今年は
上の子には、「旗持」という役目が当たり、公家のような、ハレの日の衣装で臨むことになりました。

わたし自身が35年前に着た衣装を(同じものではないにしても)、自身の子どもが着るというのは、感慨深いものがあります。
一方、今年は下の子には何も役がなく、わたしとヨメが地区PTAで、子ども神輿の付き添いをする間、傍らで付き添い、歩いてもらうという、役割があるのみです。

あらかたその事を説明して、それでもニコニコしている下の子を見ると、子ども御輿の事くらいは、何とか頑張ろう、と思うのでした。
地区全体を見回すと・・
地区そのものの、子どもが相対的に少なくなってきた折、担ぐことが必須の条件になっている、子ども御輿は厳しいものがあります。
他の要因では・・
天気だけ見ても、雨は何とか堪えてもらっていたものの、風がとても強い日でしたので、不安な要因しかありませんでした。
そんな環境下で
地区の子どもたちは根気強く神輿を担げるのだろうか?
ウチのことを言わせてもらうと
ウチの上の子は、きちんと「旗持」ができるのだろうか?
飽き性の下の子は、最後までわれわれについてくるのだろうか?
不安になりつつ、悩みを払拭するには、やはり食べるしかありません。
地域の祭りに欠かせない「鯖寿司」は、母親謹製です。

わたしの中では鯖寿司は、祭りの思い出とともに、懐かしい味がします。

ちなみに
上の子と相対して食事をする会長=親父さんも、72才の干支の年なので、神輿を引きます。
家族で何人も祭りに参加できる喜びを感じつつの食事は、やっぱり幸せな気持ちでした。
唐揚げ。

お寿司。

タケノコご飯。

巻き寿司。

食事をしつつ、思うことは
この地区に生まれ、よそのまちの大学に行き、さらによそで仕事をして、帰って来たわたしにも、家庭ができ、家族で祭りを過ごすことができることは幸せなことです。
当たり前のことかもしれませんが
改めて
素晴らしいことだと実感しました。

ごちそうさまでした。
食後、母屋の縁側で、仲よくふたりで過ごす上の子と下の子を見ていると、もうこれだけでお祭りが終わってもよいかと思うくらい有り難い景色です。

そうはいっても・・
やはり、役割を果たすために役に当たった人たちで神社に出向かなくてはいけません。

わたしもハッピを着て参加するのですが、とりあえず、先に親父さんと、ヨメと、上の子を送り出し、あとから下の子と馳せ参じることにします。
まずは
地区の人と合流。

皆さん、良い笑顔です。
30分後、下の子を連れ、神社付近に向かいました。

会館での会食を経て、神社でのお祓いを受け、いよいよお神輿を動かします。
おとな神輿は、たくさんの人のもと、上手く準備が進みます。

一方
子ども神輿は担ぐことが必要で、人手を集め、何とか進みはじめることが出来ました。
天気同様、イレギュラーなことがおきるもので・・
隣の地区を経由し、同じくお祭りにより足止めを喰らったであろう(推測)市内循環バスがダイヤを乱してやって来たり・・
地区内で喪中の方々が多い関係か、あまり沿道で祭りを見に来られる方々が少なかったり・・
四苦八苦しながら、いわゆる「お旅所」までたどり着くことが出来ました。

後半はさらに加速と休憩を繰り返し、何とかお神輿は、16時半過ぎに神社に帰りつきました。
最後の方、子ども神輿は付き添いPTAの親たちが焼けくそで肩にかつぎ、ある意味では「おとな神輿」でした。
疲れたわたしを待っていたのは、子ども神輿の紅白布の撤去と、幟たての棒下ろしでした。
お疲れさまでした。
終わった頃、待ちかねたように雨がポツポツとあたってきました。
明日も祭りが多い日なのですが、皆さんが無事に終わるように心から祈ります。
帰宅後
夕食では
帰省していた弟一家の家族とで焼肉をして、楽しく過ごすことが出来ました。
楽しかった今年のお祭りも、あっと言う間に終わったなあ、という実感です。
夜になり、弟一家が京都へ帰る際、ウチの上の子、下の子が揃って乗せてもらい、京都市内のヨメ実家まで、彼らだけで帰りました。
明日は、ヨメとともに彼らを追いかける予定です。
疲れた一日でしたが、何となく充実した今年のお祭りとなりました。
明日も明後日も、お休みなりに出来ることを、精いっぱいやってみようと思います。
では、おやすみなさい。