★知られざる北陸の小京都の町並み★
場所・ 新潟県加茂市本町
電話・ 加茂市観光協会 0256-52-0080
竣工・ 江戸時代以降
構造・ 木造2階建て 雁木の町並み
最終訪問・ 2021.05 加茂市は何回も再訪
加茂市は新潟県のほぼ中央に位置し、古くから北越の小京都といわれています
「北越」とは、越後(新潟県)と越中(富山県)の総称です
加茂、上条、狭口、加茂新田、下条、七谷、須田などが合して加茂市になりましたが、市内には、由緒ある神社や寺院も多く、自然的、歴史的景観に恵まれています
加茂の鎮守社が青海神社で、上条、狭口の鎮守社が長瀬神社ですが、両社とも平安時代に書かれた「延喜式神名帳(927年)」にもその名が記されている古い神社です
北陸の小京都、城下町には老舗の酒造の雁木も
加茂の地が京都の賀茂神社の社領となり、青海神社の鎮座地に上賀茂神社と下賀茂神社の祭神が分霊されたことから、「加茂」と呼ばれるようになりました
全国の「加茂」と名の付く町とも関連がありそうです(美濃加茂市とかね)
雪国なので雪解け水による清流が流れ込む素敵な町
さて、戦国時代
加茂地域は上杉氏の支配下にありました(やはり地元の上杉氏は強いなあ)
加茂山公園の一角に要害山と呼ばれる砦跡、即ち加茂城跡があり、歴史のひとコマを現在に残しています
その後、上杉景勝が会津へ国替えさせられると、七谷は村松藩、そのほかの大部分は新発田藩領として、江戸時代後期まで過ごすことになります
慶長17年(1612年)の新発田藩の文書によると、「新発田藩領加茂組」と呼ばれていました
また須田は「鵜之森組」と呼ばれていました
この昭和なフォントがたまらない 現役なら魅力あるのに
万治3年(1660年)加茂の大庄屋浅野三郎右衛門は、加茂の町割りや市場の設置、江川の整備などを行いました
明治時代にこの加茂と上条、狭口、加茂新田などが合併して加茂町となり、さらに昭和29年、30年に下条、七谷、須田が合併して現在の加茂市となりました
このようにして「加茂」が市の名前になっているわけです
加茂商店街は「加茂本」という店主の本も出ている
風情ある雪国の城下町に残る雁木の町並
産業形態は、県下でもまれな複合産業が集積し、木工、繊維、電気器具、機械、金属、皮革製品、食料品等の産業が新しい技術や設備を導入して躍進を続けています(繊維産業の洋館が残るが、その割には知名度なし)
現役の昭和な菓子店と、町家造りも残る
また、「桐たんす」といえば加茂と言われるほど、その技術と品質は、全国的に高い評価を受けています
町の花としては「雪椿」が有名で花好きの方にはオススメです
若者向けのイベントとしては夏の加茂川花火や加茂山公園で9月の第一日曜に行われる「JIN ROCK FESTIVAL」が有名で2013年は山崎まさよしさん、SOUL`DOUTさん、キマグレンさん、ドレスコーズさんも来ました
2018年2月 大雪の「青海神社」 覆いで見えないが
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私が初めて加茂の町に来たのは、まだ旦那と遠距離の頃で2006年くらいだったと思います
そのときは加茂山公園を見学したり、市内の町並みや洋館を撮影したりしました
2回目に加茂市に来たのは、加茂川で滝のような花火が見れる加茂川祭のときでした
このときばかりは多くの人がいて、屋台も出て賑わっていました
確かお盆くらいだったと思います
タイルから昭和初期 かなり初期の2006年
「北陸の小京都」と言うからに、あまり期待していくとそこまで町並みははっきりとはなく部分的なので、、、(新町商店街裏手の谷通りは蔵の町並で素敵)
この町の桐たんす職人の30代の方で、組子の技術がすごくて、その若さで賞を受賞した期待のホープがいます(現代の名工だったかな)
この方の作品は長野県・小谷温泉「山田旅館」さんの明治館の和モダン客室に活かされています
私がこの旅館に宿泊したときは、意外なところで新潟とのつながりが感じられました(長野県の温泉のテーマに記事あり)
加茂は知られざる小京都の町です
ちなみに、この町のかつての大正時代の酒蔵は、現在はリノベーションされ、料亭「山重 仲町通店」になりました
大正時代の建物は和モダンに改装され、Yama Cafeもあったりして、素敵なお店になりました
「Yama cafe」 山重 仲町通り店 古民家カフェ
料亭結婚式も人気で、ここはもっと知られた方が良いと思います
昼の手軽な「和かごランチ」は2200円(席料、サービス料込)からなので、家族のお祝いなどで利用してみたいと思います
町並み・観光・小京都好きの方にもオススメです(^^♪
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