今ここに生きる理由がきっとある -41ページ目

今ここに生きる理由がきっとある

ブログの説明を入力します。

お祭りに2日間とも行くつもりだったから、写真を何にも撮ってこなかった・・・(TωT)


資料館も、グッズの購入も今日行くつもりだったからスルーしてた・・・(TωT)


まさか行けなくなるなんて


悔しい~~~~!!!


そんな訳で、写真無いけど昨日の講演会レポUPします。 文字ばっかりです。

高幡不動尊の奥のほうでw1時半からあった伊東成郎氏の講演会


絶対面白いだろうと思って楽しみにしてたの(-∀-)



内容は、会津藩主松平容保公の面白い話や斎藤一さんの奥様、時尾ちゃんのお話がメインでした。

容保公は鳥羽伏見&戊辰の話はほとんど残してないらしいんだけど、息子の恒雄さんに語ったエピソードを紹介してくれました。

鳥羽伏見の戦いの最中のこと。夜、小舟に乗って本船に乗り込む時、本船から縄梯子を下ろして乗船しなければならなかった。
父は体が弱く、運動は苦手。なので、この縄梯子をどう登っていいのか悩んだ。 それを笑いながら話してくれた。


これ聞いたとき、あーやっぱりね。と思ったのですよ。 慶喜さん&容保公&定敬くんが小舟に乗って脱出してる浮世絵?を見たとき『これ、どーやって、開陽丸に乗ったんだろはてなマーク』って思ったんですよね。

やっぱ、縄梯子だったか!! でも、ちゃんと上れて良かった良かった。

慶喜さん&定敬くんは体育会系だから、ひょいひょい上っていったんだろうな。



時尾ちゃんの話は籠城戦時、看護を担当していた時の話。当事者だけに生々しいです。

30余年たったけど、あの事を思い出す度に涙がでます。わたしがこの世にいる限り忘れられない悲しみです。 と時尾ちゃんが語っています。


伊東さんは未公開って言ってたけど、この話どこかで聞いたことあったんだよな~、でもどこで聞いた(見たのか)忘れちゃったあせる 


昼夜構わず大砲が落ちてきたけど、慣れてくれば怖くなかった。でもトイレやお風呂に入ってるとき、大砲に撃たれたら恥ずかしいと思った。


あるあるある。わたしの場合は地震だけど。



新選組の話でツボだったのが近藤周助さん(近藤勇の養父)の話。


女性好きで奥様の他にお妾さん3人と一緒に暮らしていた周助さん。

土方さんが『女好きが過ぎるのは身体に良くないですよ』と忠告すると、妻妾4人並べて真ん中に座り『そうですか、そりゃどうも(〃∇〃)』 って言ってやった。


土方さん、あんたが言うなーーーー(爆)



記念品はこれ。

後ろにファスナーが付いてて、ペンケースに使えそうだったんで、松下村塾で買ったペンを入れようとしたら相方氏に『ダメダメダメーっヽ(`Д´)ノ』って止められた。 
1399716134646.jpg


抽選会で当たったポストカード

前川邸のお土産品。3Dなのだ。
1399785974929.jpg

ゲストで桑名藩士関川代次郎さんの子孫の方がいらっしゃってましたが、家にある資料を掘り起こしてみたら居ました。居ました。


桑名藩の戊辰戦争は複雑で、みんなで抗戦!! みんなで降伏!! ではないのですよ。


①恭順派。お城を無血開城し新藩主をたて、謹慎。ひたすら謹慎。 まだお子様な新藩主を謹慎させることで、『可哀想でしょはてなマークなんとかならないはてなマーク』作戦は成功。


②前藩主定敬くんについて柏崎へ。一応恭順。←関川代次郎さんはココ


③江戸へ行き、上野戦争へ←森常吉さんはココ


④旧幕府軍と合流。宇都宮戦争へ。←立見鑑三郎くんはココ。



その後、②はいつの間にか抗戦派となり、会津→仙台→蝦夷へ・・・ (定敬くん自体は抗戦派っていう訳ではなく、担がれて蝦夷まで行っちゃったって感じみたいです)

③と④は会津で戦ったり、北越でガタの親友の時山くんを斃したり、庄内藩と一緒に勝ち戦を繰り広げてたりしたあと、仙台で②と合流。

庄内藩と一緒に戦ってたチームは、庄内藩が降伏した時に一緒に降伏し仙台に行っていません。



久々に桑名藩の資料読んだら面白かった~~~ラブラブ 




続いて永倉さんの子孫、長倉達郎さんの講演会へ。 5時からなのに伊東さんの講演会&抽選会が終わったのが4時半!! 超急いだ。



岡山には新選組隊士がたくさんいたと言うお話。


これも家に眠ってた資料の中から補足になりそうなネタがあったので、ちょっと紹介。


頂いたレジュメに書いてある岡山出身の隊士たちです。


蝦夷への渡航へあたり、桑名・備中松山・唐津の藩主のお供する家臣は3名までと制限されたので、ほとんどの藩士は新選組へ加入しました。


新選組は転戦を繰り返しているうちに人数が激減。新選組を残したい思いがあったのか、藩士の加入を提案したのです。



依田織衛さん『新選組への加入は藩主のお供の渡航の手段であり、蝦夷へ着いたら新選組からは離脱する!』と言ったことで、桑名と唐津は受け入れるけど備中松山は引き受けられない』と土方さんを怒らせちゃいます。( ̄□ ̄;)!!

