2015年10月9日、ジャカルタからバンドゥンへ。 | 滋賀・高島の機屋・サダ杉岡のブログ

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滋賀の高島という地域で機屋をしている今年53歳の男のブログです。
仕事のこと・家族のこと・日々の日常で感じたことなどを綴っております。
大したことは書いておりませんが、それでもよろしければご覧ください。

ジャカルタを発つ日がきました。


今日の予定は、ブカシ県に寄ってから古都バンドゥンを目指す、という日程です。


8月末の予備調査時では、とにかく車での移動が大変だった思い出のある、バンドゥンへの移動。


ジャカルタの都市部の方から見れば、リゾート地のような存在で、インドネシア全体から見れば交通の要衝でもあり、またまた繊維やファッション業界なおいても重要な意味をもつまち、バンドゥン。


わたし自身、思い出しても少しだけジャカルタより過ごしやすい気候であった気がしますし、高地のせい?なのか美人が多い土地としても名が知られているようです。



そのまちで、バティック工房の方、縫製工場の方、そして生地売り商店の方と連携が取れるのかどうか、という辺りを探ることになりそうです。


さて


そこへ行く前に・・。







ブカシ県にある、地元で有名なコーディネーター・奥氏の事務所に立ち寄り、地元主婦層に、ヒアリングをさせていただきます。


事故渋滞などあり、二時間ほどかかりましたか、少し予定より遅れて会談場所に伺いましたら、すでにえらいことになっていました。


主婦の皆様はすでに待ちわびておられ、わたしは、彼女たちの貴重な朝の時間帯を奪っていることへの責、そしてプレッシャーを感じざるを得ませんでした・・。





後発部隊より先に、市役所上原くん、高島晒平山くん、そしてわたしが着いてしまったので、さあ大変。


あとで時間が足りなくなることを恐れ、わたしの判断で生地サンプルを見ていただくことにしました。


その上で、あとできちんとアンケートをとればいいかな、と。


この国の人たちが、生地が好きなことは何となく理解し始めていますが、今回もそれをとても強く感じました。





お好みの生地を手にした瞬間、顔から笑みがこぼれたり、顔色がパッと変わるのがわかります。


それをみていると、生地を織り、売ることができる職業で良かったなあと思うのです。


そしてまた、この国に来ることができて良かったなあ、と思うのです。日本でずっとやっていたら、こういう瞬間は立ち会えなかったかもしれませんから。













有意義なヒアリングを終え、事務所をあとにしました。





コーディネーターの奥氏は、独特な人柄ながら味があり、そのゆるい間とオットセイのような雰囲気が、わたしは大好きです。


近くの、この地区唯一のモールで市場調査をして、買い物をし、食事をしてからバンドゥンへ向かいます。








皿うどんです。これにレモネードをつけたものを全員が、奥氏により、オーダーさせられました。


ごちそうさまでした。


そこから、バンドゥンへ向かいました。





幸い、出発の時間帯が早く、高速道路ではまだ渋滞が始まる前に付近までには到着したのですが、15時をすぎた辺りから、下道を含む付近の渋滞と降雨とが、もろに重なってしまいました。






たぶん、宿までの5km前後を進むのに、1時間以上を費やしていたようです。


インドネシアの交通事情はこういうことが当たり前だとは聞いていますが、そのことによる弊害は心配されます。


16時前に到着した後、部屋に荷物をおき、現地在住の孔井さんという女性に色々ご質問をさせていただく機会を得ました。


普通の、おしとやかな日本の女性に見えるわけですが、「現地でバイクを乗っている日本人はわたしだけ」と笑っておっしゃる姿からは、タフな方だなあ、と思わざるを得ません。






こられる予定でなかった現地通訳+コーディネーターのノフィーさんも来ていただき、同じ場所で話しました。





幅を広げたマスダ社のストールや、色をつけた、高島晒の生地や、先染めのわが社の生地など、色々一ヶ月の間に工夫したことをお伝えしました。


今回、あらゆる事が進んでいる気がします。





きっとそれは、「高島ちぢみ」のお陰であり、それを作ってきた人々のお陰であり、そして今回のプロジェクトに携わってきていただいた人々の思いと、お助けによるものだと感じています。


プロジェクトそのものの成果や評価は、立場や人によって異なります。


が、高島ちぢみという生地が世に出ることを、関わったみんなが望んだ、という思いの結実が、そろそろわたしたちの眼前にやって来るときなのかもしれません。


その時が来たら


素直に喜び、そして反省し、前に向いていきたいと思います。





夕食は、ホテルのレストランでいただきました。


コーディネーターの山本さんの乾杯の一言


「このメンバーで食事をゆっくりとれるのは最後かもしれません・・」


という言葉が、旅の終着が近付いていることを感じさせつつ、楽しい会話と美味しい食事で、晩餐時を過ごすことができました。


こういう時間、そして楽しい経験の共有が、わたしは大好きです。



こういう体験を、他の機屋さんにもしてほしい。


さておき明日も


頑張ります!