2016年3月30日、さよならエヴェリーン。 | 滋賀・高島の機屋・サダ杉岡のブログ

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滋賀の高島という地域で機屋をしている今年53歳の男のブログです。
仕事のこと・家族のこと・日々の日常で感じたことなどを綴っております。
大したことは書いておりませんが、それでもよろしければご覧ください。

1月の10日から我が家に滞在していたエヴェリーンさんが、市内安曇川のお宅に引っ越しをする日が来ました。


わたしは


あさ一番に仕事のお客様をお迎えし、他の用事を処理してから家に戻り、11時前に次のお宅へいく為、出掛けました。


何とも重たいエヴェリーンのスーツケース。そして紙袋二つの荷物と、靴をいれた袋が、彼女のすべての荷物です。


別れ際に


おサルのぬいぐるみ(自作)をウチの子達に渡してくれました。


おサルはてがみを持っていて、そこには日本語で感謝の言葉が書かれていました。


記念撮影をした際、上の子が持っているのが、そのおサルです。





ちょっとじわっときましたが、上の子も下の子も


「おサルや~」


とキャッキャ言うてるので、そんな感じはすぐに消え、今日は彼女にとってまた新たな旅立ちなのだと思い直し、段取りをし、まずは市役所に向かいます。


前回の異動の際、そこそこ大変だったので今回はわたしが転出、転入の処理をしてから次のお宅にお預けすることにしました。





約30分。


こんなに時間がかかるんだろうか、くらいかかりました。


「急いでほしい」


と伝えたものの、市役所、もう少し迅速にできませんでしょうか、のレベルでした。


まあ、たぶんがんばっているのでしょうが、残念です。


・前回(1月、我が家へ転入時)同様、英語で説明できる職員さんがいない


わたし「英語で説明できませんか?」


職員さん「出来ません!」


→威張ってどうしますか・・



・外国人に「平成○年△月□日」と書いた紙を見せ


職員さん「生年月日、これでお間違い無いでしょうか?確認ください(日本語 )。」


→せめてその「昭和」や「平成」の年を西暦年に置き換えた早見表でも作っておいたらどうですか?


・職員さん「確認出来ましたら、こちらにマイナンバーの数字を記入ください!(もちろん日本語)」


わたし「一緒に渡しているマイナンバーの書いてある紙はどこですか?返ってきたのですか?」


職員さん「スミマセン、こちらで持っていました!」


いったい、何をどうしたらそんなに「うっかり」出来るのか、疑問に思いました。


「市役所、エヴェリーン一人でいってきて」


などと言っていたら何時間かかったことやら、想像するに不安になる行政の様子におびえる、わたしなのでした。


本日のわたしは


急かすわ、外国人連れていくわで、クレーマーみたいな市民で申し訳ありませんでした。


わたしには時間が、ないのです。


それとは別に


今年度は公私ともに役所の方々と色々なご縁をいただき、有り難い限りではありますが、もうちょい頑張ってください、高島市役所。


前のときと対応、変わってませんよ。



その後、住民票が異動できたことでバスの定期券を購入することが可能となり、慌てて正午前に、市内安曇川のバスの営業所へ駆け込みます。





堅田↔守山(立命館守山高校への経路)、一学期の定期代、まさに58140円(ズーン!)。


立て替え、そしてロータリー事務局からはあとで返していただけるものの、その高額さに驚くばかりです。


こちらは、事務員さんの居られる時間帯に(ギリギリ)訪れることが出来たので、あたふたされながらも、前回よりは少し早目にいただくことができたので良かったです。


ともかく


文句ばっかり言って急かしてばかりでスミマセン、市役所の方、バスの営業所の方。


どうもありがとうございました。お手数でした。


お昼ちょうどに、ランチの予定をしていました市内安曇川の「まさ」さんへ着くことが出来ました。


エヴェリーン+我が家の、最後の食事です。





最初に頼んでおいた、下の子にもイケる「小麦粉+玉子なしの唐揚げ」を食べ、子どもたちとエヴェリーンは、お寿司の定食を待ちます。








わたしの頼んだ「刺身定食」が一番に届き、みんなに睨まれ、気まずい思いで食事を始めました。





ついでに、うどんを頼ませていただき、また白い目でみられました。





因果応報、市役所やバスの営業所でイヤな人を演じた報いが早速来ました。



ヨメには親子丼、そして彼らにもお寿司がやって来て、食べ始めるとようやく、彼らに笑顔という名のゆとりが生まれました。





わたしが安堵したのは言うまでもありません。


まささん、ごちそうさまでした。



その後、同じく市内安曇川の「とも栄」さんで、次のお宅へのお菓子を買い求めました。





こちらのご主人さんの逸品、砂糖菓子と、エヴェリーン。





上がる予定はなかったのですが、中田委員長が来られるのを待つ必要があり、結局上がらせていただきました。


エヴェリーンは、立派な部屋を与えていただきました。


感謝です。




(部屋にあるマッサージチェアで憩うわが子達)


その後、中田委員長が来られ、引き継ぎも終え、最後にエヴェリーンと若夫婦のお写真を撮り、クルマに乗り込み、ヨメと子らに帰ろうか、と呼び掛けてエンジンをかけたところ・・






結局、ロータリーメンバーである大家長さまに呼び止められ、さらにそこから30分、エヴェリーンについての説明を申し上げ、帰宅の途に就きました。


ヨメと子、お疲れ様でした。


ヨメと子を送り届けたあと、わたしは


卒園式、エヴェリーンの引っ越しまでは、と棚上げしていた来週のわたしの委員会の仕切りによる「観桜会」のことと、エヴェリーンのことに関して、ロータリー事務局へ向かい、用事を粛々とこなし、事務局高木さん、来られた前川会長、角野幹事に報告を申し上げました。


二時間ほどの誤差を経て、ようやく機織り現場へ戻り、そのあと19時まで仕事をして、へとへとになり帰宅しました。






エヴェリーンのいた部屋を眺めると・・


三ヶ月の間ではありましたが、異国から来た主のない部屋は、少し寂しげに見えました。


「わかってたことやけど、居なくなると、やっぱり寂しいなぁ。」


などとヨメと、下の子と言葉を掛け合い、ラーメンを食べました。





ごちそうさまでした。


上の子のサッカー練習を迎えに行き、帰ってから帰省中の甥を交えて子どもたちとお風呂に入り、ヨメと子達に


「エヴェリーンを面倒みてくれてありがとう、ホンマにありがとう。」


と伝えました。


エヴェリーンがこの先、7月に帰国するまで頑張って日本語を習得し、望んだ将来を得るための足掛かりにしてほしいと思いますし、そのために続けて努力されることを望みます。


その希望とともに


我が家が、彼女が居た中で得た経験や知見は、ほんとうにかけがえのないものだという事実を、いま改めて心のなかに感じています。


そしてもたらしてくれた、「家族一丸」の言葉のもつ、温かみと有り難みの意味。


預かってみないとわからない、暮らしてみないとわからない、そういうものが確実にあるのだなあ、としみじみ今、思っています。


本当に


良い体験をさせていただきました。


この経験をいかすのも、これからのわたしと、わたしの家族次第ですが、とりあえずそんな余韻を振り切り・・


明日から、また違う目的に向けて、わたしは走り出さなくてはいけません。


まだまだ、頑張りたいと思います。


最後になりましたが


エヴェリーンの我が家での滞在に関して、お世話になった方々、頂き物をいただいた皆様、お気遣いをいただいた皆様、本当に有り難うございました。


また今後とも、エヴェリーンともども、どうぞよろしくお願いいたします。