25年目 | 憩いの杜の傍で

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葵の日常あるばむ。

訪問ありがとうございます

あれからもう25年になるんですね
当時のことは
昨日のことのように思い出すことができます
5時20分頃(だったかな?)にトイレに起き
再度ベッドに入って微睡んでいたらいきなりの大揺れ
収まった後、のんびり屋の私は
『すごい揺れやったなぁ』と思っただけで
もう一度寝ようとしてました
一階から慌てて上がってきた親がそんな私を見て
呆れて怒鳴った(笑)
『何やってるの‼️出るよっ‼️』
再度大きなのがきたら潰れる可能性がありますから(^^;;

トイレに起きたとき明るかった
地震が収まって家を出た時は真っ暗
1月の6時前に明るいのがおかしいんですよね
コレは多分前兆だったんでしょう

近所の人たちの中で
懐中電灯とラジオを持って来ていたのはウチだけで
(3人とも持って出てた 笑)
父親がラジオから情報を得て
しばらくみんなで集まってましたが
もう大丈夫かとそれぞれの家に帰って行きました
テキパキ動く父親が誇らしかったですね

途絶えたライフラインは水道水だけだった
(ガスはプロパンだったから
それでも相当不便でしたね
トイレは流せない お風呂にも入れない
水道が開通したのは1週間後
幸い何缶か灯油のストックはあったので
石油ストーブを点けて暖を取ることはできたけど
余震が怖くてずっと点けてはおれない
抹消血流が悪い私は手足の先まで暖まらず
霜焼けになってしまった

今まで震災のニュースを見ても涙が出ることはなかったのに
今年は何故か泣けてくる
どうしちゃったのかな?

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