京都時代に比べたら温厚になったとはいえ、怒らせたら怖いですよぉぉぉ

依田さんの態度を申し訳なく思った乙部剛之進さん本武権平さは土方さんに謝ります。

辻七郎左衛門さんは依田さんと仲の悪かった桑名の森常吉さんに土方さんの様子を伺い取り持ってもらえるよう頼んでもらいます。

依田さん 面倒くさいやつだな!!


※辻七郎左衛門さんは唐津藩士のようです。なぜ、備中松山藩にいるのか不明。

※伊藤安右衛門さん、辻七郎左衛門さん、矢部兵庫吾さんは藩主のお供として蝦夷を脱出しています。

※千葉栄さんはもともと僧侶で藩主が宿舎として使っていた谷地頭の佐吉さんという人の紹介で家臣に加えられ新選組に加入という面白い経歴の人。



最後に。 


わたし新選組の中で3番目に安富さんが好きなんだけど、帰藩した後は帯刀を許されなかったってずーっと思ってたんですよ。

というか、わたしの持ってる資料にそう書いてあったし!! 


実は帯刀OKだったって・・・・ そうなんだ。それなら良かったよ。安心した。

新選組だったってことで、差別されてたんじゃないかって思ってたから。  



だれだよ、わたしに嘘教えた輩は!!

幕末とはちょっと離れて。

応仁の乱で敗れた大内義弘を弔うため弟の盛見が建てた五重塔があります。

いいお天気でお散歩にちょうど良かったです







大内氏が滅び、毛利氏の領地になりその後、関ヶ原の戦いに敗れ山口から萩に移った時、この五重塔は解体されることとなります。

が、町民が奉行所に嘆願書を提出しそれを受け、五重塔は残されることになりました。


山口市内は幕末以外では室町時代の神社、寺院が多く残っています。


時間が無かったので今回は全然行けなかったので、来年は山口市内を重点的に回ろうかなーと思います。

明治10年頃創業。平成8年まで山口の迎賓館として使われていた料亭。


料亭としての役割を終えた後は、今の場所に建物を移転させ保存することになりました。



菜香亭


ここを訪れた人は幕末のメンバーは三条実美、桂さん、俊輔、聞多、ガタ、山田顕義、後藤象二郎、佐々木高行、大鳥圭介など


建物に入るといきなり聞多の『菜香亭』の書

『菜香亭』の命名は聞多。


世外って書いてあるの見て『あ~、聞ちゃんだ』って言ったらガイドさんが『そうそう、聞ちゃん』ってのってくれたて、これで幕末好きが一瞬でバレたsei



『近くに十朋亭っていう所もありますよ』 『もう行ってきました』 『さすがー』 なんて会話しながら、案内してもらいました。





ここを訪れた人の書がずらーっと並んでいます。 これらの書はその場で書いてもらったものだとか。

ガイドさんが『聞ちゃん、利助、ガタ』って呼ぶのがツボ。


手前 『清如水平如衝』 木戸孝允  

奥 『四面菜香滌気心』 井上馨




手前 『一家天地自風』 伊藤博文

奥 『江山轄如』 山県有朋




『快作楽』 三条実美

東京や京都と違って人の目が届かなかったから、山口に来ては息抜きと称して遊びまくっていたらしい。 マジメなイメージの実美さんだったけど意外。 



安倍首相の書(左側)。 これは2009年に自分で持ってきたらしいです。

手前 『寂気凌秋日』 安倍晋三

奥 『万象具眼』 山田顕義


大鳥ちゃんの書。 大鳥ちゃんが山口に来てたなんて知らなかったビックリマーク

『天意憐迷艸 人間重晩晴』



彼と記念撮影とかしてみちゃったり。(等身大)

嫌がってる!? そんなことないよね!! 照れてるだけだよね!!


彼細い・・・あせるあせる


全国初紹介の高杉さんが住んでいた場所

高杉さんファンは行くべし!! ←とか言ってわたしは行かなかったが。



2階には佐藤栄作が使っていた北客間



土佐部屋といわれる南客間

後藤象二郎、佐々木高行が来ています。


佐々木高行の書があったんだけど、写真撮る係が佐々木高行知らなくてスルーしてきちゃったあせる


ガイドさんから聞いた話で、書が佐々木高行のものだって分からず飾っていたそうです。

それが、坂本龍馬ファンの人に『これと同じ署名の書を土佐の資料館で見た。そこには佐々木高行の書だと書いてあった』と指摘を受けたんだそうです。

それで調べてもらったら本当に佐々木高行のものだと判明したんだそうです。


歴史ファン、すげぇぇぇ!!