【JC】勝手に滋賀ブロック大会を振り返る~その7(完)。 | 滋賀・高島の機屋・サダ杉岡のブログ

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滋賀の高島という地域で機屋をしている今年53歳の男のブログです。
仕事のこと・家族のこと・日々の日常で感じたことなどを綴っております。
大したことは書いておりませんが、それでもよろしければご覧ください。

話はいよいよ、本番の日のことになります。


雨と聞いていたのに、曇りから晴れ間が出た感じの高島の朝でした。

前の日はリハが終わり、食事をとり、微調整をJCルームで行いました。徹夜続きのなべ委員長と川島部会長を、無理やり2時過ぎに帰らせ、他のメンバーも併せて帰宅しました。

私は家に帰り、いよいよ最後の大仕事が・・・という武者震いの状態で、色んな物の充電をし、準備をし、床につきました。子どもの顔がふと眼に入りました。

上の子は6歳になりました。ここ数週間「遊びに連れてってほしいのに連れってくれない」と泣かれる日の連続でした。彼の言う「遊び」にはいろいろあるのですが、このときはこちら側からですと琵琶湖大橋を渡り、守山の「ピエリ」にある「あそびば」に連れて行ってくれない、という意味なのでした。

商工会青年部の事業、そしてJCのことで・・・迷惑をかけてるなあと思うと、少し胸が痛みました。だがもうすぐ終わるから、と思いながら寝ました。


朝7時。目が覚め、準備を整え、実行委員長に電話しました。彼もまた、早くに起きていたようです。

8時前。メンバーの集合30分前にルームにつき、いろいろ資料を探してから、式典会場へと移りました。

13時30分までの開場には間がありますが、9時30分からの総合リハーサルには時間がありません。

リハーサルも何とか、初めて通しでできた後、そこからの私の作業は、式典資料の修正の連続でした。


スライドができるだけ、頭にかからないように・・・

出来るだけ、文字が読みやすいように・・・

進行の間に、不自然な間があればブラックアウトができるように・・・


そして、登壇する方々との、間を合わせることでした。


もちろん、川島部会長との、間。

式典内容でいえば、たとえば一度もリハーサルにお越しでない方々、たとえばクリードを読むメンバーさんとの間。

役員団の登場シーンでの、間。

司会者との、間。


(ここでしたことすべてが、結果として本番に出たのだと思います。マイク出す時間の指示の徹底ができず、役員団の肩書を一部間違えたあたりは、やはりその辺が足りなかったのだと猛省します。)

その最終リハの合間合間に、私は今まであまり感じたことのない、親近感をブロック役員団の方々に感じていました。

緊張などされないと思っていた、いわゆるエクスパートの部類であるJCマン達が、しゃべる場所をうろうろし、ぶつぶつ口で何かを繰り返し言い、目で宙を追う様をみたとき、ああ、この方々も人間だったのだ、間違いもするし緊張もする、普通の人なんだなと気付いたのです。

特別な人でない。

特別な存在でもない。

役職としての「上」にいる苦しさを、彼らはどこかでやはり持たれていたのだという、安堵にも似た親近感だったように思えました。


そして、そんなこんなでいざ本番。

11月20日、14時ちょうど。

稔雄部会長の指示、私のゴーサインで大会が始まりました。

緞帳が上がり、地球が回り、LOM映像が出て、藤樹先生の教えがあり、運営委員会さんの心の発表。

そして開会宣言。

この辺までで、進行者でありながら、じゅうぶんにシビれました。

後は夢中で、部会長、司会、マイク出すタイミングを、息を合わせてインカムで指示を送り、閉会まで持って行った3時間余り・・・。


途中で鶴田副会長の次年度以降のビジョンの際に、いったん私は休憩になるのですが、気づいたら汗びっしょりでした。

続いての褒賞では、まさかの2年連続のグランプリを頂く栄誉もあり・・・本当に驚きました。


福井副理事長、吉見委員長、厳しい意見の連続だった昨年度の理事会を経た事業を無事終えられ、こんなプレゼントまでくれた、本当に感謝です。高島では昨年初の栄誉に続き、まさかの連覇・・・。褒賞グランプリがほしくてそういう例会まで企画した私には、今の状態が本当にうれしく思います。ありがとう。


