この季節になると私いつも赤穂浪士を思い出します。世間知らずの殿様に付き合わされた忠臣たちの物語は日本人が結構好きなストーリーのひとつで年末には必ずと言って良いほどドラマで見ることができます。最近では47人の浪士個人に焦点を充てたスピンオフストーリーや色々な脚色を加えた作品も多く見られます。私が若い頃読んだそんなスピンオフ作品の中で吉良義央を斬り捨てた武林 隆重がこんな台詞を言っていた
「雉も鳴かずば撃たれまい」
確かにそうなのだ隠れ切っていたはずなのに何を焦ったのか逸る気持ちを抑えれなかったのだろう、老人が寝間着に脇差だけで武装した浪士に飛びかかったのだから一太刀で斬り捨てられるのも無理はないがこれはある意味武器の使用を禁止した場所で老人に斬りかかった田舎の浅野さんよりは根性がある。
根性はあったがねばりがなかった故にこのような結末となり挙句には「雉も鳴かずば撃たれまい」と言われてしまうのだ、今夜はこの諺にフォーカスしてお話して行きたいと存じます。いかに自分の発する言葉が罪深くまた自分の逸る行動が愚かなるものか皆様と振り返ってみたいと思います。
最近知り合いの女性が私にこう申しました「天狗さんてさぁ 界隈の人と付き合ったことない?もうさぁ私この界隈長いのもあるけど狭いからなんかめんどくさい。」きっとこの女性は狭い世間の中で恋愛をしてしまいその後の付き合いが面倒なのでしょう。実は私界隈の所謂同業者と交際した事がないのです、もちろん望みもしませんがそのようなシチュエーションになったこともございません。料理人やパティシエと関係を持ったことはありましたがこれも全然界隈の人間ではありません。少し皆様には解りづらいかと思いますので少し説明いたしますと料理人やバーテンダーやホステスなどの水辺の生物にはコミュニティのようなものがございます付き合いのあるグループや不仲なグループもございまして私が10年勤めた小さな夜の街にも色々と界隈がございます、一重に料理人の界隈と言いましてもつるんでいる者もおれば他の界隈とつるむ者や私のようなはぐれ者もおります。情報の交換などは大いに結構なのですが結局内輪で誰かが交際を始めてしまうと必ずそのしわ寄せのようにトラブルが発生しそのコミュニティは不仲になったり解散することが多いのです、これは元来人間が人の幸せなどを素直に喜べない類いの種族なのだと痛感させられることでございます。このような幼稚な営みを散々見てきました私はあくまで個人的意見として界隈でつるむというかは何らかのコミュニティに属する事をあまり善しと思えないのです。界隈という言い方をしなくとも近しい誰かが知っている誰かと交際関係を持つことをあまり好みません、持ってしまったとしてもあまり公表したくありませんのでこの場合その秘密を共有出来るであろう人間としか交際いたしません。特に私は恋人に処女性を求めたりという度量の小さい人間ではありませんが恋人が以前に自分の知合いとデキていたとか自分の元恋人が現在の恋人の知合いとか自分の知り合いと付き合うなどそのようなまるで小さな釣堀で釣糸が絡み合うような狭い世界に全く興味がございません。むしろこのような世界を懲りもせず繰り返して生きている類の人間はある意味変態なのではないかとも考え時に嫌悪感を感じる事もございます。このような人間が「繋がり」とか「絆」という言葉を発した時正直驚きます、何で繋がっているのかどのような絆なのか想像しただけでゾッとしてしまうからです。
私も大概よくモテますので恋人がコロコロ変わったり恋人以外の恋人がいることもございましたが過去に一度刺されそうになったことを除いては大きな修羅場をくぐった事は少なく所業のわりに受けた痛手は皆無に等しくまさにローリスクハイリターンの鏡のような恋愛をしております。ここでそんな天狗より皆様にアドバイスしたいのは複数の恋人とアバンチュールを楽しみたい場合肝心なのがこの相対の世の中で「君だけだよ」などと絶対的なバカな台詞を吐かぬことです。この台詞を言ってしまったら最後約束を破ってしまうことになりますのでくれぐれもご注意していただきたいのでございます。世の中に絶対などと言うものはございません。アホがつい房事の最中感極まってしまいそのような守れるはずもないしょうもない台詞を漏らしてしまうのですがとんでもないことです。そもそもそんな大事な事は房事の最中に発する事ではないのです。
