リボン長い間お付き合いいただきありがとうございましたピンク薔薇

文字数のバランスをとるため、各話を調整し、〔1〕話と〔2〕話を合体させました。

 

 

 

 

スウィート・アリア《前編》

 

 

※あの人の初登場。そして、二人にとって何よりも記念すべき日が訪れます。

 

 

黒髪の経営者は、初めに現れた方角へは戻らずに、舞台から客席に下りる階段へ歩を進めた。まるで表情のない人形のように。
革靴の音が、カツカツと床に響く。
階段を下りたところで、支配人は、顔だけをこちらに向けた。
「ああ、君」
視線は、真っ直ぐにユリウスに向いていた。
冷眼の奥に光る慧眼に、思考のすべてを見透かされているようで、不安と畏怖が入り混じる。
「……はい」
「本番までには、もう少し、妖艶な椿姫になっていることを願いたいものだな」
最初、ユリウスは、彼の言っている意味が解らなかった。
「は、い?」
「その玲瓏れいろうたる声は、当日、このホールの隅々まで響き渡るだろう。だが、今のままでは、高級娼婦ではなく可憐な少女だ。もっと言えば、幼い天使だな」
「ボクは……、少女ではありませんけど……」
よく分からないけれど、馬鹿にされているような気がする。
隠喩いんゆだよ。まあ、とても一週間では足りないだろうが、せいぜい精進して、観客に笑われるのだけは勘弁してもらいたい」
無表情だと思われた彼の左の口角が僅かに上がる。しかし、それも一瞬だった。
ユスーポフ支配人は、ロボットのように顔を元の位置に戻すと、正面の入口だけを目指して歩く。そして目的通りドアを開けた。


クローバー クローバー クローバー

 

「ねえクラウス、分かってる? 貴方はいいかもしれないけど、ボクはもっと練習しないと間に合わなくなっちゃうの。本番まで一週間しかないんだよ」
「あそこでなくても練習はできるだろ」
「何処で? まさかゼバス? 卒業してから何年経ってると思ってるの?」
「そうだな。例えば、ほら、ここだ」
知らず知らず、二人はドナウの橋に来ていた。懐かしいせせらぎに、ユリウスは思わず歩を止める。
クラウスは彼女の手を取り、強く握った。それは階段を下りる前の暗黙の儀式のようなものだった。
「もう、いったいボクを幾つだと思っているの?」
「お前が幾つになっても、俺にとって、お前は《ゼバスの金髪の天使》のままだからな」
「なんだか、いつまでも成長してないみたい」
今日は素直に受け取れない。
「だから、声が幼いなんて言われるのかな……」
「ばーか。気にすんなって言っただろ」
「そんなの……」
無理だ、とユリウスは思う。
気にするなと言われれば言われるほど、人はその言葉に囚われてしまうものだ。

 

──いつまでも無垢な天使でなんかいられないんだから。

「何か言ったか?」
「何でもなぁい」
クラウスが一足先に地面に下りる。
その直後、繋いだ手をぎゅっと握って、二段上からユリウスが飛び下りた。スカートがひらりと翻る。
「おいっ、危ねえなあ」
「大丈夫。いざとなったら、貴方が抱き止めてくれるもん」
「だからってなぁ」
「わあ、ここも久し振りだね」
ユリウスは手を離して走りだす。
「こらぁ待て! いきなり走るなっ! ばか!」

 

──まぁた言ってる……。ふふっ。
「過ー保ー護ーーっ」
歌うように、ユリウスが叫んだ。
「何だとう!?」
クラウスは慌てて後を追いかける。
──そういうところが子供なんだよ、まったく……。

 

♪Tra voi saprò dividere il tempo mio giocondo;
Tutto è follia nel mondo ciò che non è piacer.♪《『椿姫・乾杯の歌』抜粋》

 

「……あ」
ユリウスが、両手で口を押さえ立ち止まる。
クラウスも続けて足を止めた。
ユリウスがゆっくりと振り返ると、その場で、クラウスがストラディヴァリを構えていた。
それから、彼女に断りもなく、『乾杯の歌』を弾き始めた。
「クラウス……?」
「いいから歌え。今の通りにだぞ」

