ところが
朝から訃報が入り、朝と夜の用事をキャンセルさせてもらいました。
親友と呼べる友達の、小さいときからよくしゃべっていただいていたお父さんが亡くなっていたのですが、数日前、ウチの会長=親父さんから
「入院してはるんか?」
と聞かれていて、全くそんなことを聞いていなかったわたしは
「また聞いとくわ」
ということで済ませていたわけで、急な訃報にかなり驚きました。
自分の忙しさにかまけていたことを反省し、お詫びする気持ちでお宅までご挨拶にいき、ご遺体に会わせていただきました。
鋭い、強い、厳しい、そんな中で優しさを持っておられた友達のお父さんは、すっかり痩せておられ、ここ一年から二年はご無沙汰していたことをとても申し訳なく思いました。
友達は職業柄、比較的冷静に、お父さんの病と死について淡々と話してくれましたが、それでも、どうみても急なことなので、これからどうするんだろうなあ、と思わざるを得ませんでした。
帰社して、思い付く同級生に電話して、メールなどの連絡をして、生花やもりかごの手配をさせてもらいました。
こんなことしかできない、というのがツラいなあ、と思いますが、とりあえず自分に出来ることをしました。
一旦仕事に戻り、出掛ける用事をキャンセルしたことを良い方にとらえ、山積する用事をこなしていきました。
こんなときでも
資料の送付の要請や、いろんなリクエストをいただきますので、それに応えます。
そして現場に入ります。
午後からは、「高島ちぢみ」の海外戦略の会議に出ました。
最近の機屋さんの参加率の低さが気になりますが・・
繁忙期が近づいていることはわが社も機屋なのでよくわかるのですが、二週に一度、一時間強の会議に出る時間くらいは遣り繰りできるのでは?と思います。
もちろん、海外調査へ向かう機業と、そうでないところの熱の入り様は違っていて当たり前だとは思いますが、産地としては閉塞する一方の国内市場をふまえつつ、海外市場を意識することは悪いことではないとわたしは思っています。
わたしが逆の立場なら・・
きっと行った方々、行かれる方々の話し合いの場には参加したいかな、と思います。
客観的にみて、面白そうなことに首を突っ込んでみたいと思うだろうと推測しています。
実際、会議をしていても・・

ややこしくて、頭が痛くて、こんなことをしないといけないのかな?と思うことが大半の中で、それでも何か、わくわくするような瞬間があるのです。
60年前、創業者である祖父が機屋を始めたときの気持ちは今のわたしには知るよしも無いわけですが、今のわたしたちのように新しい市場に挑戦する気持ちと、機屋をやろうと決めたときの祖父の気持ちは、どこか共通するものがあるのではなかろうかと感じるのです。
この感じを、同業者の皆さんと共有して、産地ごと、前を向いてスクラムを組んでいきたいと思うわたしは、厚かましいのでしょうか?
わたしがどう思われようとまあ、どうでもいいのですが、とにかく同じ体験をしたい、していない方にはお伝えしたい、と思います。
ともかく4日の日曜日から、マレーシアへ行って参ります。
そんな思いを込めつつ、帰社して、海外向けのラベルを作ってみました。

もうちょっと、いじらないと面白くないですね。
それから、お通夜に向かいました。

きれいな月の出ている日に、お通夜ができて、友達のお父さんも、さぞかし喜んでおられると思います。
喪主である友達の、終わりの皆さんへの挨拶を聞いていると、大変な中でもきっちりと自分の言葉で伝えようとしている思いみたいなものを感じました。
親を送る、ということが未体験のわたしには、まだまだその境地を知ることは出来ませんが、彼が一気に大人になったように思えました。
明日のお葬式も、参列しようと思います。