太宰さんが家族を連れて戦後に疎開して住んでいた家

場所・ 青森県五所川原市金木町朝日山317−9

電話・ 0173−52−3063

竣工・ 大正11年 長兄の結婚を機に

設計・ 堀江組 堀江伊三郎

構造・ 木造平屋建て

公開・ 9〜17時 500円 *当時の情報

最終訪問・ 2024.04 GW

青森県の津軽地方北部、津軽半島にある五所川原市金木町にある太宰治氏の生家の離れです乙女のトキメキ
現在、斜陽館の正面からおよそ200m東にありますキラキラ

 

メインの座敷 

 

大正11年、大地主の津島家の跡取りとなる文治(太宰の長兄)の結婚を機に母屋(現・斜陽館)の文庫蔵前から右に延びる渡り廊下の奥に建てられましたウインク

床の間 


離れとはいえ、洋室を中心に両側に二間続きの和室を配置した5部屋乙女のトキメキ

弘前の名棟梁・堀江佐吉の四男・伊三郎の設計による邸宅ですお父さん
太宰は当時13歳でした学校



青春期の太宰は新興地主の出自に悩みましたもやもや
左翼運動への傾倒や度重なる不品行により長兄から義絶されたまま、主に東京で作家活動を続け、やがて生活に安定感が見られるようになった33歳の時に、病床の母を見舞う機会を与えられ、妻子と帰郷(昭和17年)ふとん1



その顛末を小説「帰去来」「故郷」に著していますメガネ
これを境に兄との確執は徐々に溶けはじめ、
小説「津軽」の取材旅行のために再び帰郷(昭和19年)乙女のトキメキ
 

 

しかし、翌年の本土爆撃で三鷹、さらには疎開先の甲府でも7月に罹災し、やむなく妻子を連れて汽車に乗り、津軽の生家に疎開もやもや
そこで玉音を聞きました(昭和20年・36歳)ドクロ

廊下の天井部分 欄間も素晴らしい意匠 


戦後は新座敷に居宅し、生家の畑仕事を手伝いながら、9月には文筆活動を再開ニコニコ
故郷の友人や文学青年たちとの交流や、敗戦後の時流の豹変に対する反発からも
数々の佳作を書き、太宰文学後期への転換期となりました乙女のトキメキ

 

まるで旅館のような素晴らしい廊下 



やがて昭和21年11月に妻子とともに再び上京し、さらに精力的な執筆活動(「斜陽」「桜桃」「人間失格」など多数)を勧めますが、この頃から心身の疲労甚だしく、不眠症がつのり、しばしば喀血ガーン
人気作家になりながらも、上京から1年半後に自ら生涯を閉じました(39歳)ドクロ

柄の入ったガラスは昭和中期かな 


さて、斜陽館に隣接していた新座敷が、なぜ現在は離れた場所にあるのか、、、
戦後の農地改革により地主制度は崩壊もやもや
政界に復帰して青森県知事となった文治は大邸宅を売却しました(昭和23年6月)おじいちゃん

 

サンルーム 



その際に新座敷を母屋から切り離し、現在地まで曳家して金木での居宅としたのです乙女のトキメキ
やがて母屋は旅館「斜陽館」の名で有名になりましたが、離れの存在は時とともに忘れられていきましたもやもや

 

寄木細工の職人技の床 


 

太宰没後から公開されるまでおよそ60年間、ひっそりと隠れていた新座敷は、太宰と津島家の人々の物語を今も静かに抱いていますチョコがけハート
廊下のきしみやドアノブに、窓からの日差しが落とす陰に、そしてこの書斎に、在りし日の作家の体温を感じてみてはいかがでしょうか?

                     *

こちらの新座敷の方は、2011年に来たときにも外観のみの見学で、今回、初めて中に入れました乙女のトキメキ
公開されるまでは、呉服店になっていたようで別の方がお住まいだったのか、太宰さんの研究者でさえ、中に入ることができなかったそうですもやもや

 

洋室の天井



受付で料金を支払うと案内の方が、奥へ案内してくれ、説明も軽くしてくれますウインク
このときはGWだったので、他の見学者の方もいましたが、「斜陽館」ほどの人出はなく、静かです二重丸
もしかしたら「新座敷」の方は知らない方も多いかも知れませんダッシュ

洋室 


内部はそこまで広くなく、メインの座敷や寝室、書斎、居間などあり、真ん中に洋室とサンルームがあり、さすがの堀江佐吉の息子さんの設計で、建築的にも見ごたえがありますが、やはり豪華さは「斜陽館」ほどではないですもやもや

 

斜陽館 明日からUP

 

でも静かに執筆活動をするなら、これぐらいの広さの方がいいのかなと思います乙女のトキメキ
太宰さんの人生もかなり戦争に左右されて、大変な時代を生きられたのだなと思いますガーン

 

現在、改装中の立佞武多館 来年6月工事終了 

 

そんなときに田舎の故郷で暮らした時間は彼にとって、どんな時間だったのか?
太宰さんファンで作品をもっとよく読んでいる方は、ここで書かれた作品を実感できてもっと楽しめるのだろうなあと思いましたピンクハート

 

お土産 五所川原の立佞武多のプリントの袋 



庭の造りの方は、今はもうだいぶ変わってしまったそうですもやもや
大正時代の建築当時は大地主なので、もちろんこちらまで全部、津島家の土地だったそうですアセアセ

 

太宰さんの人形と、このとき活躍していた地元力士


 

現在は静かな商店街があり、GWでもあまりこちらの通りを通る方はいませんでしたおねがい
でも13年ぶりに金木に来れて、今度こそ中に入れて良かったですチョコがけハート

太宰さん・建築・文学好きの方にもおススメです♪