京都旅行☆1日目☆池田屋&幾松 | 今ここに生きる理由がきっとある

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伏見から市内へ戻ってきて、やっぱり来てしまった


池田屋

前回は新選組ルートで祇園会所から歩いたので、今回は池田屋にいたメンバーの吉田稔麿(栄太郎)さんルートを歩きました。


元治元年6月5日

栄太郎さんはお酒の準備と手紙の発送を、池田屋さんに依頼しています。

集まった志士たちは30名程。

新選組に捕えられた古高俊太郎さまを助けるための、打ち合わせ中だった志士たち。

そこへ、新選組が『御用改め』と乗り込んできます。


栄太郎さんは、すぐに2階から飛び降り長州藩邸へ向かいます


池田屋から長州藩邸までは5分くらい。 今は信号があるのでなかなか渡れませんあせる


着いた!!

ゴミ捨てないで~汗


長州藩邸へたどり着いた栄太郎さんですが、再び外に出ます。
ま~た信号だよ・・・DASH! 交差点だから仕方ないけど


河原町御池の交差点、薬局前の吉田稔麿殉節之地の碑は最近出来たもので、八重さんと御土居とセット。

自転車置き場になってるとウワサを聞いてたから、自転車なんか退かしやるぜビックリマークと意気込んで行ったら、そこだけ空いてた・・・(謎すぎる)


加賀藩邸前で大人数に取り囲まれ、口論のすえ惨殺される。


明治まで生きていたら総理大臣になっていただろうと言われた栄太郎さん。24歳でした。


実は、藩邸に帰ってきてから出ていくまで1時間半ほどたっていて、その間に何があったのか、なぜ栄太郎さんが藩邸から出たのか分かっていないようです。(2012年発行の資料より)



夕食は料亭幾松を予約しました。 佐久間象山&大村益次郎遭難の地の前ビックリマーク

間口は狭いけど、建物は広い。 ちなみに洋風の入り口の隣です。高札立ってるとこ。


池があって鯉が泳いでいたり。


広い部屋にふたり・・・。

床の間にかけてある掛け軸は西郷南洲の書、西郷隆盛さんです。

ひたすら落ち着かないとつぶやいていたw



幾松は今は料亭になっているけど、もともと桂小五郎さんと幾松さんが住んでいた屋敷で、桂さんが亡くなってからも幾松さんはここで暮らしていました。


幾松さんが亡くなる前、この屋敷を友達に譲る際『このままにしておくこと』と約束したので、今でも当時のまま残っているのです。


食事の前に、幾松の間という部屋に案内してもらいました。


幾松の間は、敵(!)の襲来に備えていろいろな仕掛けがあります。

抜け穴から外に出られるようになっているのですが、川に繋がっていたので、一時的に川まで逃げて、敵(!)が帰って行ったあとまた戻ってくる仕組み。(敵ってwww)


吊り天井は天井裏には石が置いてあり、いざという時に天井板を落とすと一緒に石も落ちてくる仕掛け。

一度も使われたことはなかったようです。 今は石は外してあります。


新選組の詮索が入った時、幾松さんがとっさに桂さんを長持の中に隠し『この中にもし誰もいなかったら、切腹してください』とタンカを切り、新選組から守りました。


それがこの長持


桂さんゾーン。写真やら書やら。

この部屋はこじんまりとしてて、落ち着けました。


部屋全体の写真は無い(爆)



食事は会席料理でございます。お正月メニューです。


お雑煮が出ました。初白みそ&丸もち!!この白みそはおいしく食べられた。


どれも美味しくてお腹いっぱいになりましたー合格

お酒も飲んで満足音譜な夕食でした。


1日目終わり。