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今日は子供に頃に根付いたコンプレックスについてお話しします。

私の両親は二人とも教員をしていました。
祖母は父の小学校の頃の通知表を大切に保管していて、「お父さんさんはこんなに優秀だったんだぞ」と今でいうほぼオール5の成績を見せながら私にはっぱをかけることがありました。

私はというと体育以外の教科はほぼ3であまり自慢できる内容ではありませんでした。

それで父や母は何であんなに優秀なのに自分はこの程度なのかと不思議というか不本意に感じていました。

ある時授業中に、先生にさされて、「のりよしくん、先生が言ったことわかりましたか?」と質問され、意味がわからなかったので「わかりません」と答えると先生は「のりよしくんはちゃんと聞いていてもわからないんだね」と言いいました。
その時はっと気付きました。確か自分は先生の話を聞こうとしていた、でも何を言ったのかわからない。
ということは俺はアホかもしれない。そうだ間違いなくアホだ。と自分で結論づけたことを何となく覚えています。

この自己暗示は無意識にそれ以後自然と行われ、成人を過ぎてからも自虐的に自分はアホだと普通に口から出ていました。

ただこのことでコンプレックスをばねにしたり、人に優しくなれることは自分にとって財産だったとも言えます。

高3の1学期に職員室で私が担任の先生と進路について相談中、隣のクラス先生が私に「澤田が⚪️⚪️大学に入れるわけがない」と口をはさんできました。

私はその時はうるせ~なくらいしか思わなかったんですが、あとから無性に腹が立ち、あの先公に目にもの見せてやろうと、あの先公の英語だけは100点目指しすことを心に誓い英語だけは必死に勉強し、卒業するまでの5回のテストでさすがに100点は取れなかったですが、90点前後の点数をキープすることができました。

その先生からはコメントはありませんでしたが私にとっては大変有難い存在になりました。
今では大学で英語を学ぶ娘に興味を持って聞いたり、昔覚えたことを教えたりができるのもあの先生のおかげとも言えます。




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今回は祖母のことについて書きます。

私が小さい頃両親は共働きで、祖母に身の回り世話をしてもらい、育ててもらったと言っても過言ではありません。
その分多々影響を受けたと思います。

祖母は結婚後、私の父と叔母を生み、警察官の祖父と4人で暮らしていました。
当時の祖父は、ことあるごとに祖母に厳しく当り、我慢の限界を超えた祖母は 7歳の父と2歳の叔母を連れて木曽川へと向かいました。
自殺を決意し祖母は二人の手を引き、川の中に入って行きました。水が膝あたりまできた時に叔母が「怖いよー、帰ろうよ」と泣き出し、ふと我に返った祖母は死ぬことを思いとどまりました。

この話は私が小さい頃に祖母から直接聞き、少し複雑な気持ちになったことを覚えています。他にもこんなことがありました。
犯罪史上有名な「よど号乗っ取り事件」をテレビのニュースで見ていた時に、もし将来お前がこんな事件を起こしたらおばあちゃんは毒薬飲んで死ぬからなと私に向かって言ったことがありました。

祖母はこのような例え話をよくすることがあり、今考えると祖母の辿ってきた人生に自ら命を絶つというイメージが湧き上がる記憶があったんだと想像できます。

そして改めて、あの時祖母が命を絶つことを思いとどまってくれたおかげで自分が誕生でき、さらにその命を継承できていることへの感謝の気持ちや命の大切さを感じることができる。
石ころだと思っていたものが正にダイヤモンドだったと教えられた祖母の愛だったと感じずにはいられません。

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今日も小学校の頃のあった出来事について書きます。


6年生の時に授業後のクラブ活動で私はソフトボールをやっていました。6時間目が終わると教室で体操服に着替えて練習に行き、終わるとまた教室に戻って着替えて帰宅するというのが日課でした。


ある日の練習後いつものように、入口から中に入ろうるとするとカギがかかっていて中に入れません。

普段は開いているのに当番の先生が間違ってカギをかけてしまったようでした。

僕らはまだ練習していたのにカギをかけらて少々腹が立ちました。


私たちの小学校は1周すると1キロ近くある広い敷地のため、職員室へカギを開けてもらうように行くのにも少々大変でした。


すると入り口上の小窓のカギが掛っていないのを誰か見つけ、身軽な英二君が上に上って中から開けることになりました。


肩車してあげて小窓に手をかけて見事に中に入り、中のカギを開けて入り口が開くとみんな喜びました。

その時、先生がこっちに向かって歩いてきました。


そして先生が僕らを見て、小窓から英二君が入ったことを知ると、彼の額を指先で突きながら「泥棒、泥棒」と5,6回罵りました。


その体罰という名の暴力は殴る蹴るというような激しいものではありませんでしたが、私の潜在意識にしっかり刻み込まれていたようで40年近く記憶の彼方に埋もれていましたが、真我開発講座宇宙無限力コースでゴミとして突然出てきました。


私はそれまで何度か受講していましたが、ゴミが出るという体験はほとんどありませんでした。

それが、その講座の中で突然英二君が先生に何度も額を突かれた場面が蘇り、「あの先公を半殺しにしてやりたい」と何度も何度も紙に書き殴り、同時に怒りがマグマのように溢れだしました。


おそらく友達のために上に上がって入り口を開けてくれた英二君に対し、先生も泥棒じゃないとわかっているのに「泥棒」と罵り続け小突いたこと、カギを掛けてしまった失敗を棚に上げて英二君を悪者にしたこと、そして助けてあげられなかった悔しさなどが深く潜在意識に残っていたのではないかと思いました。


 その後、先生の見方が変わり、もし今後同じことがあり、同じように上って落ちて大けがでもしたら、また先生にとって小窓を上って入るのが「泥棒」としか思えない過去の記憶があったのではとか、やはり先生もあなたの行為も愛だったんですね。と変った瞬間がありました。