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今ここに生きる理由がきっとある

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今回は珍しく、はとバスツアーバス



東京国立博物館→谷中霊園→江戸城→増上寺


を回るコースです。



何度かボランティアガイドさんとも廻ってるし、わざわざ、はとバスで観光するエリアでもないんですが笑


ガイドがバスガイドさんじゃなくて、講釈師さんなのです。

珍しいですよね~



東京駅から東京国立博物館へ



ここでは幻の江戸城再現バーチャルリアリティーを観賞


これがすっごい良かったんですよ~

講談ライブ付き!!

江戸城を再現したのも、凄いと思うんですけどそれよりも、気になったのがどうして再現できたのかはてなマーク



それは

当時の江戸城の図面が残っていたから。


外観はそれで再現できますよね。じゃぁ、内装ははてなマーク


それもちゃんと残っているのです。 将軍に『襖絵こんな感じでいいっすか~』って確認する用の絵が。色つきで。 


で、面白かったのが、日記。 (弘化?年のリフォームの時の)


絵師さんが天袋に絵を描いてる場面を書いていて、そこに見学してる上様(家慶さま。家定さまのパパね)とお小姓も描かれてるの。 (ちゃんと“上”、“お小姓”って書いてあった)


家慶さまなら、見学来そう!!どんな風に書いてるの?って見に来そう!!



こういう日記が残っているから、お小姓がどのように座って、刀を持っていたのかとか分かるんだそうです。 


これらの資料が見れたのが、良かった(´∀`)



そのあと、50分のフリータイムだったので、甲冑とか刀とか見たい展示だけ見てきました。



谷中霊園までは歩いて~


この建物。位置は黒田記念館の前あたり

昔あった、博物館動物園駅っていう駅の跡


今まで全然気づかなかった。



寛永寺の根本中堂は八重桜が見事で、花びらが舞ってて綺麗でした。(征西日記風に)








谷中霊園と言えば慶喜さんのお墓


土曜日なのにスイーツ屋さんに行列が出来てなかったので驚き。←そこかよwww



伊達宗城さまとか他の人のお墓探すのが出来なくて、雲井龍雄さんの供養碑だけ見つけました。





撰文 人見寧  勝ちゃんきたーーーーーγ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ


みなさん、高橋お伝さんのお墓の説明聞いてるのに・・・


ごめんなさい(●´ω`●)ゞ


お伝さんは最後の斬首刑だった人だそうです。




お昼は江戸城の楠木正成公の銅像の前のレストラン



江戸時代のレシピ本からお料理を再現したお弁当

土方さん、こういうの食べてたのかな~、イバハチこういうの好きそう♡なんて妄想しながら、食べましたよ。もちろん(〃∇〃)



食後は、恒例になりつつある


銅像で遊ぶパー


手乗り 楠木正成



捕まえたビックリマーク

楽しかった~音譜 



江戸城は、北桔橋門から入りました。


写真撮ってないんだけど、この橋、名前通り跳ねあげて収納できる仕様になってるんです。よく見ると上にフックが付いてます。


行ったら確認してみてくださいパー



天守閣と大奥に一番近い門で、火事や敵が攻めてきた時など、橋を跳ねあげて遮断できるようになってます。





入るとすぐ天守閣の石垣。


上の地図で顔スタンプ押してある方向から見るとこんな感じ




この石垣は1657年の明暦の大火といわれる火災で焼失した当時のまま。 



石垣を見てもらうと分かりますが、ヒビが入ってますよね。


これは火災のため。 右側(後ろ)は火の影響が少なかったため、綺麗なままなんだそうです。




中奥(将軍がお仕事をする場所)がこの辺。



午砲台跡

明治時代、お昼を知らるための大砲が設置されていました。 それの跡というか位置。



松の廊下を通って



三の丸尚蔵館を見学して


大手門を通って帰ります。



最後に



江戸城の石垣の石は伊豆から各藩が運んできた来たもので、積み方が3種あります。



野づら積・・・自然石をそのまま、うまい具合に積み上げる。 主に堀に使われている。

↑秋の写真でごめんなさい。写真撮ってこなくてあせる



打ち込み接ぎ・・・表面だけ綺麗にして積み上げる。野づら積より高く積める。 見栄えが良いので目立つところに使われている。


切り込み接ぎ・・・綺麗に成形した石を積み上げる。天守閣、大手門とか、自慢したい場所に使われている。





最後は、増上寺へ




将軍家墓地が公開されているので、お参りしたあと、本堂で和宮さまとご対面。 等身大の木像があります。

宝物殿では今、イギリスから借りてきた二代将軍秀忠の台徳院殿霊廟模型が展示されているんですけど、このツアーには残念ながら組み込まれてません・・・


間に合わなかったそうです(TωT)