 

ストラディヴァリの音色にのった歌声が、ドナウの空と川と草地と、あまねく空気を採り込んで浮遊し、拡散し、それが何度か繰り返された。
やがて、清澄な水底に最後のアリアが吸い込まれる。
放心状態の歌姫エウリディケ楽神オルフェウス
ふと彼は我に返り、彼女に歩み寄り、細い躰を抱き寄せてキスをした。
口づけを深めていくごとに、青年は背を屈め、膝を折り、姫女苑ヒメジョオンが生い茂る草地に膝をつく。
ユリウスも膝をついた。
がっしりと逞しい男の腕に抱かれながら、今にも蕩けてしまいそうな熱い熱いキスの雨。
時間が止まる。
そして……それは二人にとって、永遠と同義になった。

 

 

 

スウィート・アリア《中編》

 

 

 

本番で着るドレスが無いことにユリウスが気づいたのは、事もあろうに前日のリハが終わった直後だった。
「オペラハウスで着ていたオレンジの薔薇のドレスは?」
リーナが尋ねると、
「それは、駄目なの」
ユリウスはすぐに答えた。
「どうして?」
「あれは……、結婚式で着るって約束したから、だから、それまでは……」
ユリウスの背後で、ヴァイオリンケースを閉めようとしたクラウスの手が一瞬止まる。
「あなたたち、結婚しないの?」
唐突過ぎる質問に、空気を呑み込む恋人たち。

 

──なんで黙るの? クラウス、何か言ってよ。
──どう答えりゃいいんだよ。お前こそ何か言えよ。
──何かって何を? うーん、お互いにまだ縛られたくないから……とか?
──何ぃ? お前の本音は、そうだったんだな?
──言えって言ったのは貴方だよっ。
目と目を合わせただけで、そんな意思疎通が交わされていたとしたら、凄いを通り越して、怖い。

 

「まあ良いわ。今はドレスよね。私ので良ければ貸すわよ。赤いやつ」
「え? リーナ、いいの?」
友人のドレス姿を、ユリウスは一度だけ見たことがある。あれは、ウィーンのピアノコンクールの時だった。艶のある黒髪とはっきりとした目鼻立ちに、情熱的な赤がよく映えていたっけ……。
「たぶんサイズは大丈夫でしょう。胸以外はね?」
悪戯っぽく、リーナが微笑む。
「リーナぁ?」
ユリウスは唇を尖らせる。

 

「髪は、そうねえ……、せっかく綺麗に伸ばしているのだから、そのままにしましょうか。きちんと結うのは結婚式の楽しみに取っておきなさいね」
ぎこちない、曖昧な表情で見つめ合う恋人たちが、リーナの瞳の片隅に映っていた。
「じゃあ、私、他のスタッフに断ってくるから、一緒に家まで行きましょう。試着して、補正するところがあればその場で直すわ」
友人に不得手なことはないのだろうか、とユリウスは感心してしまう。
「あ、うん……」
「本番は明日だもの。急がないとね」
リーナは歩きだしてから、ちょっと思いついて振り返った。
「髪を伸ばしているのは、結婚式のため?」
クラウスは、危うくヴァイオリンケースを落としそうになった。

 

 

 

スウィート・アリア《後編》

 

 

 

今までのどの出演者よりも長身で体格の良いヴァイオリニストが登場すると、およそ半数の女性客が色めき立った。
続いて、というより、彼にほぼ重なるようにして(腰を抱いていたのでは? と前列の客がいぶかるほど密着していた)、金髪の椿姫が現れた。
スポットライト無しでも光り輝く金色の髪と蠱惑的こわくてきな横顔に、観客は一斉に息を飲む。笑うように揺れる煽情的な赤のドレス。今度は、男も女も関係なく感嘆の吐息を洩らした。
クラウスが両足を開く。
刹那の静寂しじま
ヴァイオリンが奏でを始める。ユリウスは目を閉じて、もう一度花びらに手をやった。それから、ゆっくりと、深く息を吸い込んだ。

 