ふと、途中で、ただでさえ舞台と客席の間の距離が近いこの安曇川芸術文化会館が、さらに近くなっていることに気付きました。最後部にいる私ですら、舞台までの距離を確かに近く感じています。

それは、普段ないような理事長の登壇であったり・・・

会長の緊張感あふれるスピーチであったり・・・

地区会長のご挨拶であったり・・・

現職の国務大臣のご挨拶であったり・・・

あるいは災害報告、あるいは前述褒賞時の担当者の登壇など・・・。

あるいは次年度会長のフランクながらも、わかりやすくメンバーひとりひとりに語る様子など・・・。

そして次年度主管・大津JCさんの精度の高いPR映像など。


終わった後の大きな拍手のなか、ふと我に返ってみると大山理事長が握手を求める姿に、やっとそこでしっかりと確認したのでした。

終わったのだと。

高島市の演劇の拠点・あどがわの芸術文化会館で、奇跡が起きたのかと思う瞬間でした。


成功なのか、失敗なのか。


そんなことでなく、理事長と握手し、そのお互いの温度と汗で理解する「何か」がそこにはありました。


やり遂げたのだと。


卒業式では満面の笑みの状態で壇上に上がらせていただき、縁深い守山JCの直前理事長・山本英弥君より送辞を奏上して頂きました。

球場での卒業式ではなかったですが、木村泰健君が答辞を読んでくれました。


狭い会場ならではの・・・

アルコールが無い中での・・・


しつらえに限度はあったかもしれませんが、すごく記憶に残る、皆さんの顔が本当に近く感じた、いい卒業式だったと思います。一卒業生として、本当に感謝しました。


ありがとう。


その後の、LOMの打ち上げの飲み会では、本当においしいお酒を頂きました。LOMメンバーも本当に、最近に見たことのないいい顔での飲み会でした。

この時間が来ることを・・・・

どんなに待ちわびていたことか・・・。

その中で・・

私が前に名前を挙げたメンバーで数名の方々は、挨拶する機会を専務に振られ、ひとことひとことではありますが、語られる様は本当にいいシーンでした。

そして、全員の前で話す機会のあったメンバーのみならず、裏方に徹してくれたメンバーも、一緒にやり遂げたことで絶対に、スキルも上がり、今までと違う世界が見えているんだと思います。


そして、絶対その姿を誰かが見てくれています。

そして、次のもっと頑張る、頑張れる機会が絶対にあるんです。JCにいる限りは。逆に、あまり頑張れなかったメンバーにも、それは同じことなんです。

頑張れなかったのを、誰もとがめませんし、誰も責めません。でも、一番良くわかってるのは誰でもない、自分なんだって、自分で自らが、とっくに気づいているでしょう?


気づいたら、今度はちょっとでもいいから、前より関わってみましょう。

関わったら、大きくても小さくても、その仕事を絶対に最後までやり遂げてみましょう。

やり遂げたら、その時の気持ちが、今・一部の「頑張った」メンバーが共有している感覚なんです。その感覚を、一部の人に独占させるのは惜しいでしょう?もったいないでしょう?


だから、頑張ってほしいんです。


私を含め、卒業式の壇上に上がった人間には、例外を除き、二度とそういう機会は巡ってきません。


それがどんなに、寂しくて辛いことか。

(しかしまた、清々しいことか・・・やりきった私の場合。)


その経験を、この一期一会で出会った仲間と、せっかく入会したこの組織で味わってほしい。

一度の人生なんですから・・・。



というわけで・・・


長きにわたってお送りしました本テーマ「勝手に振り返って」ブログ。

いったん、ここでお開きにさせて頂きます。


最後まで読んで頂いた方。

読んだけど意味不明な方。

読まないよ、なんやこれという方。


みなさんすべてに感謝して、キーボードを休めます。

今まで有難う・・・。

(<完>才川直前のUSJの前に脱稿・・・その2)