いつもブログをお読みいただき

ありがとうございます。

前回は入社式に出席のため東京へ

向かったところまでお伝えしま

した。

その夜ホテルの部屋で一人、

いろんな思いが駆け巡りました。

特にお世話になった会社の同僚や

先輩がとても懐かしく、ありがたい

存在だったと思え、その方々から

離れて遠い場所にやってきた感覚と

孤独で不安な夜を自分の夢を

信じる力で払拭しようとする心

が相まって不思議な時間を過ごし

てました。

そして翌朝、本社に到着して入社式と

2日間の研修が行われる会議室に入り

ました。

そこに10月入社の32名の同期が一同に

会しました。

採用条件が25歳から40歳までの大卒

男子、できれば既婚で保険営業経験者

不可でしたので、当然男性ばかり、

そして、全員の経歴書が配られ目を

通すと、北は北海道から南は九州福岡

までの名だたる大企業出身者ばかり、

各自のスピーチを聞いても、一瞬で

やり手だろうなと感じさせる人ばかり

でした。

各パートで講師が代わる代わる会社の

歴史や理念、生命保険販売がいかに

崇高な仕事であるかなど話され、

一言一句逃さまいと必死にノートに

講師の話を書き続けました。

そして2日目が終わる頃にコンベン

ションの説明がありました。

2ヶ月間で一定の基準を超えると

サンフランシスコで行われる表彰式

に招待される大イベントのことです。

何が何でも入賞して家族と一緒に

サンフランシスコに行き表彰式で

私が壇上に上がる姿を見せたい、

そして妻を喜ばせ起死回生のサプラ

イズにしたいと胸は高鳴りました。

そしてその基準は2ヶ月で35件の契約

年払い手数料320万円(35件で320万円

を達成するには 1件の保険料が21000円)

つまり保険料21000円以上の保険を

35件以上契約すれば達成可能という

ものでした。

(続)




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前回は辞表を出して妻に

離婚届をつきつけらたとこ

までお伝えしました。

事前に予告をされていた

ことでしたが、実際に離婚

届を目の前にすると想像以上に

動揺しました。

そして妻は「気持ちの整理

がついたら届けを出すから

ここに名前を書いて」と言い

ました。

妻の覚悟を決めた迫力に圧倒

され、私は一瞬言葉を失いま

したが冷静を装い離婚届を

受け取り「わかった」と署名

の欄に自分の名前を書きまし

た。

まさか自分に離婚をつきつけ

られるとは、つい先日まで

は思いもよらなかったショッ

クは相当なものでしたが、

男たるもの、どんな逆境

も往生際の悪い言動や動揺

して取り乱したりする態度は

すべきではないという価値感

がありましたので以後も努め

て普段通りに過ごそうとし

ました。

そうは言っても、入社まで約

1カ月半の時期は自分の選択

は良かったんだろうか。

妻の気持ちは変わるんだろ

うか、など色んな考えが、

駆け巡り心ここにあらずと

いう状態でした。

更に妻の両親から転職の説明

を求められ、実家に出向き

反対する両親にことの成り行

きを説明しましたが、 後か

ら子供になんでお父さんとお

じいちゃん達ケンカしたの

と言われるくらい感情的な

話になってしまいました。

心は晴れないまま長年勤めた

会社の最後の仕事を終えて、

いよいよ10月1日の入社式に

出席のため、名古屋から新幹

線に乗り東京へ向かいました。

(続)

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前回はプルデンシャル生命の面接を

受け合格したところまでお伝えしま

した。

最終面接を受けたのが7月初旬でした。

いつから、来るのかという質問に

本来なら9月1日からというの

が妥当な時期でしたが、私には

やらなければいけないことがあり

ました。

それは、転職を反対している妻に

承諾してもらうことでした。

そしてある日、意を決してプルデンシャル

生命の最終面接を受け内定をもらった

こと、このプルデンシャルの理念は

素晴らしいこと、更に自分を試したい

ということを伝えました。

私の話しを聞く妻の顔を曇り、絶対に

転職をやめてほしい、保険なんて継続し

契約ができるわけがない、

フルコミッションなんてとんでもない、

ということを感情的に私に訴えました。

その日以降も話しをしましたが、

妻の考えは変わらずその話はもう

たくさんという感じになりました。

私がもし強引に進める

なら離婚も視野に入れるとまで

言い出しました。


その言葉は私には想定外でしたが、

成功哲学をやり続けてきて、その

中に成功の5原則というものがあり

ました。

その中の「人が何を思おうが何を言おう

が、鋼鉄のような固い決意が必要」と

文言があり、それを貫くべきだと

覚悟を決めて、8月の上旬に会社に

ついに辞表を出しました。

まさに清水の舞台から飛び降りる

覚悟で行動に移しそのことを

その夜、妻に伝えました。

妻の表情は怒りに震えながら撤回を

してほしいと言いましたが私は

それはできないと答えるのが、

精一杯でした。

数日間二人の会話はなくなり

ある日の夜、妻が私にある書類を

手渡しました。

初めて見るその書類には離婚届と

書かれていました。

(続)