次の瞬間──すべての観客の頭上へ、艶やかな天使が舞い降りた。
ヴァイオリニストと歌姫は、それが自然なことのように躰と躰を向かい合わせた。
伴奏者が、まるで相手役の青年貴族のようだった。それほどまでに彼女は彼を見つめ続け、彼もまた彼女から目を離さなかった。
彼のためだけに彼女は歌い、その歌に彼は酔った。長い睫毛に烟る瞳。桃色の頬と紅い唇。今すぐにでも抱き締めてさらっていきたい……、それを必死で押し止めた。
ストラドの弓と弦、そして指が、宙に躍る五線譜を一本残らず絡め取り、また跳ね上げる。

 

扉を僅かに開けるだけで、風を泳いでいきそうな軽やかで澄んだソプラノ。とどまることを知らない声の色。鳥肌が立つほどの緩急の波と、華奢な腰からは想像できない伸びやかなビブラート。
その圧倒的な歌唱力は、ホール中の観客を、一人残らず虜にした。
彼女の背中が、終始客席を向いていても、誰一人として不満を漏らす者はいなかった。寧ろ、演出の一つだろうと信じて疑わなかった。
ユリウスは、自信に満ちたヴィオレッタを完璧に演じ切った。
それから──彼女の視界から周りの景色が消えた。

 

 

 

 

控室のドアを開けると、テーブルの上の花束が目に飛び込んできた。
大輪の赤い薔薇。
燃えるような緋紅色ひこうしょくに圧倒されてしまう。
ユリウスはダーヴィトとイザークから貰った花束をテーブルに置いた。それから、赤い薔薇の花束を手に取り、姿見の前に立つ。
──真っ赤っかだ。
赤いドレスと椿の髪飾り。そして赤い薔薇。
口紅ルージュあかは盗られちゃったけれど……。

 

誰からだろう……?
そう考えるまでに、暫く時間がかかった。
花束の中にも、テーブルの上にも、贈り主の名前を記すカードらしきものはない。
「何だか……、ボクには不釣り合いみたい……」
リーナなら知っているだろうか?
ドアノブに手をかける直前で、彼女の言葉を思い出した。
『悪いけど、終演後は忙しくて相手ができないから自由解散ね』
うーん……、と少し考える。
──ここはボクの控室だから、ボク宛てってことだよね……。

 

ドアをノックする音に、びくん、となる。
「クラウス?」
言い終わる前にドアが開いた。
「なんだ、まだ着替えてなかったのか?」
「うん……、ちょっと……」
ユリウスは花束をテーブルに置いた。クラウスはそれを一瞥する。
「もう少し後で出直そうか」
「あ、待ってクラウス」
「何だ?」
「あのね、ファスナー下ろしてほしい。リーナがいなくて……」
クラウスが急に真顔になった。ユリウスは気づいていない。
「その要求は、俺にとって鬼門だ。昔の苦い記憶が蘇る」
「え?」
彼女の部屋で箍が外れかけたこと。すんでのところで思い止まったこと。
ヴィルクリヒの顔も、未だに浮かぶ。若かったな──と思う。
「あんなの……もう時効だよ」
戸惑った顔で、ユリウスが呟く。
「時効か」
「うん……」

 

かちり。
と鳴る音。
「今、何したの……?」
「鍵をかけた」
「ど、うして……」
「ほら、背中向けろ」
ユリウスは、おずおずと後ろを向いた。
部屋に窓はない。クラウスは彼女の剥き出しの肩に左手を置いて、右手で髪を前によけると、ファスナーを下ろし始めた。その左手が既に熱い。
するり。
いとも簡単に、ドレスは肌を滑り落ちた。
「こんなんで、よく今まで落ちなかったな」
声は平静だ。憎らしいくらい。
クラウスは、脱がしたドレスを「借りものだからな」とハンガーにかける。ユリウスは、ベビーピンクのビスチェとアンダースカートだけになった。

 