私も大概よくモテますので恋人がコロコロ変わったり恋人以外の恋人がいることもございましたが過去に一度刺されそうになったことを除いては大きな修羅場をくぐった事は少なく所業のわりに受けた痛手は皆無に等しくまさにローリスクハイリターンの鏡のような恋愛をしております。ここでそんな天狗より皆様にアドバイスしたいのは複数の恋人とアバンチュールを楽しみたい場合肝心なのがこの相対の世の中で「君だけだよ」などと絶対的なバカな台詞を吐かぬことです。この台詞を言ってしまったら最後約束を破ってしまうことになりますのでくれぐれもご注意していただきたいのでございます。世の中に絶対などと言うものはございません。アホがつい房事の最中感極まってしまいそのような守れるはずもないしょうもない台詞を漏らしてしまうのですがとんでもないことです。そもそもそんな大事な事は房事の最中に発する事ではないのです。
次に肝心な事は人に知られぬ様にすることでございまして、何かモノを隠そうとしても結局バレるのは他人からなのです。恋人が出来たうれしさについつい知人に報告と言う名の自慢や惚気をしてしまえばたちまちその話はオタマジャクシがカエルになるが如く最初から付いている尾ひれがいつのまにか手足に代わり水の世界を抜け出し陸にまで広まってしまいます。更に人に話せば余計な嫉妬や恨みなどをかう事もございまして面倒が増えるように思います。
1人の有名店の店長の男を巡ってかたや人気店の若女将とはたまた人気店のママとの静かな戦い、若女将からママに乗り換えた男はクールに装っていますがそもそも仲の良かった(のかどうかは定かではないが)女将とママはどうなるのでしょう?この話は知人から聞いた話で全く興味もなかったのですが先日そのママの店に行きますとえらくママが調子にのっていたのが鼻につきました。いい歳をして略奪愛に成功したくらいで何を浮かれているのかよくわかりませんが世界を手に入れたような態度で何も知らぬと思っている私を含め店内の客全てにあたしイケてる女よと言わんばかりの雰囲気を漂わせていました。大変わかりやすく笑えましたが気付かれてないと思っている時点で相当な凡人です、よく水辺で生息しているものだと感心いたします。しかし恋は盲目と申します、見えないのです。この人に大きなしっぺ返しが来ない事を心から祈ります、人の恨みは恐ろしいものです。乾燥する時期に世知辛さの増す年末は放火などの事件が絶えませんのでくれぐれも火の元くらいは注意しておいて欲しいものです。
このような話を私が知っているということは私は当事者ではないので誰かから聞いた話で彼女がその男と付き合ったということとその前に女将と付き合っていたということ、その女将と別れママに乗り換えたというのはその男のみ知る話でこの話の筋道をさほど彼らと付き合いもない私が知っているということは相当噂は広まっていることでしょう。乗り換えられる前女将は知合いに漏らしたそうです、最近私○○さんと付き合っていると。そこで知り合いがその○○さんに確認しましたところ、そういうのをあまり広めないで欲しいと少し嫌そうな顔をされたそうです。程なく乗り換えが完了したそうです。焦ったのか逸る気持ちを抑えられなかったのかそこが乗り換えの決定的原因かどうかは定かではないですが彼女の夢は友人であるママに取られてしまったのです。ドヤ顔が気持ち悪いママの幸せはどこまで続くのか?幸せを焦って人に話したが最後また夢は他の誰かに移ってしまうのです。
世界を手に入れた程度の人間はこの程度の事で上気してしまうのでしょうが宇宙を手に入れようとしている私には小さな小さな1光年にも満たぬスケールの話で満足しているのが理解できません。親友に話せば「人は身近なところでなんでも済まそうとする」というのです、言っている意味はよくわかりますがこれだけの人口がいる中でそんな近場でしか済ませられないのかと残念に思います。近場や界隈で恋人を見つけるというのは結局「都合の良い」人間を見つけているだけにしか思えません、本当に気に入った相手であれば相手の仕事の都合や居住地などさほど関係ないようにも思うのです。こう考えた時近場で作る恋人とは本当に恋人なのでしょうか?その狭いフィールドの中で探し得た恋人の価値とはどのようなものなのでしょう?また多くの戦争の原因が人のものを欲しがるところから始まっているのがわからないのでしょうか?どれほど狭い領地の中でどれほどの収穫を期待しているのでしょうか?自由を求め他へ目を向けると言うことが争ったりするよりよほど得策だということに気づかぬ者の栄枯盛衰、自分が簒奪者から無くした者へとなった時にその痛みがわかるのでしょうか?
賢者は多く語りません、愚者こそよく語りその失敗の多い事は歴史を見てもわかる通りでございます。多く語る事や逸った行動が決して良き行いではないという事をほんの少しでも頭の中に入れていただければ「雉も鳴かずば撃たれまい」のです。
しかしこのようなギリギリなコラムを書いている私自身もいつかは撃たれるかもしれません、その折はきっと「記事も書かずば撃たれまい」といわれるのでしょう。
しかしこのようなギリギリなコラムを書いている私自身もいつかは撃たれるかもしれません、その折はきっと「記事も書かずば撃たれまい」といわれるのでしょう。