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今ここに生きる理由がきっとある

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宿泊は湯田温泉の松田屋ホテル


お部屋は竜馬さんでした。 なんと、お部屋が空いてるからとグレードアップしてくれましたクラッカー


お抹茶と外郎をいただきます。

山口の外郎はもちもちしてて、小豆の味がします。



竜馬さんのお部屋なだけに、掛け軸が新政府綱領八策www

他のお部屋も見たくなります。


肝心のお部屋の写真撮ってなかった。

こちらのお宿はなんと!!高杉さん・龍馬さん・桂さん・西郷さん達が入ったお風呂があって、貸切で入れるのです。


1860年に造られたこのお風呂 維新の湯

浴槽だけ当時のもの。←当たり前か。 割と広かったです。 


妄想が止まら~~~ん(///∇//)

 


浴槽だけでなく、ホテル内には小さいけど盛りだくさんな資料館もあります。



このホテルの楓に落書きした高杉さん


文久3年、松田屋の横にあった楓に文字を刻んだそうです。

『盡国家之秋在焉』 とあります。 (国家ニ盡ストキナリ)



谷潜蔵が前原一誠に宛てた手紙。 谷潜蔵は高杉さんの事。前原彦太郎は前原一誠の事。

12月26日の日付。 月の異名って馴染みがないから、ぱっと見て何月か分からなくないですか?あせる


四境戦争で小倉を任せた前原さんとお酒を飲んだあと、具合が悪くなった事を伝えてます。


「・・・小生も酒楼に越候日より少々発熱の気相鎮り候ところ、又々胸を痛み、昨夜は少し痰に血も混じり候位の事に御座候・・・ 」


高杉さん(´・ω・`)

この手紙のもう少し後に前原さんに出した手紙を萩で見ることになるのは、まだわたしは知らないのであった・・・



禁門の変、天王寺のメンバー表

貴重な資料が他にもたくさん。 ちゃんと書き下し文、訳文や注記があったのが嬉しかったです。


靖○のあそこなんか置いてあるだけでしたから・・・ 



ホテル内だけでなく、お庭にも貴重なものがあるのですよ



池の水が温泉水の鯉・・・

じゃなくて


西郷さん・桂さん・大久保さんが会見した建物!!


慶応3年9月に枕流亭に来たのは前のレポで書きましたが、その時にここにも来たそうです。


中はこんな感じ

八重の桜のキャストでここに座ってもらいたい・・・


文久3年 孝明天皇の側近だった三条実美さんは長州藩と共に天皇の大和行幸を計画し、攘夷の徹底を促そうとしました。

しかし幕府は長州藩が政権横奪をたくらんでいるとし、8月18日に長州藩主の職権をはく奪、三条実美たち天皇の側近であった7人の公家に参内を禁じます。

7人の公家、七卿は京を追われ長州藩士&宮部鼎三さんに護衛され、長州へ落ち延びることになりました。 これが七卿落ち。


七卿たちは松田屋を長州藩士との密会所として使っていたようです。


実美さん手植えの松


実美さんの句碑

『時しあらばよにあひおひのひめ小松 君にひかるることもありなむ』



歴史とは関係ないけど足湯。

気持ちいいよ~

一の坂川の周りは小京都らしく、雰囲気がいいのですが・・・


そんな雰囲気とは全く違うこちら。



錦の御旗製作所跡

松下村塾年少組 品川弥二郎。ヤジがここで錦の御旗を作ってました。


このあたりに養蚕所があり、その一室で作られました。


ヤジは九段下公園に銅像があるのでご存知の方も多いはず。

でも、なぜあそこにあるんでしょうかはてなマーク



明治24年の過剰な選挙干渉で死者を出して迷惑かけたり。(←ヤジは迷惑かけたとは思ってないだろう)