くるり。
背後から肩を引き寄せられ、軽い躰が回転する。
親指と人差し指が、ビスチェのリボンをつまんだ。ユリウスは少し慌てる。
「そ、それは、自分で出来るから……」
「いいよ。ついでだ」
──ついで? 何の……?
クラウスは、姿見の横にあるソファにユリウスを座らせて、リボンを解き、緩やかな谷間に顔を埋めた。
ぴくり。
「お前、なんか果物の匂いがする。何だっけ、これ……」
「え……? あ、さっきの赤い薔薇かも。そう言えば、強い香りがした……」

 

はらり。
すべてのリボンが取り去られ、膨らみと細い括れが露わになった。
視線と手が同時に進む。
満開を待つ二つの蕾へ。
「ね……それが、誰からか分からないの……」
「後でいい」
困惑で揺れ動く碧色の瞳を見据え、唇を合わせて強く吸う。アンダースカートを両手で一気にたくし上げた。掠れた悲鳴。仄青い内腿が生成りのソファに影を作る。
本番前、目で愛したすべての場所へ、同じ行為を繰り返す。

 

手のひらと、
唇と、
指と、
舌と、
熱い息と、
なぶる指と、
蠢く舌と、
「ん……っぁ……」
上気するほど強く香る滑らかな絹の肌。花なのか、果実なのか。
ぬるく湿る真紅の花弁。彼だけに聴こえる甘いあえかな喘ぎ。
「また……、駄目だろ。大事な指を……」
親指が薬指の噛み跡を優しく撫でる。最後のたがを外させないで。
──どうしてそんなに意地悪なの……?
「だめ……、聞こえ………ふっ・・・ぅん」

 

ぱしゃり。
彼は己の内側に、精霊ウンディーネを完全に閉じ込めた。
そうして、彼女と一緒に水底深く沈んでいった。
姿見に映っているのは、ソファと白い膨ら脛。
テーブルに残されたのは、三種の薔薇。数万とも言われる種類の中で、たった三種の薔薇の花束。
劇場には魔物が棲んでいる。
それは音も立てずに近づいて、人の心に忍び入り、甘美な罠をかけにくる。
あの扉の隙間から。

 

 

 

 

惜しかったなあ。
あと、三段だったのに……。
頭の上で、不機嫌な声がする。
お前は幾つだ? 学習という言葉を知っているか? とか。
そんなことを言うのなら、幾つになったら、この条件反射が無くなるのか教えてほしい。とユリウスは思う。
「ったく、金色のアヒルが落っこちてきたのかと思ったぜ」
「アヒルぅ?」
──天使じゃないの?
ユリウスは唇を尖らせて彼を睨む。

 

「ほれ、その口が、もうアヒルそのものだ」
慌てて口もとを隠した。
「この服も、何年ものだ?」
ユリウスが着ている白いワンピースのことを言っているのだ。
「物持ちが良いって褒めてよね。えーと、もうすぐ8年……かな?」
「そりゃすげえ!一度池に浸かったとは思えないぜ」
「……まだ覚えてたんだ」
「あれは、俺とお前の三大事件の一つだからな」
「あとの二つは……?」
「それにしても、8年には見えないな」
クラウスは、レースの透けたフレンチスリーブを指で撫でる。
「だって……」
──大事に大事に着てるもの。

 

「俺との初めての夜も、これを着ていたよなあ?」
──二つのうちの一つは、これだ。
両腕に力を込め、耳もとで囁いた。
かあぁ……。
ほっぺたが熱くなる。
「もぉう……」
「何だって?」
わざとらしく耳を澄ませば、腕のなかで躰が暴れて、するりと下から抜け出した。
「あっ、こら!」
「べぇっ!」

 

そう言ってユリウスは舌を出した。それから、サンダルに片手をかける。
クラウスは、その手を止めた。不満げに見上げる瞳。
彼は彼女の手を取って、せせらぎの音の近くに腰を下ろした。
「お前、幾つになったっけ?」
クラウスは、せせらぎを見つめている。
「またその話? 23だよ。どうせ水遊びする年齢としじゃないですよーだ」
「違いない」
クラウスは笑いだす。ユリウスはクラウスを睨みつけた。
不意に、彼が、笑うのをやめた。

 

