METAL RESISTANCEの終わり | BABYMETAL、サクラメントキングス、他もちょっとのブログ

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音楽(BABYMETAL)とNBA(キングス) 主に書きます。
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今武道館の帰りのBxUxS


寝て起きて長々と呟いて枝が伸びたのでこっちに貼っておこう


さ学やソニスフィアなど初期からのメイトさんは10周年の感慨も深くなっただろうなぁ。自分なんてたかだか1年半だからそれは薄い。でも何故かBABYMETALという車に乗ったら向かい入れてくれる仲間がいた。たまたまかもしれないけど排他的な人に合ったこと無い。だから新規なのにそういう疎外感が無い。


これって多分BABYMETALの精神を体現してるからかもね。嫌いでもいいって言うのはホントの意味で開放された関係性。媚びることもなく支配的でもない。この感じがメイトに伝播してて新規もいつでもこいよ、復帰もいつでも帰ってこいよみたいな感じに繋がってるような。


嫌いならそれでいいよってのはある種の突き放し感があるけど逆に言えば残る人はホントに好きな人にどんどん濃くなる。多ジャンルミックスのメタルアウトプットがBABYMETALだけどその構造と「私達は私達」というスタンスがいい意味で相反するからバランスが取れていると気がついた。


メタルはメタル的であろうとする余り「俺達は俺達」というスタンスが逆に障壁になってしまい閉鎖的になってた。だから「私達は私達」というメタル的なちょっとした反骨心はちゃんと受け継いでる時点でBABYMETALはメタルなんだなと。でも受け入れる音楽性が無限大に拡がっていった。


だから「私達は私達」が閉塞感に繋がらなかった。勿論オーバーグラウンドのティーン向けやトラディショナルなアーティストと比べると充分狭い音楽性。でも閉ざしてたそれを偽物としてではなく真剣に解放しようとした。それがMETALRESISTANCEだったんじゃないかな。


だからメタルの栄枯盛衰を見てきた人はBABYMETALを受け入れるし、むしろ自分達がやって頭打ちになったメタルの概念を拡張しようとしてるBABYMETALに感謝していると思う。だからメタルゴッドはステイメタルと言う言葉をくれたんだろう。メタル精神で居続けることがその反抗の大前提だから。


ぶっちゃけそろばん弾いてなきゃいけないコバメタルはそのバランスを取るのは大変だろうと思う。これはある種の核心かもしれないけど肥大化するとその維持の為に色んな弊害が生まれる。レコード会社が正にそう。売れるものを作らないといけなくなる。身体が大きくなればなる程。


だからBABYMETALの身体のサイズはもうここまでがMAXなのかもしれない。それでMETAL 

RESISTANCEを終わらせたのかもと考える。少しミニマルになる可能性もあるかもしれない。天才コバメタルの考えは僕には及びもつかないけどそういう可能性はあると思う。それは時代的にも合致してるし。


1つの問題としてBABYMETAL以降ってのもあるかもしれない。評論家とリスナーの両方からのプロップス獲得に余りにも成功しすぎたからこそ、その後の難しさ。メタル文化で考えた場合、ここから先の拡張性を模索するにはBABYMETALをひたすら拡大するには限界かもとさっき話した。


でも例えばレーベルとして新たなメタルバンドをフックアップしたり生み出したりすることも出来るかも。HIPHOPでいえばデスロウやドレー関連のインタースコープがそうだしパンクでいえばエピタフがそうだし。別に日本のバンドである必要もないと思うしね。それこそBMTHはアメリカだとエピタフだし日本でもしコバメタルの作ったレーベルに参加したらBABYMETALとのコラボももっと円滑に出来そうだし。


LIVING LEGENDって色んなジャンルにいるけどそれらはやっぱりフックアップ精神を持ってるのがその立場に求められるものだと考えてる。個人的な意見だけど。


そんな事を考えた武道館Day-Xの終わり、METAL RESISTANCEの終わりの日。