あと葵紋柄のクッキー買おうと思ってたのに、売ってなかったー(。>0<。)



残念な気持ちの中、バスは東京駅へ



講釈師さんのお話はいつものガイドさんと違って面白くて、楽しい1日でした(-^□^-)



最後に丸ビルの5階から東京駅


写真撮るのにいい場所なので、おススメします。 


丸の内ビルディング、1階にロクシタンがあるビルね。

今さら感満載なんですけど汗  続きです。




午後は八軒屋・京屋跡・三橋楼などを廻りました



この辺は前回も行っているのでレポは省略させていただきます。


詳しくは→ こちら


八軒屋から三橋楼へ向かうこの階段の凹んでいる部分

これ、常夜燈が置いてあった跡なんだそうです。


これ。




竹式楼跡  【中央区北浜1-1】

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まったく当時の面影は残っていないので、写真もどこを撮っていいのか分からずwww 


安政5年12月27日、備中松山藩(今の岡山県)の山田方谷先生を訪ねるために、長岡藩(今の新潟県)を出発した河井継之助さんは安政6年7月5日に大阪に到着。6日に竹式楼に宿泊。



今月末、河井さんに会いに長岡に行ってきま~す キター Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒(。A。)!!!




この辺りが岩城升屋跡  【高麗橋1】 

文久3年、岩城升屋に賊が入った時、京屋に滞在中だった新選組は山南さん他3名が駆けつけ、斬りあいに。

この時に受けた怪我により、第一線を退いたと言われています。




大阪会議終結の地 加賀以跡(花外楼) 【中央区北浜1-1-14】


このレリーフの隣のビルです

明治も結構勉強してきてるので、この場所はテンション上がったー上げ上げ

大阪会議って何?って人がほとんどだと思うので、ここで説明パー 



細かく説明すると時間かかるし面白くないので、ざっくりと。間違ってたらごめんなさいね~。



発端は明治4年に行った海外視察、岩倉使節団。



この時、使節団の留守中に大きな改革や重要な人事異動はしないようにと約束されて、出発して行ったんですね。


が、そんな約束は残留組は守っていませんでした!!



明治6年8月、 使節団が不在中にも関わらず


朝鮮に対し国交要求を受け入れるよう説得するために、西郷さんを朝鮮へ派遣しよう!と決定してしまったのです。


これは西郷隆盛を中心として板垣退助、江藤新平、後藤象二郎、副島種臣が主張した征韓論が発端。


※征韓論=朝鮮を武力で開国させよう!という主張。西郷さん的には出兵ではなく、あくまでも交渉で。って考えだったみたいです。


翌月帰国した使節団はびっくり( ゚Д゚)ぽかーんです。


ちょっと待ってちょっと待って西郷さん、征韓論ってなんですの? ←上手いこと替え歌出来た。と思ってるwww 



帰国組は大反対。



反対派の意見は まず国内の整備が先でしょう! です



10月に行われた閣議では、三条実美さんが西郷さんを朝鮮への派遣を決定させます。 (この時期のトップは太政大臣の実美さん)



それに反対した大久保さん、木戸さん、大隈さんたちも辞表を提出。岩倉さんも辞めたいと言い出す始末。


ここでついに実美さんダウン怖い



代わりに岩倉さんが太政大臣に就任。ゴリ押しで西郷さんの朝鮮派遣は延期と決定しました。



このことによって西郷隆盛、板垣退助、江藤新平、後藤象二郎、副島種臣は下野


(下野=げや。官僚を辞めて一般人に戻ること)


これを明治6年の政っていいます。



ここから明治政府は迷走がさらに加速あせるあせる



退助は愛国公党を結成。自由民権運動を開始。


島津久光は訳わからん事言ってくる。


おまけに佐賀の乱・神風連の乱・秋月の乱・萩の乱などの士族の反乱で国内は大混乱


士族の不満に対応するため、大久保さんと大隈さんは台湾出兵を主張。


これに反対した木戸さん (またかよw) が、ついに下野。山口に帰ってしまいます。



気付けば主要メンバーで残ったのは大久保さんだたひとり・・・ガーン!! 



さぁ、どうなる 明治政府!?



