19~21日に下関と防府へ行ってきました。
20日に桜山神社の創建150周年記念行事があってそれに参加するためです( ´艸`)
19日。
お昼12時に新山口駅に集合![]()
まず、長登銅山文化交流館の館長の案内で美祢へ向かいました。
こちらの資料館は主に銅山の展示なんですけど(奈良の大仏の銅はここの銅を使ってるんだそうです)、大田絵堂の戦いの時の銃や弾丸、撒きビシ(忍者がばら撒くトゲトゲのやつ)、日記などの展示品がありました。
萩政府軍本陣跡の門
絵堂・旧柳井邸の門で、道路工事に伴いここに移設されました。
弾丸の跡が残っているんですけど、指を入れてみると弾丸が残ってるのが分かります。
『指入れてみな~』って言われて、恐る恐る入れてみたw
※大田絵堂の戦いについては、詳しく知りたい方はこちら→ http://www.oodaedou150.jp/news.html
撰鋒隊士の墓
どこなのか、分かりません
でも、開戦の地とそんなに離れてなかったです。
萩政府軍側の墓碑で水津岩之允・駒井小源太の刻銘があります。
説明板の通りです。
光明寺の横にあります。 このお寺には槇村正直さんのお父様のお墓があるそうです。
お父様といっても、実父なのか?養父なのか??
正直さんは八重の桜で高島政宏さんが演じてましたね。ちょっと嫌な感じの役でしたけど。
金麗社
詳しい説明は前回来たときのブログに詳しく載せたので、割愛させていただきます笑
よかったらどうぞ→ http://ameblo.jp/sa20c19/entry-11445327108.html
御楯隊だったんですね(@_@)
御楯隊といえば芥川龍之介のお父様も御楯隊士だったんですよね~
今回の旅行でこの元治四年って表記、墓碑を見てると時々見かけました。
長州では、わりとよく使ってたのかも。
もし、長州旅行に行くことがあったら、ちょっと注意して見てみるのもいいかもしれません。
この後 長登銅山文化交流館の館長を交流館まで送ってから
おくれても おくれても 又 君たちに ちかいし事を 吾忘れめや
と書かれている碑です。
大河で高杉さんが言葉にしていたので、記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。
有名な 『動けば雷電の如く 発すれば風雨の如し』 で始まる碑文は伊藤博文のもの。
明治44年5月20日に行われた除幕式では井上馨が長~い演説を披露したところ、出席してた女学生がバッタバッタと倒れてしまうという事態に・・・(((゜д゜;)))
なんで、井上馨が演説したのかというと、明治42年に伊藤はハルビンで暗殺されてしまったからです。
碑文は暗殺される1か月前に決めたそうです。
題焦心録 高杉東行
内憂外患迫吾州
正是邦家存亡秋
将立回天回運策
捨親捨子亦何悲
焦心録と題す
内憂外患吾が州に迫る
正に是れ邦家存亡の秋
将に回天回運の策を立てんとす
親を捨て子を捨つる亦何ぞ悲しまん
背後から高杉さんが拝めます。
なんか、高杉さんに仕えてるみたい。
もう一つの高杉さんの像
東行庵には赤根武人のお墓もあるんだけど、わたくし墓前で号泣してしまって![]()
![]()
でも、みんなが『気持ちわかるよ~』って言ってくださったので、良かった(*´Д`)=з
安富さんのお墓参りした時は我慢出来たんだけどなー(;^ω^A
こちらは学芸員さんの解説を聞きながら見学。
高杉さんが功山寺で決起したときに着用していた甲冑がありました~(〃∇〃)
野山獄に入っていた時に持っていた石もありました~。これ見たかったの。
松陰先生が伝馬町獄で書いた『21回クレイジーな事するはずだったけど、あと17回残ってる』って書いた手紙とか。
松陰先生の画に小田村伊之助さんが賛をつけたものとか。
今、長府博物館は移転工事の為に閉館しているので、博物館のものがこちらで展示してあったりします。
得した気分( ´艸`)
これでこの日の観光は終了したはずだったのですが、なんとサプライズで古川薫先生の講演会に連れて行ってもらえることに![]()
高杉晋作の死生観 というテーマでした。
講演会の後は亀山神社でお夕食
高杉さんの好物の鯛![]()
5人で一皿 キター Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒(。A。)!!!
うまうまでした~
などなど
どれも美味しかったです![]()
つづく


























































