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今ここに生きる理由がきっとある

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大関ヶ原展





早々に割引チケット購入してずっと楽しみにしてたので、さっそく日曜日に行ってきましたよ~



チケット売り場は大行列だったので、これから行かれる方は事前に買っておいた方がいいですよ。



展示は お宝満載!!


詳しくはこちらから↓


http://sekigahara2015.com/


リストを確認してお見逃し無いように(°∀°)b




残念な事に、見たかった長政の甲冑が来てなかった(´□`。) 


これ。 (写真だけ来てた)

我が家ではこの冑をBSアンテナって呼んでるんだけど、(伝令を受信する時は、ぐるぐる頭を回さないといけないという仕様)

隣にいた若者たちは『WiFi』って言ってましたw



福岡では展示されるみたいです。いいなーいいなーいいなー


軍師 官兵衛展の時にも来てなかったような。 見た記憶がない。



楽しみにしてたプロジェクションマッピングの関ヶ原の戦い


分かりやすかったけど、期待してたよりちょっと・・・


あ、あれ?こんなもん??みたいな(;^ω^A




戦国時代では三成さんと大谷さんと信繁さんが好きなんですけど・・・ 


初心者すぎて語る知識ないですw  



常設展もリニューアルオープン記念で、無料合格だったせいもあって混雑してました。

両国は勝海舟さんの生まれた地なので、勝さんの展示コーナーが出来てました。



で、次の特別展ポスター



花燃ゆ キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!



ドラマはすでに脱落していて真剣に観ていないのですが、展示は楽しみビックリマーク


長州砲見たい!!


年度末でものすごく忙しく、皆さまのブログに訪問する時間もなくてゴメンナサイ(´・ω・`)


あと2日なので、がんばりますヾ( ´ー`)



大阪史跡ツアーの続きです。




天保山から大阪駅へ。


ここで全員集合して総勢10名。


駅で自己紹介や写真撮影をしてから出発ビックリマーク



午前中のコース


しじみ橋(碑2ヶ所)➡肥前小城藩蔵屋敷跡➡鍋島海岸➡大阪天満宮



古地図ではこんな感じ


四角で囲った橋がしじみ橋


並べてみると当時の地形が残っているのがわかりますね目


曽根崎川跡




肥前小城藩蔵屋敷跡

碑には
小城藩は鍋島藩の支藩で幕末の騒乱の時は本藩と従い、維新の鴻業に参加した


とあり、藩の説明であって蔵屋敷の説明ではないっていうw


(鍋島藩とは佐賀藩の事です)


近くに長州の蔵屋敷の碑もあったみたいで、そちらには七卿落ちの際に三条さん達が立ち寄った場所でもあるようです。



大阪天満宮


征西日記では何度か登場。一番充実してた日がコチラ。


5月26日


天満橋を渡り天神へ参詣。 堂島へ行き米市場を見る。この辺りで一番繁盛している十二月しるこ屋へ行き、食べた。 



十二月しるこって何だろう?? 美味しかったのかな。




大阪天満宮は大塩平八郎での乱(天保8年/1837年)で全焼。その後、本殿は天保14年(1843年)に再建されています。




表門を通って、上を見ると立派な方位盤

これよく見ると酉の位置に鳳凰!  なんで鳳凰なのかは分かりません。




梅が満開でした♡



登竜門

テントが邪魔だったw


こちらは弘化2年(1842年)に再建。


中国の黄河上流で鯉などが下に集まり、多くは登れないけど、登れたら龍になれるという故事からきています。


そこを通れば出世できると言われる関門となったのです。



これで午前中は終わり。


午後からは大阪でガイドをしているYさんが登場!


とっても濃いツアーになりました。



前回の大阪史跡巡りツアーはこちらから 大阪①  大阪②  大阪③  大阪④  大阪⑤

⑤あたりが今回と合ってるかと。




つづく

3月7日は、たま助さん主催の大阪の史跡巡りツアー


先発隊5名は天保山に向かうため、大阪駅に8時半集合・・・


楓音さんと待ち合わせしてたので、絶対に遅れてはいけない!!


と、思ってたのにちょっと遅刻してしまった(><;)






もともとツアーに組み込まれてなかったんだけど、どうしても行きたかった場所だったのです。


天保山は 日本で一番低かった


東日本大震災の影響で日和山という山が今は一番低いらしい。



征西日記


5月16日


(上様が)駕籠で5ツ半時(午前9時頃)出発。

お供が揃い、京橋口から船に乗る。

父上や奥詰がお供したが雨で難儀。


安治川から船は天保山へ。雨風が強く、その上お腹が空いたので天保山に登り、お昼にした。

海岸に出て軍艦を見学したが、間もなく出航になった。

13隻の船が中央で煙を吹き上げ、江戸城に出発していった。


自分たちは宇治川筋を歩いて新丁通りから心斎橋を通って帰宅。




三角点の場所が山頂なんだけど、天保山の碑がある方が高い感じが・・・



江戸時代はこんな感じ

イバハチの見た天保山からの景色は望めなかったけど、得意の妄想力を発揮させて。

他には明治天皇観艦之所という、巨大な碑も。


明治元年3月26日 (慶応4年の間違いではないだろうか・・・)
大阪行幸の際、ここで諸藩の軍艦による海軍の操練をご覧になられたそうです。



この後は渡し船ビックリマーク


こちらの船で対岸まで


さらば、天保山(^O^)/


たった5分のクルージングだったけど楽しかった♡


慶応4年1月6日
慶喜さんは僅かなお供と備中松山藩主板倉さま、会津藩主容保さま、桑名藩主定敬くんを連れ(こちらの3名はお供無し)、大阪城を抜けだし8日天保山沖から開陽丸に乗って江戸へ向かった。



どんな気分で慶喜さんはこの海を見たんだろう

置き去りにしてきた藩士たちの事を少しでも考えていた?



考えてないだろーなwwww (※個人の感想です)



つづく