ここで、立ちあがったのが俊輔&聞多 (この時はもう伊藤博文&井上馨だけど)


聞ちゃんはこの頃、大阪で実業家として成功していました。

(最初、大蔵省にいたんだけど、江藤新平と対立して辞職に追い込まれた。江藤さんが下野した後、復活)


明治政府のグダグダっぷりを、これじゃぁいかん、何とかしなければ。と2人で考えたのが


木戸さん、大久保さん、退助を引き合わせて大阪で会談をさせようビックリマーク計画。



大久保さんはこの計画に大賛成。

(そりゃ、そうでしょう)


聞ちゃんは木戸さんを説得するために山口へ。


退助の仲間にも協力してもらって退助を大阪へ呼び。



大阪では五代友厚が協力。


(五代さんについてはこの後、説明しますね。この場はスルーしちゃいます)


自分の家をミーティングの場として提供。大久保さんは五代さんちで準備。 俊輔はやっぱりパシリであちこち飛び回り。



1か月間に渡るミーティングを重ねて

そして、ついに明治8年2月11日


大久保・退助・木戸の3人で大阪での会議が行われました。



ようやくここで三権分立に基づく改革案が合議されたのでした。


おめでとう~~~~クラッカー 



(参考:衆議院憲政記念館の頂き資料、大河ドラマ・八重の桜、萩・幕末維新検定テキスト)



たったこれだけの碑でも、めんどう・・・大変な物語があったんですねぇ



そして、ここまで読んで下さった方


ありがとう~~~~合格



というわけで、レリーフに俊輔と聞ちゃんがいるんですね。



これで政府も方向性が決まったかというと、そうでもなくて、数か月後むかっには崩壊してしまうんですけどねあせる



つづく

日曜日。お花見を兼ねて、高杉さんの足跡をなんとな~く辿ってみました。



高杉さんがいた桜田藩邸は日比谷公園の北西部~法務省あたりがその敷地だそうです。



image

長州藩上屋敷(桜田藩邸)


聞いていた通り、桜は終了してました(=◇=;)

桜は終わってたけど、花壇はカラフルに春らしくなってました音譜




この辺が藩邸跡かなー


テニスコートから向こうの法務省



藩邸の配置図があれば、この辺が有備館で~とかいって、妄想も出来るのに(-з-)



藩邸付近にあった水飲み場。日比谷公園ができた明治36年のもの。


馬も飲めるように水受け。



築山にも登ってみたけど、とにかく滑る! 雨の日は危険です。




ちょうど大河で安政の大獄が始まったけど、松陰先生が伝馬町の獄に送られた時は高杉さんは昌平坂学問所に遊学中でした。


桜田藩邸から学問所まで歩いてみようと思ったのですが、結構雨が降っててしかも寒い!


というわけで、電車で・・・20分くらいで到着!



昌平坂

学問所で高杉さんのご学友だったのが、わたしの大好きな唐津藩士 大野右仲(すけなか)くん♡



2人は仲が良かったので、一緒にこの坂を登ったり下ったりしたこともあったのかな(´∀`)



その後、戦うことになるなんて(´・ω・`)



第二次長州征伐では小倉口を唐津藩主小笠原長行様が総督。対する長州側は高杉さん、ガタが指揮。


この時、大野くんが加わっていたのかは分かりません。






湯島聖堂 (昌平坂学問所跡)

学校が終わった後『これから、久坂も誘って遊び行く?』なんて言ってたのかな (←激しく妄想中)




昌平坂学問所は関東大震災で焼失してしまっているのですが、入徳門と水屋だけは焼けずに残っています。


入徳門 宝永元年(1704年)建造 





孔子の像

これは昭和50年のもの。



ぐるりと回ったあとは、神田明神



学問所の近くだから、絶対行ってるはず。







神馬の明ちゃん、いなかった。雨だもんね。




その後、せっかくだから湯島天神へ行こうって事になり・・・


結構歩いた。


途中でものすごい坂を発見!!

実盛坂っていうらしい。


この地形って、池の名残りっぽい。(説明板には特に記述はありませんでした)

新宿の荒木町も高須藩邸にあった池の名残でこんな感じの地形になってるんですよね。




湯島天神


雄略天皇2年(485年)創建と言われていて、文明10年(1478年)太田道灌が再建

太田道灌出てきたー(*゜▽゜ノノ゛☆  道灌ゆかりの地に住んでるわたしは嬉しいのだ♡



でも、ただひたすら寒かった・・・



そんな感じで、江戸巡り終了。



次回は大鳥ちゃんルートを辿ってみようと思ってます。

いつになるか分かりませんが( ´艸`)