「なあ、ユリウス」
「なあに?」
彼は彼女の肩を抱いた。
「あのさ……」
──残りの一つは……、
手の力が強くなる。少し痛い。
「だから、何……?」
「耳、かせ」
「えぇ?」
耳を寄せた。彼の唇に。擽ったくて笑いそうになる。
耳朶に吐息がかかった。
熱かった。
「俺たち、そろそろ……」
──最後の一つは……、

 

その時、また風が変わった。
金色の髪が後ろに靡いて、薔薇の香りは、遥か彼方へ飛んでいった。
「ユリウス?」
眩しいのは……、水に反射する陽射しのせいだ……。
涙が止まらないのは、さっきよりも強過ぎる風のせい、だ……。
「ユリウス……」
「遅いよ……ばか……」

 

・・・Willst du heiraten?ケッコン シヨウカ・・・・・・

 

 

 

 

エピローグ

 

 

幻ばかり追いかけていた⑤

 

今──幻が真実まことに変わる。
薄衣のヴェールを上げて、世界で一番澄んだ水を飲み干して、誓いのしるしのキスをした。
降り注ぐ木洩れ日の中、ピアノの旋律が祝福のクレッシェンドを繰り返す。
真白とオレンジの美しいコントラスト、光り輝く金の糸、揺れて漂う碧の瞳。
羽音に重なる鳥の声、友人たちの冷やかす声、通り掛かった子供の声、たまたま横切った猫の声(にゃ~)。
その一切が大気に昇る。

 

─愛してる……?
─愛してるよ……
─どれくらい?
─お前……、今ここで聞くことか?

 

─幸せ過ぎて、溶けちゃいそう……
─ばか、ダメだ。
─どうして?
─今夜、俺が融かすから……
─ば…ばか……。もお……

 

その日、
すべては輝いていた──

 

。.:*:・'°☆。.:*:・'°☆。.:*:・'°☆


──そして、物語は続く・・・

 

 

 

 

地上に降りた(俺の)最後の天使

 

※「窓での出逢い」に続く新エピソード「ドナウの階段catch」です。

 

 

風もなく穏やかな日だった。俺は、半分うわの空で釣り糸を垂らしていた。何故ならドナウの水が想像以上に濁っていたからだ。魚の影なんて皆無だった。
溜息をつきながら空を見上げる。
──今年の初雪は早いかもしれない。

 

「クラウスー!」
天から声が降ってくる。聴き覚えのあるボーイ・ソプラノ。橋の上から人懐っこそうな顔が覗く。
「クラウスーっ、引いているよ! ねえっクラウスってば!」
聞こえてらぁ! 男のくせに声が高過ぎるんだよ!
「うっるせえ! 黙ってろ! 魚が逃げちまうっ!」
「今ごろ何釣れるの? Karpfenコイ? Welsなまず?」
「あほっ! 浅瀬にそんな魚がいるかよ」

 

ユリウスは階段の方へ小走りでやってくる。
「ねえ、餌は何? Gurkeきゅうり?」
「お前なぁ、河童を釣るんじゃねえんだよ」
その時である。金色の髪が宙に舞うのを目の端で確認した。どうも俺は、あいつの髪を目で追う癖があるようだ。
もとい、嫌でも目に入るのだ。
否、それどころではない!
「わぁっ!!」
という叫び声。尋常でない高音。
俺は、反射的に釣り竿を放り投げた。
「ユリウスッ!」

 

地面を蹴る。
階段まで。五歩、いや十歩。
間に合うか?
風が起こる。ばさりという衣擦れの音。
自分のコートだ。
右足を踏み込んだ瞬間、
真上から顔が迫る。

 

スローモーション……。
腕を伸ばし、
背中を捉え。
左足を踏ん張った。
……間に合った。

 

想像以上に軽くて驚く。
鳥を捕まえたのかと思うほどだ。
その躰を抱いたまま、草地へ転がる。
さっきよりも重さを感じた。

 

夢想は醒め、
人間の温もりと弾む息。
お互いに。
息を整え。
躰を起こす。
腕のなかで、
紅潮した顔を見た。

 

「離せだと!? このやろう! 誰がわざわざ好きで抱いたりするものか。俺がいなかったら……。手を見せてみろ!」

 

 

 

 

 

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