ドイツ留学後にドイツの信用組合を参考に今でいう農協(JA)、生協、信用金庫の基礎をつくった人でもあったり。


維新で亡くなった志士たちのために、京都に尊攘堂を建てたり。


維新後も藩で使っていた建物が残ってたり、跡地に碑が建ってたりするのはこの人が残そうとしてくれたからだと思う。 だいたい碑の裏をみるとヤジがいるので。


ヤジ、ありがとう。


ヤジ&市ィ かわいい・・・ 萩往還の道の駅にいるよ音譜





瑠璃光寺の五重塔がある香山公園内にある


枕流亭

慶応3年9月 薩摩から小松帯刀・西郷隆盛・大久保利通・大山巌が山口に来ました。

桂さん・広沢さん・俊輔・ヤジが出迎え、ここ枕流亭で内緒のミーティングが開かれました。


この建物はもともと、安部家の離れで市内の道場門前にありました。(道場門前には碑があります)

何度か移設されたあと、昭和35年ここに落ち着きました。


建物の中に入れるので妄想可能です。 


枕流亭の隣にあるのは


露山堂




政事堂の近くに建てたお茶室。 ここでは身分の上下関係なく内緒のミーティングが行われました。

萩城にも同じようにお茶室がありましたよ。


この建物はヤジが資金を集め買収し、明治24年にここに移設されました。


お茶室の周りの庭園はその時造られたもの。


わたしの推しメン、市ィ(山田顕義)の通学・通勤経路をたどってみます。

市ィはヤジと共に松下村塾年少組。 身長150cmくらいで童顔。めちゃくちゃカワイイ。


可愛い顔して、マスジから普門寺塾で西洋兵学を学び、大田絵堂の戦い、四境戦争、鳥羽伏見の戦い、北越戦争、箱館戦争すべての戦に勝っているという。連戦連勝の男!!


維新後も軍人として仕えますが、松下村塾で一緒に学んだ山県有朋に徹底的に嫌われ、陸軍から追われてしまいます。


その後は司法の道に進み、日本大学、國學院大學を創設。



では、歩いてみましょう。


政事堂の門として建造されたものが今も県庁にあります


旧山口藩庁門


この道をみんなが通ったと思うと感慨深いです。






藩庁を出て9号線をまっすぐ西に進むとマスジの宿舎&塾があった普門寺があります。


藩庁が萩から山口に移った時、マスジは江戸から呼び戻され明倫館の改革にあたりました。


大村益次郎が普門寺の観音堂を宿舎にしていたことで、この場所で兵学を教えることになり、当時は普門寺塾と呼ばれていました。



観音堂

想像以上に小さくて驚きビックリマーク 何人くらいを教えてたんだろうはてなマーク


普門寺自体は小さくないので、最初こっちが塾なのかと思ってた笑




市ィの自宅は位置が正確には分からなくて。 


普門寺からは近く、住所は山口市白石。 アドバンス21ヴェルデ白石というマンションの下。


という手がかりのみ怖い 


が、マンションがランドマーク化してたから意外と簡単に見つかったクラッカー 


赤い矢印の方向へ進んでいくと






この坂の上がアドバンス21ヴェルデ白石なのですぐ分かると思いますパー


はっけーん!!

ずいぶん崖っぷちに家建てたな・・・ クリフサイド市ィ家(←違うと思う)


ちなみにこの付近は高杉さんが両親と雅子ちゃんと梅之進くんのために家を建てた場所でもあります。

残念ながら家が完成したのは高杉さんが亡くなってからのことでした。


高杉さんのパパは維新後も山口県庁にお勤めしてたので、東京に移り住むまではこのあたりに住んでいたと思います。



おまけ。 市ィの自宅からすぐ近くにあったこの石


2枚目の写真の青い矢印の方へいくとあります。


山田顕義寄付金の碑


石に書かれてる字が消えちゃってほとんど読めないんだけど、説明板には


自然石の碑は、明治初年に白石の道を補修した時の寄付金が書かれています。

山田顕義 金貮十円とあります。


と、書かれてありました。 



いやいやいや読めないよ~~~あせるあせる



隣にあったこれは何だ!?