昨年末、シンガポールからレッスンの問い合わせがあったが、航空券やホテルが年末で取れないとの事で、実は延期になっていた。

2~3ヶ月後に再度日本へ来る予定を立てるということだったが、先日レッスン予約の連絡が入り、調整がついた。

今度は、確実にフライトとホテルの予約は完了しているそうだ。

どうせ日本へ来るなら、年末の寒い時期より「春」に来るのが望ましいだろう。

 

改めて音楽は、国境、文化、人種、言語、世代を越えた、全人類共通のものであると感じる。

人間関係に理屈や理由は必要なく、音楽はどんな人間同士をも繋げる魔法である。

従って演奏者は、みな “魔法使い” である。

 

しかし私にとって、どんな魔法が使えるかは、どんな風にピアノと向き合っているかである。

あけましておめでとうございます(遅ればせながら・・)!

今年も宜しくお願いします。

 

毎年、新年にはその年の抱負や目標を立てるのだが。

今年は、目標を立てないことを、目標にしようと思う。

「計画しない。予定を立てない。決めない。」

 

ニューヨーク時代、メンター(恩人)からしばしば、「あなたはよく段取りをする」と皮肉を言われた。

私は、用意をして、下調べして、万全の準備をする正に用意周到、準備万端な人間だった。

しかし、準備万端な時ほど、空回りする事が多かった。

 

今は用意周到、準備万端の弊害も分かってきた。

 

人は皆、それぞれ独自の、

「Personality(個性)、Character(性格)、Sensibility(感性)」を持っている。

 

しかしそれを標準や平均に当てはめようとすると、弊害が起こる。

 

私は幼い頃から、標準・普通・平均といった類の言葉は大嫌いだった。

「人と同じ」が嫌いな、ただの捻くれ者だと思っていたが、当時から弊害が起こっていたのだと思う。

それは、正常な副作用?拒絶反応?それとも、防衛反応?だったのか。

 

学校教育を否定する気はないが、洗脳されてきた部分は否めない。

「標準で普通で平均的な人間」とは、一体誰に合わせてるのか?

これって、ただの「数字的に真ん中の人間」というだけの“架空”のものではないだろうか。

そもそも、そのような人間は存在しないし、なれるわけもない(なる必要もない)。

人を数字化しデータ化していること自体が、弊害である。

 

赤色がどれだけたくさんあっても、青色が混じると紫色になる。

一滴の青色が、紫色に染める。

数の問題ではない。質の問題である。

 

なぜ、数より質を大切にしないのか。

 

自分の特性も分かってきたところで、そろそろ自分の質に頼ってみようか。

たまたまピアノという楽器と、この先も生涯を共にする事になりそうだから、

ピアノと一緒に、なににも当てはまらない質になってやろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、シンガポールからレッスンの問い合わせが入った。

もちろんシンガポール人であり、シンガポールから来られるのであるが。

と言うものの、わざわざにというわけではないだろうが・・・、旅行の 一環 なのか。

 

どうやら、ABRSM (The Associated Board of the Royal Schools of Music)を受けるということらしいが。

ABRSMとは、英語能力テストのTOEICやTOEFLのような、世界的なピアノグレード試験。

 

以前も、外国人の生徒さんが、この検定試験を受けるべく通われていた。

アジア諸国は定かではないが、少なくともヨーロッパでは認知度は高く、就職の際キャリアとして扱われる。

 

年末年始にかけ数回に分けてレッスンに来られたいということだったが、日本の「お正月」をお伝えし、理解頂き、年末までになんとかレッスン調整ができた。

 

そもそも教室名に “インターナショナル” と付いているのは・・・。

一般的に訳される「国際的な」というより、「幅広く」という意味にしている。

音楽は、二つとして同じものはなく、正解も不正解もない。良い悪いもない。好きか嫌いかだけである。

良い悪いと、好き嫌いは、一緒ではない。

幅広くとは、千差万別、十人十色、多種多様の感覚を持つこと。

“無限の可能性” を秘めてピアノが弾けたら、音楽が聴けたらと・・・。

 

やっぱり、色んな意味で “インターナショナル” な教室になってくれたら、とつくづく思う。