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今日は子供のころに父親言われたことをお話します。


毎年、正月に母方の祖母長男の家に母親の兄弟親族が集まり、ワイワイと語り合う恒例行事があり、父母弟と一緒に伺いました。


私としてはお年玉をもらえるし、おいしいものも食べらる、家では褒められることがないですが、母方の祖母や親戚のおじさん、おばさんには学校のことや得意なことを聞いてもらい褒めてもらえるので子供ながらに楽しいイベントではありました。


ただ一つだけ腹が立つことがありました。

それは、玄関に入り父は出迎えてくれる祖母や長男ご夫婦とあいさつ代わりに会話が弾み、その後私に向かって「ちゃんと挨拶したか!」と言ってくることでした。


私は父が大きな声で話している時に「あけましておめでとうございます」または「おはようござます」と玄関開けたらちゃんとあいさつしているにもかかわらず、聞いてないのか、挨拶しているのを聞いていても厳格な父親を見せるためになのはかわかりませんが、そんな言い方をしてくるわけです。


その一言が子供ながらに腹が立ち、「あいさつしとるわ!ちゃんと聞いとけ」と言いたくなるほどでした。

このことは翌年から私がヤケクソの態度に出ることになり、訪問最初に「おめでとうございます

」父が話に夢中になっている時にもう一度「おめでとうございます、」話が途切れた時にダメ押しで「おめでとうございます」と3回言う。父親に何も言わせないことを目的に挨拶をするようになりました。


この経験は自分が子供を育てる時に、大変参考になり、子供がやっているかどうかを確認して注意をすることができ、自分は人一倍認めてほしいことを表に出す性格だというこがわかりました。

その分、人を認めることの大切さを学び、認めることを意識できるようになったのではないだろうかと思っています。





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今日は自分が生かされていることを心から知った出来事についてお話います。

23歳の5月の休みの日に私は友人とウインドサーフィンに出かけました。

5月の初旬で天気はうす曇り、海に入るには少々寒い日でした。私は初めてでしたので友人の操舵するボードに腹ばいに乗って、スイスイ進むそのスピードにワクワクしておりました。

陸がかなり遠くなった時にそろそろ一度戻ろうということになり、方向を陸に向けようとしましたが、その日は陸から沖へ向かって風が吹き思うように戻ることができません。

少しずつ沖へと流されていくのがわかり、友人も操作がままならないようで、私は意を決して少しでも戻りやすくするため泳いで陸に向かうことにしました。

その方が操作がしやすくボードも戻ることができるだろうと思ったからです。いざとなったらまた乗せてもらうつもりでいましたし、泳ぎには自信があったのでリスクはあまり感じませんでした。

少し泳いだところで自分がほとんど進んでいないことに気がつきました。風と同じで潮も沖へと流れる状態で思った以上に早いようでした。
焦りを感じて友人に助けを頼もうと振り向くと彼は更に沖へと流されていました。大きな声で呼んでも私の方へ向かうことができないくらい離れてしまい、事の重大さを感じ始めました。

しばらく力を振り絞り泳ぎましたが、やはり進んでいきません。周りを見渡しても他にウインドをやっている人は見当たらず、船も通りません。
次第に寒さから手足が動かなくなり初めて命の危機を感じました。

その時ふと明日のことが頭に浮かびました。
当時交際中の嫁さんと翌日待ち合わせをしていて、このまま死んでしまったら待ち合わせ場所に現れないことに心配するだろうな、待たしてしまうなあ、また父や母はまさか自分がこんなことになっているとは思っていないからこのまま死んだらどんなにショックをうけるだろうか。

それにしても死ぬ時はあっけないものだなあと考えていました。正直生きて帰れることはありえないと、あきらめておりました。

あきらめかけたその時突然彼方に陸へ向かって進んでいく漁船が見えました。
ありったけの声で助けを求めると私に気づいてくれこっちへ向かって来てくれました。
一隻の船に助けられ、友人にも救助をお願いし、二人は奇跡的に生還することができました。

ほんとうにこのときのこの方々を神様のように思えました。

あの時の船は例えるなら、私をまだ死なせてはいけないという大きな力によって、海上に突如現れたようにしか思えませんでした。
そしてこのことをきっかけに自分は運のいい人間だと確信し、何より命の重さを知りました。今振り返り生かされている。この愚かな若者は本当に生かされていたと思うことができました。


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今日は若い頃の父のエピソードを紹介させていただきます。

父は今から20年前に亡くなりました。その時の葬儀を準備を進める中で叔父が、自分があるのはお父さんのおかげであると感慨深げに話してくれたことがありました。

叔父は母の弟にあたり、
前回にのブログでご紹介しましたが、父母二人とも教員をしてました。
なり染めは父が大学の時に教育実習に行った中学に母がいたことから交際が始まったそうです。

話は叔父の話に戻りますが、叔父が中学2年の時に中学校に私の父から電話がありました。

父は叔父の通う中学ではない別の名古屋市内で教員をしていて、市内全中学で実施された実力テストの結果を何故か別の中学に勤務していた父が叔父のテストの順位を見て、そのことで話があるから父の中学に明日来いと電話をしてきました。

翌日叔父が父に会いに行くと、父から「ひろゆき(仮名)、お前この前のテスト何をやっとるんだ! 学年300人中60番? お前美恵子と血がつながっているんだろう。なのにこの順位はどう言う事だ。お前ならもっとできるだろうトップを目指せ!」とはっぱをかけられたそうです。

私から言わせれば300人中60番でも悪くないし、いくら交際相手の弟でも他校の生徒を自分の中学に呼んで説教するなんて無茶苦茶だなあと思いましたが、叔父は言われた通りに必死に頑張って次回の実力テストで300人中1位を取ったそうです。
本気になったら何でも出来ると確信でき、それ以来それは座右の銘になり事業でも成功できたのはあの一言があったからだと言ってくれました。

それを聞いて父からは私は小さい頃勉強や運動でトップを目指すよう言われたことは一度もなかったのは何故なのかなと思いました。

もしかしたら、私の個性がトップを目指すより自由に好きなことをさせる方が良いと思ったんだろうかと思いつつ、改めて父と母の子供に生んでくれたことに感謝しています。