「hana-1970、コザが燃えた日-」 | よさこいの夏

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2023年12月からこちらへ引っ越しました。

D2814355113569be7cf487f7fc4e61 東京公演を観た高校時代の友人がFacebookで絶賛していたのを見て、検索してみたら
梅田芸術劇場での公演チケットに辿り着いたので、速攻購入して行ってみました。
コロナ禍もあって演劇は久しぶりです。

 

松山ケンイチ余貴美子岡山天音ら出演陣の演技が本当に素晴らしかった。
何より脚本(栗山民也)が素晴らしかった。
久しぶりに本物を観た!

 

再演があればぜひ皆さんにも観ていただきたいです[E:#x2728]

沖縄返還50周年を迎える2022年の今。
返還前の1970年12月20日に起きたコザ騒動の夜に母(余貴美子)の経営するバーに集まった家族の物語。
この舞台のための畑澤聖悟さんの書きおろしということです。
沖縄返還からまだ50年しか経ってないんですね。
当時、沖縄の人たちがどんな思いで本土・日本を見ていたのか?
今もなお続く沖縄米軍基地の問題。
私たちの安泰はずっとずっと沖縄の人たちの犠牲の上にあるのだ。

戦後、米軍が大手を振って歩いていた沖縄。
本土以上にもっともっと苦しい現実があったのだということがわかった。
戦争で家族は死に、生き残った者さえもガマ(壕)で自決を迫られ、バラバラになった。
家も戸籍も何もかもを焼かれ失った人たちは、生き残った者同士で偽りの家族を作りなんとか生き延びてきた。
米軍に暴行された婦女子も、米軍相手に体を売って生き延びた人もいた。
米軍の車にひき殺されても、泣き寝入りするしかなかった。
そんな沖縄の人たちの怒りが爆発したのがコザ騒動だった。
事故を起こした米軍の車を人々が取り囲み、ついには焼き払ったのだ。
 

 

夫を戦争で殺され、娘を米軍に殺されても、泣けないで、泣かないで、頑張って頑張って生き抜いてきた女性を余貴美子さんが演じる。
戦争犯罪者として罪に問われることを逃れるために、夫の振りをして家族を支えてきた男。
親を亡くし、拾われて子どもになった、ハルオ(松山ケンイチ)とアキオ(岡山天音)。
ハルオはヤクザになり、アキオは学校の先生になった。
娘(上原千果)の死を受け入れられずに、幻を見ては話しかけ続ける母。
母のバーにはベトナム戦争で心を病み米軍基地から逃げてきたアメリカ兵(玲央バルトナー)がかくまわれている。
苦しい者同士、助け合って生きていくことが「沖縄の普通」だったのかもしれない。

 

バーの外で炎が上がるコザ騒動のさ中に、心の苦しみを爆発させあう家族。
敵でしかなかったようなアメリカ兵の心にもスポットが当てられ、スゴイ演出だなあと感じました。
戦争は生き残った人の心もズタズタにしているのだ。

舞台のテーマソングになっている「花はどこへ行った」
上原千果さんの歌声は心に響きました。

 

終演後のスタンディング・オーベーションは5回も続きました。
観た人はみな立たずには居れなかった。
素晴らしい舞台でした。

沖縄を旅すると、どこへ行ってもオスプレイの爆音が耳に響きます。
奄美大島の加計呂麻島にも訓練する自衛隊飛行機の爆音が響いていました。
地元の人たちは、自衛隊もいてくれれば、何かの災害の時には助けてもらえるから、と言います。
そんなこともふと思い出しました。

今のオミクロン株の広がりが沖縄の米軍基地から出てきたということも・・・。

 

注:「花はどこへ行った」ピート・シーガーという人が作った反戦歌です。Wikipediaによると、
「花はどこへ行った 少女がつんだ」→「少女はどこへ行った 男の下へ嫁に行った」→「男はどこへ行った 兵隊として戦場へ」→「兵隊はどこへ行った 死んで墓に行った」→「墓はどこへ行った 花で覆われた」と続き、再び冒頭の「花はどこへ行った 少女がつんだ」となる。

 

最後には必ず「いつになったら わかるのだろう」という言葉で締められているため、「戦争がいつまでも繰り返され、いつになったらその愚かさに気づくのか?」というメッセージ、今度こそもう戦争は絶対に止めようという思いを込めて盛んに歌われている。