とある夜。
時刻は正子を少し過ぎた頃。
「潤さーーんっ!」
玄関から俺の名を叫ぶ声が聞こえた。
全く、こんな時間に誰だよ。
なんて、そんなん一人しかいねぇけど。
「潤さんっ、ただいまっ!」
めちゃくちゃ大きな花束がリビングへと駆け込んできて、帰宅の挨拶をする。
抱えているであろう人間の顔が見えないほどの、花束が目の前でわさわさと揺れた。
「翔、おかえり」
俺はというと、少しだけ夜更かししたい気分だったから、キッチンでコーヒーを淹れてる最中で。
そんな俺のことを見つけるや否や、大きな花束はあっという間に宙を舞い、そこからようやく姿を現した恋人がこちらへと飛びついてきた。
「潤さんっ」
犬かよ。
って、思わず声に出そうになったわ。
でも出会って間もなかった頃も、そういやこいつってば犬みたいだったっけ。
「ふっ、」
思わず思い出し笑いする俺に、翔が不服そうにぷぅっと頬を膨らませる。
「……初めて…、」
「うん?」
怒ってるかと思ったら、次の瞬間にはシュンと垂れる耳は、やっぱりわんこそのもの。
そんなことよりも、翔の言う”初めて”とは、どういう意味だろう。
「夜この家に帰ってきて潤さんが起きてたのって……初めてじゃん?」
なんだ、そういう意味だったのか。
確かに一緒に住み始めたとはいえ、夜はずっとすれ違い。
俺にとっちゃ、朝に翔の寝顔を見るのが日課だったけれど、翔にとっても帰ってきてから俺の寝顔を見るのが日課だったのだろう。
俺にしがみつく翔の頭に顎を乗せて、その体をぎゅっと強く抱く。
相変わらずいい匂いさせてんな。
こんなフェロモン、誰それに醸し出さなくたっていいのに。
なんならずっと唐揚げ臭いままでよかったのに。
あの頃のガキ臭い、しがない大学生の殻を一体どこに脱ぎ捨ててしまったのか。
嬉しいような。
でもちょっと寂しいような。
って。
そんな風にすぐ保護者面してしまう俺の方が、あの頃から全然変わってなさすぎて笑える。
「そう言われたらそうだな」
「……なぁ潤さん」
「うん?」
「顎が頭に刺さってすげぇ痛ぇんだけどっ!」
「ふっ、悪い」
なんか翔の頭のてっぺんが、顎を置くのにちょうどいいんだよな。
あとこの反応が、案外好きだったりする、なんて言ったらコイツは益々怒るのだろうか。
痛いと言われ、抱きしめていた腕をパッと離す俺。
だけど、俺を抱きしめる翔の腕はそのままで。
全く、マジでずるい奴。
「……やっとだよな」
「うん?」
「なんか今頃やっと……実感湧いてきた感じ、」
「確かに。今までなんかちょっと一人暮らしっぽかったもんな」
「だからだよおおおおっ」
もうマジで心折れそうだったわ!なんて言いながら翔は、ようやく俺から離れてシンクへと移動する。
それから蛇口から水を出し、モコモコの泡を手に纏わせながら楽しそうに喋り続けた。
「ドラマ、やっと今日でクランクアップだったんだよ」
「そうだったのか」
「それに今度出す曲のレコーディングもMVの撮影もやっと終わって!」
「うん」
「だから、今度から早く帰れるし休みもとりやすくなる…、」
「うん」
「……と思う、」
「ふっ、なんだよそれ」
「だってさぁぁぁ、知念がまた山のように仕事とってきそうじゃんっ」
「おまえのマネージャーって、まじで優秀だよな」
「いくら優秀ったって、あれは人の形をした鬼だと思う!俺はっ!」
多分、今の俺らには話したいことが山のようにあって。
きっと全部話し尽くすのには、どれだけ時間があっても足りないんだろうなとも思う。
「知念くんに任せておけば、翔は安泰だな」
「俺、有名になる前にぶっ潰れちまうんじゃね?」
「おまえなら大丈夫だよ」
「他人事だと思って…、」
「それに、おまえは俺といればスーパーマリオになれんだろ?」
『潤さんさえそばにいてくれれば、俺は無敵だ』


