ローカル路線バス乗り継ぎ対決旅陣取り合戦第14戦の経路検証 | sa19830701

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ローカル路線バス乗り継ぎの旅のファンで、この影響を受けて、各地区が運行されるバス会社、運行する区間の国道や都道府県道の路線についても興味を持つようになりました。
私は、常に日本全国の道路地図、鉄道地図、時刻表を所持して、経路のリサーチをしています。

 

◎太川陽介さんチームの検証

①初日目に岩手県沿岸北部の三つの村(南から下閉伊郡田野畑村、下閉伊郡普代村、九戸郡野田村)の陣の総取りについて、これらの自治体が運行するバスはコミュニティバスだけで、ロケ当日は日曜日であり、この日の路線は全便運休と下閉伊郡岩泉町の沿岸主要地区である小本から下閉伊郡田野畑村、下閉伊郡普代村、九戸郡野田村に抜けるにしても、タクシーと徒歩以外で移動できる方法は何も見当たりませんでした。

 なので、初日目については最適な陣取りと見てよいかと思います。

 

②二日目にチャンカワイさんが提案した久慈市から九戸郡軽米町に抜けたとしたら、まずは久慈市を7時55分に岩手県北バス大野線で国道395号線を通って九戸郡洋野町(旧九戸郡大野村)向かっていたら、この後の九戸郡軽米町に向かう同じく軽米病院・軽米インター線の先発時刻が13時25分と九戸郡洋野町(旧九戸郡大野村)に到着する8時45分から4時間40分も待たなければなりません。

 もうひとつの久慈市を9時35分に出るJRバス東北スワロー号で二戸市役所がある福岡に向かい、12時40分に同じく軽米線で国道395号線を通って九戸郡軽米町に到着するのが13時30分過ぎと久慈市から九戸郡軽米町へどんなに上手く行ったとしても接続が非常に悪く、最終結果としてはチャンカワイさんが提案した久慈市から九戸郡軽米町経路案については太川陽介さんが採用しなかったのは間違いではありませんでした。

 

九戸郡洋野町の指令場所が沿岸にある旧九戸郡種市町だったので、仮に、九戸郡洋野町(旧九戸郡大野村)から九戸郡洋野町(旧九戸郡種市町)に向かうとすれば、洋野町営バス種市大野線に最速で出るのが11時40分(平日運行便)で、正午過ぎに指令を終えた後、九戸郡洋野町(旧九戸郡種市町)を13時30分頃に出る同じく大沢線系統(平日運行便)で角浜に向かい、ここから三戸郡階上(はしかみ)町までの約6.6キロメートルの徒歩移動で三戸郡階上(はしかみ)町で指令を行う道の駅はしかみで陣を取り、最寄りの赤羽バス停を15時29分に岩手県北バス南部支社S104番階上循環線で八戸市の発着点となるバスターミナル、ラピアに16時22分の到着で、ゴール八戸市櫛引八幡宮へは実際乗車したバスでの到着となり、最終的には3町+3村×2の9得点を持ち帰って辿り着いていたことになっていました。

 

④八戸市の発着点となるバスターミナル、ラピアから先に三戸郡五戸町でなく三戸郡階上(はしかみ)町から攻めた場合、九戸郡洋野町(旧九戸郡大野村)から実際に乗車したバスで八戸市の発着点となるバスターミナル、ラピアでなく、拠点となる八戸中心街ターミナルで途中下車していたら、当初、河合郁人さんチームが三戸郡階上(はしかみ)町方面のバスに乗車するつもりだった八戸市の発着点となるバスターミナル、ラピアを10時25分(拠点の八戸中心街ターミナル3番(中央通り)10時38分)に岩手県北バス南部支社S100番階上庁舎線で階上(はしかみ)郵便局、11時41分に同じくP8番階上中学校線で指令を行う道の駅はしかみ最寄りの赤羽バス停に辿り着き、正午頃に陣を取り、13時09分に岩手県北バス南部支社S104階上循環線で八戸中心街ターミナル1番(三日町)に、同じく5番(六日町)を14時03分(発着点のラピア13時55分)に同じくG140番五戸八戸線で国道454号線を通って三戸郡五戸町で指令を行うミートプラザ尾形最寄りの中央バス停で途中下車、15時39分に同じくP8番五戸八戸線で八戸中心街ターミナル2番(八日町)5つ手前の桜木町バス停に16時31分(八戸中心街ターミナル2番(八日町)16時37分、ラピア16時46分)の到着、16時50分(ラピア16時37分、八戸中心街ターミナル5番(六日町)16時45分)に同じくT133番バーデハウス線でゴール八戸市櫛引八幡宮に17時04分の到着で、最終的には引き分けに持ち込んでいました。

 

三戸郡五戸町で指令を行うミートプラザ尾形最寄りの中央バス停で途中下車した後、そのまま11時50分に出る岩手県北バス南部支社150番十和田市線で十和田市に向かい、十和田市中央バス停に12時17分の到着で、仮に、指令推定内容B級グルメである十和田バラ焼きであれば市街地にあるので陣確保が見込まれ、12時44分に同じく140番十和田市線で三戸郡五戸町ミートプラザ尾形で指令を行い、中央バス停を14時04分に同じくP8番五戸八戸線で八戸中心街ターミナル2番(八日町)に15時00分(ラピア15時09分)の到着、同じく5番(六日町)を15時20分(ラピア15時12分)に同じくT170番名農高前経由三八線でゴール八戸市櫛引八幡宮に15時38分の到着です。

