コーチが嫌いだった | ゴルフ迷走記

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息子のKenny君が2才になった時、”男は体力”なんて発想でスイミングクラブに入れた。
当時おいらは全寮制の社内カレッジ(日立茨城工業専門学院)に行っていたので息子のスイミングクラブに一度も行ったことがない。
そもそも、子供が行ってるところについていくなんて発想もなかった。

前述の社内カレッジを無事卒業して自宅に戻ったら、息子がスイミングクラブをやめたがっているとママから聞いた。
何でも毎回スイミングクラブに行くと泣いていたらしい。

それでは仕方ないから止めさせたらと伝えた。

その後息子が5歳くらい?確か幼稚園に行っていた頃に『英語の塾に行きたい』と言って来たので当然OKを出した。
今考えればこれが彼の今のベースになったんだろう。

その後既に別居していたが息子が5年生だったと思うが娘のサリーちゃんも連れてプールに行った時、息子は25mプールをちゃんと泳ぐではないか!

『ケンちゃん、泳げるの?水泳嫌いだったんじゃない?』と聞いたら
『〇〇スイミングのxxコーチはいつも怒るから嫌いだった』と

これを聞いた時、親の一方的な思いを子供に押し付けてはいけないと気付かされたとともになぜ辞めたいのか聞いてあげるべきだったとも思った。
(3才では理由なんて言えないかな?)

そんなこともあって小学5年生の時に『私立中学に行きたいから塾に行かせて』と言って来た時に勿論OK、頑張れ!とだけ。

サリーちゃんはクラシックバレーをやっていたのを新体操のコーチにスカウトされた大学までそちらの道へ。
ただ、大学出てからそのコーチの元にいたのだが、やはり指導法などで意見がかみ合わず離れた。

おいらとビジネスを始めた時に子供の体操教室を提案したが、あのコーチがいる限り大会で自分が指導している子供たちには絶対いい点数は出さない、
そうなったら子供がかわいそうだからそこには踏み入れたくない、と

子供はこんなことで成長したり、嫌いになったりする。



一方大人の場合、これは千差万別
ただねおいらは嫌いでもコーチのいうことは理論も素晴らしいし、信じて付いていけば進化できるとしていたが・・・、

おいらは組織にいた時、
年下の上司には肩書で接する、年上の部下には年齢で接する
これを基本にしていましたからね。


コーティングって難しい。ね。
特に今は情報が無数にあり、簡単に取れるから感覚的なことでは習う側が情報との比較をしてはて?なんてことにもなりかねないし。

アナログとデジタルの良さを上手に使うことと、心根、そして言葉遣いは何時の時代も日本人には大事な要素かと。