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今ここに生きる理由がきっとある

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滞っております京都レポ。 忘れないうちに・・・メモ 


天龍寺

よりもここに来たかった


弘源寺

天龍寺の門をくぐってすぐの場所にあります。


元治元年7月19日 禁門の変の前、長州藩士たちの宿舎になっていた弘源寺。


ここに彼らが付けた刀傷があるんです。


閉まってたね・・・

どうやら、特別公開日以外は見られないらしい。 しかもお正月だったせいで御朱印ももらえなかったね・・・(´・ω・`)


テンション下がりまくりで、天龍寺を見学

こういうの好き


庭園も見てきた。特にこれと言って興味があるものは無かった・・・あせる


天龍寺を後にして、竹林の道は大渋滞ビックリマーク


野宮神社を通り過ぎて

いや、だってこの列!! あり得ないでしょ~あせる昔来たときは閑散としてたのに・・・


野宮神社は源氏物語にも出てくる場所ですね。六条御息所と光君が最後のお別れをした場所。


源氏物語で一番苦手なのが御息所だな~。怖いおばちゃんって感じだもん。(←実は源氏物語好き)


野宮神社は伊勢に仕える斎宮となる娘が3年間(だったと思う)ここで身を清める場所。

御息所の娘がその斎宮になるので、付き添いで一緒にここにいました。


鳥居は樹皮がついたままの黒い鳥居が珍しいです。 


しばらく歩いていくと、柿舎の畑の前の無勤庵という建物の前に


土佐四天王像

右から。慎太、さかもっちゃん、武市さん、吉村寅太郎さん

銅像になっても武市さんはかっこいいなぁ音譜




四天王は何を見ているかというと


こんな。




渡月橋まで戻ってきて

お茶休憩はイクスカフェ




わたしはパフェと呼ぶにはどうなのよ的な物を。相方氏はおしるこ。お餅は自分で焼く。

観光地価格!? これでドリンクついて1200円って高っ!! 

アイス2個食べて、アイスグリーンティーを飲んで、すっかり体が冷え切ったところでお散歩開始。


渡月橋


ここも渋滞。






夕食は市内に戻ってきて


池田屋に御用改め

来るつもりは無かったんだけど、候補に挙げてたお店がことごとく満席で池田屋行く~はてなマークみたいな雰囲気になって、結局来てしまった。


御用改めで~すパー 近藤さん目線はこんな感じ。


は~いパー


ここから落ちたら痛そうだよ


新選組や、さかもっちゃんのグッズが置いてある、謎のコーナー。


新選組!放送中。 

ノンアルコールドリンクは薄桜鬼のコースターが貰えるので、推し隊士をひたすら飲む。

へーちゃん推しなのだ。 たまには土方さんも。


食べかけ感のあるものがw




2日目終わり。


つづく

2日目のテーマビックリマークわたしが愛読している元治元年版るるぶ(仮) 伊庭八郎征西日記から、イバハチが見て回ったところに行ってみる。


これ絶対やりたかったネタで。むしろこれをやりたいために今回京都へ行ったようなもの。


さすがに全部は回りきれないので、ほんの一部だけ。


征西日記は元治元年正月から6月まで、もっちー公のお供で上洛した時の日記で、

どこへ行って何を見た、何を食べた、何を買ったとかはもちろん、虫歯が痛いからお稽古休む、赤貝にあたって寝込む。しかもお見舞いの品が全部食べ物ww 読んでて、ものすごい面白いです。 


正月21日

夜九ツ時頃(深夜0時頃)、宿に帰る。そのあと、北野天満宮・大社(平野神社?)・金閣寺へ参詣。

金閣楼を見学。

ここは東山義政公が造らせたもので、見どころが多い。


えー、イバハチ・・・金閣寺は義満公ですよ~義政公は銀閣寺 (←読んだ人全員ツッコんでると思う)


というわけで、北野天満宮と金閣寺へ。平野神社はスルーしてしまいましたw



北野天満宮

菅原道真をおまつりした神社の総本山で、国宝の社殿は慶長12年(1607年)豊臣秀頼公が造ったもの。


楼門


三光門


社殿は国宝。 

イバハチが見た景色と同じ景色が見られるなんて幸せだなぁ合格


裏にある御土居。 秀吉が築いた土塁ですが、今では北野天満宮に残っているだけみたいです。

イバハチが行った時期はちょうど梅の季節。満開の梅を妄想する・・・フッ




金閣寺に行く前に、土方さん好きなら外せない

上七軒

文久3年11月に土方さんは小島さん宛てに『つまらないものですが、これを贈ります』と、小包を送っています。

開けてみると中から芸妓さんたちから貰った恋文が入ってました。というか、それしか入ってなかった!! 

つまらないものですが、と言っておいて、ホントにつまらないものを贈る土方さんステキですラブラブ


で、その小包に付いていた送り状に『女の子にモテちゃって、島原では花君太夫、天神、一元、祇園では芸子3人くらい、北野では君菊、小楽・・・(略)尽忠報国なんか忘れちゃうよビックリマークなんちゃって!!』と、やたらテンションが上がってる感の文がDASH!


新選組では鬼って言われてる土方さんが、夜な夜な(かどうか分からないけど)にやけながら貰った恋文を包んでる姿・・・想像するだけで萌えるんですけど←わたしだけ(-∀-)


その文の中で北野というのは上七軒のこと。

この君菊さんは土方さんとの間に娘をもうけていたとウワサがある人です。


町家が立ち並んでて、今でもお茶屋さんがあります。

プチタイムスリップ気分音譜

高下駄履いてこの道歩いてたんだろうな~、カッコ良かったんだろうな~

ということで、わたしも祇園・島原・上七軒 京の3大花街制覇!!


