2日目のテーマ
わたしが愛読している元治元年版るるぶ(仮) 伊庭八郎征西日記から、イバハチが見て回ったところに行ってみる。
これ絶対やりたかったネタで。むしろこれをやりたいために今回京都へ行ったようなもの。
さすがに全部は回りきれないので、ほんの一部だけ。
征西日記は元治元年正月から6月まで、もっちー公のお供で上洛した時の日記で、
どこへ行って何を見た、何を食べた、何を買ったとかはもちろん、虫歯が痛いからお稽古休む、赤貝にあたって寝込む。しかもお見舞いの品が全部食べ物ww 読んでて、ものすごい面白いです。
正月21日
夜九ツ時頃(深夜0時頃)、宿に帰る。そのあと、北野天満宮・大社(平野神社?)・金閣寺へ参詣。
金閣楼を見学。
ここは東山義政公が造らせたもので、見どころが多い。
えー、イバハチ・・・金閣寺は義満公ですよ~義政公は銀閣寺 (←読んだ人全員ツッコんでると思う)
というわけで、北野天満宮と金閣寺へ。平野神社はスルーしてしまいましたw
北野天満宮
菅原道真をおまつりした神社の総本山で、国宝の社殿は慶長12年(1607年)豊臣秀頼公が造ったもの。
社殿は国宝。
イバハチが見た景色と同じ景色が見られるなんて幸せだなぁ![]()
裏にある御土居。 秀吉が築いた土塁ですが、今では北野天満宮に残っているだけみたいです。
イバハチが行った時期はちょうど梅の季節。満開の梅を妄想する・・・
金閣寺に行く前に、土方さん好きなら外せない
文久3年11月に土方さんは小島さん宛てに『つまらないものですが、これを贈ります』と、小包を送っています。
開けてみると中から芸妓さんたちから貰った恋文が入ってました。というか、それしか入ってなかった
つまらないものですが、と言っておいて、ホントにつまらないものを贈る土方さんステキです![]()
で、その小包に付いていた送り状に『女の子にモテちゃって、島原では花君太夫、天神、一元、祇園では芸子3人くらい、北野では君菊、小楽・・・(略)尽忠報国なんか忘れちゃうよ
なんちゃって
』と、やたらテンションが上がってる感の文が![]()
新選組では鬼って言われてる土方さんが、夜な夜な(かどうか分からないけど)にやけながら貰った恋文を包んでる姿・・・想像するだけで萌えるんですけど←わたしだけ
その文の中で北野というのは上七軒のこと。
この君菊さんは土方さんとの間に娘をもうけていたとウワサがある人です。
町家が立ち並んでて、今でもお茶屋さんがあります。
プチタイムスリップ気分![]()
高下駄履いてこの道歩いてたんだろうな~、カッコ良かったんだろうな~
ということで、わたしも祇園・島原・上七軒 京の3大花街制覇![]()
舎利殿
ここは外国人多かったー。着物来てても日本人じゃなかったしな。
2月8日
宿の主人の案内で妙心寺へ。帰り道龍安寺へ。等持院にも行って足利13代の木像を見学して、北野道で帰る。夕方帰宅
妙心寺は広いのでスルー。イバハチの逆ルートで北野道で龍安寺へ
方丈内部の襖絵のほうが見てて面白かったな~・・・
左側にある“つくばい”は大日本史編纂のために龍安寺から太平記を借りたお礼に水戸藩主徳川光圀が寄進したらしい。
龍安寺から等持院へ向かう参道
江戸時代もこんな風に道案内の碑が立ってたのかな。この碑は確か昭和時代。
等持院
イバハチの解説通り、ここには足利初代~15代までの木像があります。イバハチが13代と書いてるのは5代と14代の木像がないからです。
文久3年2月22日に賀茂川の河原に初代・2代・3代の木像の首と位牌が晒された事件がありました。
八重の桜でもあったけど、会津藩士大庭恭平もからんでいた事件です。
ちょうど、江戸から浪士組(この中の一部がのちの新選組)が上洛する前日の事。
その、木像と位牌がここにあります。
首に切れ目入ってるのかな~
じっくり見てみたけど、どの木像も胴体と首は離れる仕組みっぽかったです。
本堂
ここのお寺落ち着く~
ってことで、お庭を眺めながらお茶をいただきました。
ほんの少し義政公の気分になれたかな。
イバハチの後を追うはこれで終了。
わたしたちは嵐山へ向かいます。
イバハチ、宇治や鞍馬、愛宕山登山まで行ってるのに何故か嵐山へは行ってないんですよね。
宇治や鞍馬も楽しそうなんで、次回行きたいな~
つづく











