本当に求められること | saki☆のブログ

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先日、人生の中で一番痛かった
出来事がありました。


ヘルニアです。


情けないお話ですが、気づいたことがたくさんありましたので、まとめたいと思います。
もともと慢性的に腰痛を持っていたのですが、湿布を貼ったりコルセットをしたりと緩和療法をとりつつ、なんとか踏ん張っていました。

ヘルニア気味だというのは何年か前から言われていたので、気にかけていたつもりだったのですが、やってきた魔の痛みは想像を超えるものでした。

その日、全顎矯正の患者様を拝見しており、いつもの施術時間より長い時間座った姿勢を保っていました。
座っている時から痛かったのですが、立ち上がると「ビキーーン!!」と激痛が……

そのまま足も運べなくなり、仕事着のまま救急車で病院へ運ばれました。

救急で運ばれた先生は、整形外科の先生ではなく、救命の先生。

私は今まで経験したことのない痛みに驚いてしまって、何でもいいから痛みを取ってほしいと伝えました。

救命の先生では対応できないから整形外科の先生に代わるとのこと。
診てくれた先生に、この痛みはヘルニアではないか?と聞くと、「ヘルニアの痛みは気のせいですね。」と。



「ん??気のせい?」


今思えば、気のせいな訳あるか!!と耳を疑うような説明内容だと気付きますが、痛みに支配されていた私はその時はもう何でも良くて、「じゃあ、気のせいなら痛みを取る治療して下さい。」と伝え、痛み止めと神経注射を打って痛みに絶え絶え帰宅しました。

帰宅しても痛みは良くなることはなく、起き上がることも出来ず、とても仕事に復帰出来る状態ではありませんでした。

その時にふと、この痛みって本当に気のせいなのか?と不信感が芽生えました。

整形外科の先生はきちんとした説明をしてくれませんでした。
救急で飛び込みで行っているため、先生からしたら迷惑だったかもしれません。
私の中では「整形外科の先生が来てくれた」というだけで専門分野の先生が診てくれたことから少なからず信頼していたと思います。自分でどうにも出来ない痛みの時は説明が全くなくても、藁にもすがる思いで先生に託しました。

痛みが取れないと人は対応力が不足した結果なのではないかと思ってしまうものです。

例え痛みが取れなかったとしても、先生が診療の時に十分な説明をしてくれていたら、私はあの夜痛みに堪えながら、先生が説明してくれた内容を頭の中で繰り返し繰り返し、自分を納得させるように耐えられたかもしれません。

痛みが取れれば何も考えなかったはずなのに、痛みが取れなかった時は「これは異常なことなんじゃないか」と思うものです。

医療も全て同じことで、大事なことは十分な説明力と対応力だと思います。
同じ結果が待っていても、説明を十分にしているかしていないかで、信頼関係が変わると思います。

耳障りの良いことだけを伝えるのではなく、デメリットもきちんと伝える。
どうしたら良い方向に向かえるのかを一緒に考えていく姿勢が、患者様に伝わるかどうかが医療従事者として必要な部分だと身をもって実感しました。

「十分説明したつもり」でも、相手に伝わっていなかったら意味がありません。
患者様が「この人なら安心して任せられる」と思えるような説明力と対応力をもっともっと磨いていこうと思いました。