金閣寺 正式名称鹿苑寺 鹿苑は義満公の戒名から。


総門


舎利殿

ここは外国人多かったー。着物来てても日本人じゃなかったしな。



2月8日

宿の主人の案内で妙心寺へ。帰り道龍安寺へ。等持院にも行って足利13代の木像を見学して、北野道で帰る。夕方帰宅


妙心寺は広いのでスルー。イバハチの逆ルートで北野道で龍安寺へ


龍安寺

桜が綺麗なんだろうな・・・


石庭 申し訳ないが何がいいのか分からんかったあせる


方丈内部の襖絵のほうが見てて面白かったな~・・・


左側にある“つくばい”は大日本史編纂のために龍安寺から太平記を借りたお礼に水戸藩主徳川光圀が寄進したらしい。


龍安寺から等持院へ向かう参道

江戸時代もこんな風に道案内の碑が立ってたのかな。この碑は確か昭和時代。


等持院

イバハチの解説通り、ここには足利初代~15代までの木像があります。イバハチが13代と書いてるのは5代と14代の木像がないからです。


文久3年2月22日に賀茂川の河原に初代・2代・3代の木像の首と位牌が晒された事件がありました。

八重の桜でもあったけど、会津藩士大庭恭平もからんでいた事件です。


ちょうど、江戸から浪士組(この中の一部がのちの新選組)が上洛する前日の事。


その、木像と位牌がここにあります。

首に切れ目入ってるのかな~はてなマーク じっくり見てみたけど、どの木像も胴体と首は離れる仕組みっぽかったです。


本堂



左に見えるのが義政公が建てた茶室



ここのお寺落ち着く~音譜 ってことで、お庭を眺めながらお茶をいただきました。

ほんの少し義政公の気分になれたかな。


お菓子は柚子風味で美味しかった合格


イバハチの後を追うはこれで終了。


わたしたちは嵐山へ向かいます。


イバハチ、宇治や鞍馬、愛宕山登山まで行ってるのに何故か嵐山へは行ってないんですよね。


宇治や鞍馬も楽しそうなんで、次回行きたいな~


つづく



伏見から市内へ戻ってきて、やっぱり来てしまった


池田屋

前回は新選組ルートで祇園会所から歩いたので、今回は池田屋にいたメンバーの吉田稔麿(栄太郎)さんルートを歩きました。


元治元年6月5日

栄太郎さんはお酒の準備と手紙の発送を、池田屋さんに依頼しています。

集まった志士たちは30名程。

新選組に捕えられた古高俊太郎さまを助けるための、打ち合わせ中だった志士たち。

そこへ、新選組が『御用改め』と乗り込んできます。


栄太郎さんは、すぐに2階から飛び降り長州藩邸へ向かいます


池田屋から長州藩邸までは5分くらい。 今は信号があるのでなかなか渡れませんあせる


着いた!!

ゴミ捨てないで~汗


長州藩邸へたどり着いた栄太郎さんですが、再び外に出ます。
ま~た信号だよ・・・DASH! 交差点だから仕方ないけど


河原町御池の交差点、薬局前の吉田稔麿殉節之地の碑は最近出来たもので、八重さんと御土居とセット。

自転車置き場になってるとウワサを聞いてたから、自転車なんか退かしやるぜビックリマークと意気込んで行ったら、そこだけ空いてた・・・(謎すぎる)


加賀藩邸前で大人数に取り囲まれ、口論のすえ惨殺される。


明治まで生きていたら総理大臣になっていただろうと言われた栄太郎さん。24歳でした。


実は、藩邸に帰ってきてから出ていくまで1時間半ほどたっていて、その間に何があったのか、なぜ栄太郎さんが藩邸から出たのか分かっていないようです。(2012年発行の資料より)



夕食は料亭幾松を予約しました。 佐久間象山&大村益次郎遭難の地の前ビックリマーク

間口は狭いけど、建物は広い。 ちなみに洋風の入り口の隣です。高札立ってるとこ。


池があって鯉が泳いでいたり。


広い部屋にふたり・・・。

床の間にかけてある掛け軸は西郷南洲の書、西郷隆盛さんです。

ひたすら落ち着かないとつぶやいていたw



幾松は今は料亭になっているけど、もともと桂小五郎さんと幾松さんが住んでいた屋敷で、桂さんが亡くなってからも幾松さんはここで暮らしていました。


幾松さんが亡くなる前、この屋敷を友達に譲る際『このままにしておくこと』と約束したので、今でも当時のまま残っているのです。


食事の前に、幾松の間という部屋に案内してもらいました。


幾松の間は、敵(!)の襲来に備えていろいろな仕掛けがあります。

抜け穴から外に出られるようになっているのですが、川に繋がっていたので、一時的に川まで逃げて、敵(!)が帰って行ったあとまた戻ってくる仕組み。(敵ってwww)


吊り天井は天井裏には石が置いてあり、いざという時に天井板を落とすと一緒に石も落ちてくる仕掛け。

一度も使われたことはなかったようです。 今は石は外してあります。


新選組の詮索が入った時、幾松さんがとっさに桂さんを長持の中に隠し『この中にもし誰もいなかったら、切腹してください』とタンカを切り、新選組から守りました。


それがこの長持


桂さんゾーン。写真やら書やら。

この部屋はこじんまりとしてて、落ち着けました。


部屋全体の写真は無い(爆)



食事は会席料理でございます。お正月メニューです。


お雑煮が出ました。初白みそ&丸もち!!この白みそはおいしく食べられた。


どれも美味しくてお腹いっぱいになりましたー合格

お酒も飲んで満足音譜な夕食でした。


1日目終わり。