長州旅行☆周布さんのお墓参りと、やっと萩 | 今ここに生きる理由がきっとある

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聞多の家を後にして向かった周布政之助さんの最後の地


周布さんは長州藩の正義派のトップ。第一次長州征伐後、藩政は俗論党が優位に立っていたという話は前回書きました。


その為に正義派は命を狙われることになるのです。 


責任を取ってお世話になっていた吉田藤兵衛さん宅で切腹します。


同じ日。袖解橋で聞ちゃんは、なます切りになっていました。



周布政之助の碑


周布さんは土佐の山内容堂公に悪口を言ったため蟄居になるのですが、そこは周布さん、名前を麻田公輔という名前に変えて、しら~っとお仕事を続けました。(藩の命令だと思う)

なので、お墓の名前は麻田公輔です。手紙も麻田公輔で書いてます。なんでも鑑定団に出てた。


この碑の裏にある共同墓地に眠っていらっしゃいます。



お酒好きだから、お酒をお供えしたけど、この人酒癖悪いんだよねあせる 向こうで誰かに絡んでなきゃいいけど。


周布さんはお酒に関する武勇伝(失敗ともいう)を持ってます。その中の一つ。


萩の野山獄に高杉さんが入ってた時、お酒に酔った周布さんが馬に乗って登場!!


『高杉ーーーーDASH!』 と大騒ぎ。馬から降りないわ刀振り回すわで謹慎。


今の日本では乗馬は軽車両扱いなので、お酒飲んで馬に乗ると飲酒運転となります。気をつけましょうパー



周布町


やきとり、やきとん屋さんの政之助

一度入ってみたい。


そしてやっと萩へ



萩往還は今でも歩けるのですよ。




怖いくらい静かでした。



で、道の駅でこの方たちに会うと萩に来たーって感じます。

3か月ぶり 4度目の萩


どんだけ好きなんだよ。萩。めっちゃ遠いのに。

松陰先生だってこんな短スパンで江戸⇔萩の往復してないだろ。



まずは萩駅へ

ここには井上勝さんの資料がちょっとあるので、行きたかった場所です


勝さんは文久3年、イギリスに密航した長州ファイブのメンバー。


俊輔・聞多・遠藤さんが帰国した後も山尾と残って5年間の留学生活を終了させてます。


イギリスで学んだことは主に鉱山の事だったらしいです。


日本に帰ってきてからは工部省を作ってもらい山尾と就任します。


山尾とはだんだん仲悪くなっちゃったんだよね。



勝さんは明治5年に新橋~横浜間に初めての鉄道を開通させた人で、小岩井農場の『井』担当です。



駅舎内は勝さんワールドでした合格
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きゃーカッコ良い音譜  真ん中の小さいのが勝さん。


直筆の手紙!! 初めてみたー

昔、東京駅に銅像が建ってたのですが、今はどこにあるんでしょうか・・・ もう一度太陽の下で勝さんを見たいです。 萩、買い取ってくれないかな。 


勝さん思い出の新橋駅のプラットホームの石が花壇になってます。


検定のテキストに載ってて実際に見たいと思ってたんです音譜


おまけ☆前回行った勝さんち☆



萩駅前の観光協会


萩へは電車より車のほうが便利なので駅には誰もいません・・・