日本語ワードプロセッサー | ゴルフ迷走記

ゴルフ迷走記

ゴルフ、ファッション、グッズ、トレンドそして世相など勝手な目線で発信しています。

今となってはガラパゴスと化した「日本語ワードプロセッサー」の設計に従事していた。
自分はその内でもプリンターの担当。

おいらが社内カレッジに15ヶ月行ってた20代後半の時にこれをやろうと奮闘した当時の副工場長、そして立ち上げに尽力した当時の設計部長、更に開発のスタートから関与し工場の売り上げの規模の1/3までにした部長、この3人がコロナ禍の間に他界された。

また、コロナ禍もあって4年間「ワープロOB会」というのが開催されていなかったが、前記のお三方をしのぶ会をやりましょうという案内が来た。

開発に携わった人はおいらより少し先輩が実働部隊で当時はまだ平社員?技師くらいのポジションでしたが、その後皆さんは出世して各部門の長、更にその上の事業部長、役員になられた方も多数。

後輩も優秀な人間ばかりなので、おいらが日立を辞めた後にそれなりのポジションに着いたが、まだ日立に籍を置いている人たちも50代後半になっているのでは?
おいらはある意味出世には恵まれなかったかもしれない、(人に言わせれば十分では?とも言われますが)

当然かもね、
後輩たちのほとんどは一流大学を出てきたばかりか本当に優秀な人材ばかり、
おいらと言えば「木下藤吉郎」の様に出筋、加えてイエスマンではなく、自分の意見を主張する、いや今思えば言い過ぎだったかも?
部長に対して『業務命令なら従いますが、自分の意見は違います。』なんて言ってましたからね。

4年ぶりに昔を懐かしむ会、先輩もいるが後輩の方が多い、いやしのぶ会だから開発当初を知る人間だとするどうだろう?


1990年前後に「ビルゲイツ」が発表した”windows 3.1"
画期的でしたね、プログラムを書かなくともパソコンが使えるようになったのですから・・・
これが「日本語ワードプロセッサー」の終わりの始まりでした。
ただ、日本にキーボード文化を作ったのと、「かな漢字変換」のアルゴリズムを作ったのは間違いなく「日本語ワードプロセッサー」の功績だろう。

おいらはプリンターを担当していたが、
当初はドットプリンター、今では宅配便の印刷(複写)伝票や、役所にしか置いていないが水平インサーター方式で随分知恵を使った。
その後「熱転写プリンター」、オンデマンドの「インクジェットプリンター」(今家庭で使っているプリンターのほとんどはこれ)、
その後「レーザープリンター」(現在、コピー機とプリンターが一緒のやつ)、最後にはコンティニアス方式の「産業用インクジェットプリンター」(缶ビールなどの底に賞味期限などをドット文字で印字している)とほぼ現有するプリンターは全て担当してきた。

お客様(ユーザー)は最終的には印刷結果が欲しい訳で、クレームはここに多い=お客様の所へよく足を運んだものです。
そこでいろいろな苦言、ニーズ、情報をいただいたのが肥やしになったのは紛れもない事実です。

まっ、OB会に行くと健康の話、現役の幹部も頭が上がらないある種組織にいた頃の序列ができる他から見れば異様な光景かも知れませんが、この年になるとたまにはそう言うのも受け入れられるようになってきた。

当時の上司、先輩方の健在ぶりを確認するのと現在の幹部たちに日立の状況を聞ける機会でもあるので行ってこようと思います。

お彼岸の頃なので、その節はまたここで報告します。