 もうひとつの八戸市から直接十和田市に向かう10時42分に出る国際興業グループ十和田観光電鉄八戸十和田線がありますが、その国際興業グループ十和田観光電鉄さんはラピアまでは行きません。

 八戸市が発着点となるラピアを出るのは岩手県北バス南部支社と八戸市の公営バスだけで、国際興業グループ十和田観光電鉄さんは拠点となる八戸中心街ターミナルから出ます。

 十和田市指令推定内容B級グルメである十和田バラ焼きを確保すれば、その後は三戸郡五戸町の陣取り、ゴール八戸市櫛引八幡宮までは同刻で、最終的には4市町+3村×2の10得点になっていました。

 

◎河合郁人さんチームの検証

①久慈市を16時40分に出るJRバス東北スワロー号の最終バスで仮に九戸郡九戸村の陣を取らず、そのまま二戸市まで直行した場合、この後、18時15分にJRバス東北二戸線で馬場バス停に18時37分に途中下車、二戸市で指令を行う金田一温泉にあるきたぐに旅館で行い、初日目が終わり、二日目は7時35分にJRバス東北軽米線で国道395号線を通って九戸郡軽米町、8時44分に岩手県北バス軽米病院・九戸インターオトデ館線で終点の九戸インターオトデ館に9時14分の到着、村ボーナス対象九戸郡九戸村の陣を2つ取り、その後はタクシーで九戸郡軽米町で指令を行う内まる屋に向かい、その後の八戸市に向かう岩手県北バス南部支社P8番軽米線が13時30分頃までなく、八戸中心街ターミナル1番(三日町)に14時26分(ラピア14時41分)の到着、同じく5番(六日町)を14時45分に同じくT72番一日市線でゴール八戸市櫛引八幡宮に15時03分の到着で、最終的には実際より少ない6市町+1村×2の8得点で終わることになります。
 なので、実際辿った久慈市を16時40分に出るJRバス東北スワロー号の最終バスで終点の二戸市に向かわず、初日目のうちに九戸郡九戸村の陣取り向かったのは正解だったのです。
 
②仮に、初日目に実際辿った経路で二日目に九戸郡軽米町の陣取りに向かっていたら、この後の八戸市に向かう岩手県北バス南部支社P8番軽米線が13時30分頃までなく、この日だけでゴール八戸市櫛引八幡宮を除いても九戸郡軽米町しか獲得できず、最終的には九戸郡軽米町の陣取りを断念したのは正解だったのです。
 
③最終盤にあたる三戸郡田子(たっこ)町の陣取りに向かっていたら、この後の三戸郡三戸町から三戸郡田子(たっこ)町に向かう岩手県北バス南部支社190番田子線の先発時刻が16時00分頃までなく、三戸郡田子(たっこ)町で行う指令推定場所田子町ガーリックセンターで、そのまま三戸郡三戸町から三戸郡田子(たっこ)町に向かっていたら、ゴール八戸市櫛引八幡宮に制限時間の19時00分までに辿り着くためには、最寄りの田子中央17時23分に岩手県北バス南部支社180番田子線で岩手県北バス南部支社三戸営業所に17時43分(三戸町役場17時47分)到着、20分後の18時03分(三戸町役場18時07分)に同じくP8番名農高前経由三八線で国道104号線を通ってゴール八戸市櫛引八幡宮に到着見込み時刻が制限時間ギリギリの19時00分前で、髙木菜那さんは勝敗を分ける重要な決断となった三戸郡三戸町役場を仮に15時56分(岩手県北バス南部支社三戸営業所16時01分)に出る岩手県北バス南部支社190番田子線で国道104号線を通って三戸郡田子(たっこ)町方面のバスに乗車しても、三戸郡田子(たっこ)町の陣取り場所が分からないと思い、その結果、三戸郡田子(たっこ)町の陣取りを断念し、三戸郡三戸町役場を15時42分に出る岩手県北バス南部支社P8番名農高前経由三八線に乗車、ゴール八戸市櫛引八幡宮に16時45分に到着して陣を確保し、最終的には髙木菜那さんが河合郁人さんチーム勝利の立役者となったのです。
 
 振り返りとして、河合郁人さんチーム勝利の立役者となったのが髙木菜那さんで、八戸市の発着点となるバスターミナル、ラピアから国道104号線を通ってゴール八戸市櫛引八幡宮を通過して三戸郡南部町、三戸郡三戸町に向かう発車時刻を念入りに調査して陣を確保し、路線バスの接続が悪いと見込んだ九戸郡軽米町、三戸郡田子(たっこ)町の陣取りを断念したのが最終的に功を奏したのかと思いました。
 太川陽介さんチームは初日目は最適な陣取りでしたが、二日目は、八戸市の発着点となるバスターミナル、ラピアからの先が大きな失態を招き、八戸市の発着点となるバスターミナル、ラピア(拠点となるバスターミナルは八戸中心街バスターミナル)から先に三戸郡五戸町を攻めたのが敗北の最大の原因であり、1つでも陣を多く取るのなら、先に三戸郡階上(はしかみ)町か十和田市を攻めてから三戸郡五戸町の陣を取り、更にはゴール八戸市櫛引八幡宮の陣も確保し、4市町+3村×2の10得点になって勝利していた可能性はありました。