京都旅行☆1日目☆伏見 | 今ここに生きる理由がきっとある

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京へ2泊3日で行ってきました。



1日目は相方氏の希望で伏見へ。 


その前に・・・前回ご挨拶出来なかったたあの方々へご挨拶


東福寺駅から歩いて15分くらいかな。泉湧寺の門を通って行きます。


禁裏御陵衛士の方々が眠っている戒光寺です。 

事前に予約しないとお墓参り出来ないようになってます。


お墓に行く前に本堂にある位牌にも手を合わせてきたんだけど、ここの釈迦如来が丈六と言われている通り、身の丈5m以上!!

運慶・湛慶父子の合作で重要文化財です。一見の価値ありです音譜


受付して許可証と鍵を受け取り、お墓がある場所へ。


心無い人がいたようで、入口はこんな。

切り花のお供えはOKだったので、花束ブーケ1持っていきました。 この写真の門の向こうは荒地っぽく見えるけど、撮り方の問題で、実際は綺麗ですよ~


衛士たちは最初は光縁寺に埋葬されたんだけど、明治元年にこちらに改葬されました。


ここからもう少し行くと孝明天皇陵。孝明天皇の御陵を警護する衛士らしい場所に眠ってます。


御陵衛士好きでずっと行きたかった場所だったから、行けて良かった音譜



その後、伏見へ


長州藩邸や薩摩藩邸がある場所ですねー。 


御陵衛士メンバーが油小路から逃げてきて匿ってもらったのが、伏見の薩摩藩邸。 

(最初に行った白川の土佐藩邸(←陸援隊の屯所)ではお断りされてます汗) 



三十石船乗り場


龍馬さんとお龍さんはここから舟に乗っていったそうで、妙に色男な龍馬さんが居たw

愛の旅路って!!

寺田屋発見

龍馬伝で見た通り、川の前に建ってた!!


想像してたよりずっと小さかったんだけど、江戸時代はもっと大きかったのかな。



内部見学したかったのに休み・・・怖い 
表札が『寺田屋 坂本龍馬』になってるよあせる 龍馬さんちですか。



伏見の街並みは趣がありますね合格

酒造メーカーの月桂冠と黄桜の建物がこんな感じで建ってます。

月桂冠の資料館も休み・・・あせるあせる


龍馬通り商店街

寺田屋から逃げてきた龍馬さんが、ここの通りの建物の屋根づたいに逃げたということから。 (龍馬伝でもそのシーンあった)


ぷらぷら散策した後は鳥羽伏見の戦いの足跡を辿って・・・


会津藩の陣があった場所 

って、来るまで知らなかった!! 三郎たちはここから出兵したのかなはてなマーク



慶応3年12月9日 王政復古の大号令が発せられ、12日には慶喜さんは会津、桑名藩兵を率い大阪へ退去。

新選組も大坂へ下り14日大阪天満に布陣。16日伏見の警備を任され伏見奉行所に布陣

ガイドマップと同じアングルで撮ってみる。

団地の入り口にこの碑が建ってます。ここに住むと新選組がいた場所で過ごせるっていう特典付き。



18日、永井さんから軍事について相談したいことがあるということで、近藤さんは二条城へ向かいます。


この日、二条城からの帰り道に近藤さんは御陵衛士メンバーの襲撃にあいます。


わたしが持ってる資料をパッと見ただけでも、近藤さんが襲撃された場所というのはこれだけあります。


島田さんの日記 伏見黒染付近を通りかかったところ


戊辰役実録 京街道黒染手前丹波橋付近 黒染より三四町手前


阿部さんの思い出インタビュー 尾張の屋敷があったとこ


というわけで戊辰役実録から。この辺はてなマーク



もう少し南へ。 行き過ぎた感がw 1枚目と2枚目の間っぽいっすね。

右肩を撃たれた近藤さんですが、無事伏見奉行所へ戻ることができましたが、傷が深く剣は持てなくなりました。



慶応4年1月3日 鳥羽伏見の戦いが始まります。


大山弥助(のちの大山巌)率いる薩摩藩はここ、御香宮神社に布陣



高台にあった御香宮とちょっと離れた場所にある桃山善光寺から奉行所はよく見え、標的となりました。


薩摩藩は桃山善光寺(龍雲寺)に大砲を設置し奉行所を砲撃開始。新選組も大砲一門を御香宮へ向けて撃ち、砲撃戦となりました。


ここで永倉さんのアレです。斬り込みに行って戻ってきた永倉さん、奉行所の塀が乗り越えられず島田さんに引っ張り上げてもらったってエピソード。ぐっさんと照英さんを思い出すw(←笑うとこじゃないけど)


御香宮からはどんな景色が見えるのかな~はてなマークって思ったけど、住宅が立ち並んでてなんも見えなかった。 


さすがに新選組を追って淀まで下れなかったので・・・


料亭 魚三楼は運よく戦火から免れ


鉄砲の跡が見られます。

ここで、夕食食べようと思っていたんだけど休みでしたあせるあせるあせる


休みばっかりじゃないかー


つづく