。
そして、そうめんを食べました。

お腹いっぱいになる前、そうめんを切り上げ、子どもたちへのお詫びとして、わたしは雨降る中、ローソンへとクルマを飛ばします。
ブランパン、そして下の子向けのおやつを買いました。
父の日。
そんな日に、テーブルに見慣れないもの。
それを眺めているわたし。
そんな折り、子どもたちが
「食べてみて?」
と言って、それが「罠」だとは知るよしはありませんでした。
また、例えトラップだとしても
するなら、せめて、別の日にしてよ、と思いつつ・・
帰宅と同時にわたしは、しばらく別の部屋にこもり、ひたすらアニメ「メジャー」を鑑賞します。
主人公、ゴローくんが事故で実のお父さんを亡くしたあと、挫折と成長を繰り返し、タイトル通りメジャーリーグのプレイヤーになっていくという展開の漫画が原作のアニメですが、何度見ても心に染みる名作です。
見ている最中に、携帯電話に友だちから写真が送られてきて、「高島ちぢみ」が近くの量販店の店頭で売られている、という情報が入りました。

(送られてきた写真)
わたしや、同業者の方の作った生地が店頭に並んでいるその様は、わたしにとって勇気のでる写真でした。
素晴らしい写真、ありがとうございます。
わたしにとっては、自分の住んでいる地域の運営も大事ですが、何より自身の仕事である「高島ちぢみ」を売り、広め、メジャーにすることがやっぱり、大事なことなのです。
改めて、そんなことに気づいた日曜日の夕方でした。
夕食は、子どもたちが大好きな、「手巻き寿司」でした。

そして
父の日プレゼントとして、キリンの黒ビール「スタウト」がテーブルにおかれていました。
今度は、引っかけ問題ではないのね?と慎重に聞き、判断し、美味しく食事とともにいただきました。
ごちそうさまでした。
食べながら、子どもたちに
「手巻き寿司のご飯が入っている器は、とうちゃんが一人暮らししていたときに買ったもんなんやで。どういう思い出があるかわかる?」
と聞いたら、二人とも
当然に「わからん。」
と答えました。
しばらくクイズのやり取りをしたあと
正解として
「一人暮らししていたときに、日曜日の夕方、ひとり寂しくスーパーに行って、カレーを三合のご飯で食べるために買ったもんやで。」
ということをわたしが告げたときに、上の子のリアクションがまた、刺さりました。
上の子「なんや、もっとロマンチックな、おはなしかとおもった。」
ご飯三合は、どう考えてもロマンに溢れない話です。
それに的確すぎるツッコミを入れられるくらいに、知らない間に、彼らは大きくなっているようです。
わたしの想定や意図などが、及ばないところ、全く関係ないところまで、君たちは大きくなれば良い、そして色んなことを、君たちが変えていけば良い。
わたしがどこまで見守ることが出来るかのは、これからのわたしの人生のお楽しみ、ということなのかもしれません。
それを楽しみにしつつ・・
明日からも、わたしはわたしの出来ることを、コツコツとやっていきたいとおもいます。
頑張ります。