「もう二度と、子どもなんて産むもんか」

 

初めての出産を終えた直後の感想です。

 

 

生まれたら、最初になんて言葉をかけようか……

妊娠中は、そんな想像を膨らませたものでした。

 

しかし、実際に生まれた時には、

 

疲労困憊で、何も言えませんでした。

 

分娩時間こそ短かったものの、

ズンズンと強まっていく痛みや、

メキメキと腰を押し広げられるような、

未経験の感覚。

 

それは26年間の人生で経験してきた何よりも恐ろしいものでした。

 

出産は、他に比べる者がないほどに凄まじい経験でした。

 

だから、病室に車いすで運ばれて、

助産師さんがいなくなった後、

涙を流しながら思ったのが冒頭のひと言だったのです。

 

 

娘が新生児の頃は、

ひたすら授乳し、オムツを替え、抱っこするだけの生活です。

 

昼も夜も関係なく、その繰り返し。

気が狂うかと思いました。

 

世の母親がみなこれを経験しているかと思うと、

信じがたいものでした。

 

さらに二人、三人と子どもを連れているお母さんを見ては、

 

『一体どうして、また産む気になれたのだろう』

 

と不思議でしかたありませんでした。

 

 

しかし、ひとつだけ出産してよかったことがあります。

それは、

 

もう大抵のものは怖くない

 

そう思えたことです。

 

人生でこれからどんなことが起きようとも、

おそらく出産ほどの苦しみではないだろう。

 

娘が生まれた夜、

あの激痛に耐えたのだから。

 

だから私は、もう怖くない。

 

そう思えたのです。

 

初めての出産は、私を強くしました。

母は強しとは、このことを言うのだなと実感しました。

 

 

さて、そんなわけで、

私はしばらく次の妊娠を考えようとしませんでした。

 

娘が離乳食を始め、

ハイハイを始め、

立ち上がり、

歩き、

 

そして、イヤイヤ期に入りました。

 

娘は可愛くて仕方ないけれど、

いつもいつも手一杯で、

次の子のことなど考えられませんでした。

 

とても二人なんて、育てられない。

 

そう思ったまま、三年が過ぎました。

 

 

この頃になると、

娘の保育園でも兄弟のいる子が増えてきます。

 

娘も、お友達の弟に興味を持ったり、

ぬいぐるみのお世話をしたりと、

お姉ちゃんらしい素振りを見せるようになりました。

 

そして、自分が赤ちゃんだった時の写真が見たいと言い始めたのです。

 

 

これが転機になりました。

過去の写真データを探せば、

 

出てくる出てくる。

 

今の娘からは想像もできないような、

ぷくっとした赤ちゃん。

 

腕なんてパンパンで、

手首がゴムで縛ったかのようにきゅっとなっています。

 

初めてうつぶせで首が上がった写真もあります。

コロンとした目は、やはり娘のものです。

 

『かわいい……』

 

毎日いっぱいいっぱいで過ごしているうちに、

娘の赤ちゃん期は過ぎていました。

 

気づけばすっかり「子ども」です。

 

今振り返ると、なんて短かったのか。

もっと娘のことをよく見ていればよかったのに。

 

あの頃の娘は帰ってこないのに。

 

たまらなく切ない気持ちになりました。

 

そしてとうとう思ったのです。

 

「もう一度、この腕に赤ちゃんを抱きたい」と。

 

 

こうして、二人目の子どもを授かることになりました。

初産の時とは違って、

妊娠期間は飛ぶように過ぎていきます。

 

初めての時は、赤ちゃんに会いたくてたまらなくて、

時間が鬱陶しいくらいのんびり過ぎていきました。

 

今度は、出産のその日が怖いのに、

もう臨月を迎えようとしています。

 

 

ぐんと力が強くなった娘と、

妊娠中の身体で遊ぶのはなかなかの運動でした。

 

娘と遊んでいると、

運動しすぎて生まれたらどうしようと思う時もありました。

 

でも、おなかの子はしっかり最後まで育ってくれました。

 

 

陣痛の痛みが始まります。

病室で丸くなって、うんうんと耐えました。

 

赤ちゃんがどんどんおしりの方に下がってきているのも分かりました。

 

 

だけど、初めての時ほど怖くない。

娘が作ってくれた道を、赤ちゃんが安心して下りていくのが分かります。

 

お産が始まってしまえば、

ビックリするくらいの安産でした。

 

初産の時とは違って、

生まれたばかりの赤ちゃんを胸に抱き、

ウトウトしているぬくもりをはっきりと感じることができました。

 

自分でも驚いたことに、今度はこんな感想を持ちました。

 

「次は、いつ産もうかな」

 

もちろん分娩中は辛い時間でもあるけれど、

出産はすばらしいものだと、私の中で認識が変わっていました。

 

 

それからの赤ちゃんとの生活は、

娘の時とはうって変わって穏やかなものでした。

 

お産が軽かったための身体的余裕も、

赤ちゃんのお世話に慣れているための精神的余裕もありました。

 

赤ちゃんとの時間は、

とても幸せです。

 

辛かった娘の出産も、

初めてづくしで格闘した育児も、

この時間のためにあったのだと思えました。

 

娘は、赤ちゃんが生まれる道も、

私が心から赤ちゃんを愛おしむ時間も、

切り拓いてくれたのでした。

 

 

初めての出産で、母は強くなる。

二回目の出産で、母は幸せになる。

 

 

道を歩く見知らぬお母さんたちにも、

今は共感の気持ちでいっぱいです。

 

六月に生まれた息子は、

五か月を過ぎました。

 

時季外れの猛暑の始まりに生まれ、

弱々しく私の小指を握っていた子は、

 

木の葉が色づく今、

しっかりと目を合わせ、

おもちゃを自ら握り、

ケラケラとよく笑う子になりました。

 

しばらく赤ちゃん返りで不安定だった娘も、

今や私から赤ちゃんを奪い取らんばかりに、

お姉ちゃんっぷりを発揮してくれています。

 

私はといえば、

「ママは幸せだなぁ」と

ついつい呟く毎日です。

 

 

娘よ、いつも道を拓いてくれてありがとう。

何事も、ママと一緒に

「はじめて」

を経験してくれることが誇らしいです。

 

息子よ、いつも笑いをありがとう。

君の一歩一歩を、

いつも近くで応援しています。

 

ありがとう、

ありがとう。

 

この幸せな時間が、

まだまだ、

いやずっと、

続きますように。

 

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大江 沙知子(おおえ さちこ)

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