2013年9月21日、災害ボランティア。 | 滋賀・高島の機屋・サダ杉岡のブログ

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滋賀の高島という地域で機屋をしている今年53歳の男のブログです。
仕事のこと・家族のこと・日々の日常で感じたことなどを綴っております。
大したことは書いておりませんが、それでもよろしければご覧ください。

昨晩ヨメと子を説得し、彼らが今日、京都のアレルギーの病院に行くのに同行せず、市の災害ボランティアに出張ることにしました。


一昨年前まで所属させて頂いた、高島青年会議所での参加とさせていただき、午前と午後ともを費やすことを決め、朝にかばた館に集まりました。


大勢の現役メンバーとの再会を夢想しましたが、あまりにも少ないメンバーの参加数に愕然としながらも、まあそんなものかな、と思い直し


「たいした感慨も抱かないようにしよう、所詮出た身だ」


と考えました。


とにかく今の論点はそこじゃないのです。まずは出来ることを、出来る人間が、出来る時間にすることが求められているだけなのですから。





朝八時半、すでに多くの方々が高島市役所の高島市所におられ、感銘を受けました。





私たちが出向いた先は、未だに通行禁止になっているエリア内の、床上浸水の酷かったお宅でした。






午前中は、四間が連なった場所の、板がはがされた状態で見える、足の部分の泥の清掃(「ツカ」とおっしゃってました)。そのあと、床の下に当たる木組みなどの水ぶきをしました。




お昼はかっぱえびせんを・・。

直前理事長・福井毅くん(最近よくお会いする・・)の会社の二階でお邪魔して昼食をとらせて頂き、奥さまやお子さまにまた多大なご厄介をかけてしまいました。


ありがとうございました。





午後からは、朝からした部分の仕上げ清掃と、台所床下の泥を救うため床をはがし、スポンジと雑巾とバケツを駆使し、平成とは思えない人海戦術でキレイな状態まで仕上げました。





16時過ぎ、一日の作業を終え、床に一部を板張りする目的は達せられませんでした。


ですが、朝方、見るからにお疲れだったご主人と奥様が、グレーがかった土褐色の泥がある程度拭われ、一部ビニールで養生をされ、生活する部屋としての可能性を取り戻しかけたスペースをご覧になったとき、とても安堵されたご様子だったのが印象的でした。




帰り道、色んなことを思いましたが、帰れる家がある喜びを感じながら、琵琶湖岸の道を通り、まぶしい夕陽を見上げ、無事に帰宅しました。





帰宅後はとにかく作業着の泥をおとし・・


風呂に入り、ひとときささやかな幸せに浸りました。


ヨメと子も無事、病院から帰宅しており、ほっとしました。






夕食前、もう入ってしまった私に対し「とうちゃんと風呂入るの~」と言い、泣く下の子。


このあと彼の涙は無事に収まりましたが、あと数日は家族の為だけには時間を使えません。


申し訳ない。


いつまでそんなことで泣いてくれるやら、と思いながら、本日は暮れていくのでした。



一日でも早い災害地域の復旧を祈りつつ、明日も頑張らせていただきます。



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