人に迷惑をかけて生きていい | 子ども達と自然に暮らそ!

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「人に迷惑かけていい」NHKニュース

40年前の障碍者をテーマとした

【車輪の一歩】という

ドラマの中のセリフが

じわじわと共感を呼んでいる、

という記事を目にしました。

 

このドラマは、車いすの主人公に対し、

 

「『人に迷惑をかけるな』という

社会が一番疑わないルールが

君たちを縛っている。

君たちは、

普通の人が守っているルールは、

自分たちも守るというかもしれない。

しかし、私はそうじゃないと思う。

君たちが、街へ出て、電車に乗ったり、

階段を上がったり、映画館へ入ったり、

そんなことを

自由に出来ないルールはおかしいんだ。

いちいち後ろめたい

気持ちになったりするのはおかしい。

私はむしろ堂々と、胸を張って、

迷惑をかける決心をすべきだと思った」

そして、人に助けてもらうとき、

節度は必要だ。

しかし、

毎回、世話になったと傷つく必要はない。

元気な人が少し手伝うのは当然で

「迷惑をかけることを怖れるな」と

力強く語りかけます。

 

 

このセリフを見たときに、

この言葉は、

子育てしている人に対しても

言えることではないかと

思いました。

 

 

ベビーカーで電車に乗ると迷惑だとか、

子どもの泣き声がうるさいだとか、

子どもの声がうるさいから、

保育園を住宅街に建てられないとか、

そういった子ども達や、

子育てしている人に対して

あるいは障がいを

持って生まれた人に対して

優しくない社会の根底にあるのは

『人に迷惑をかけてはいけない』

というルールです。

 

私たちの多くは、

『人様に迷惑をかけてはいけません』

と言われて育ってきました。

 

でも、同時に『お互い様』

という考え方もあったはずです。

 

「大変な時はお互い様ですよ。

私も大変な時は誰かの世話になるのだし、

あなたが大変な時は

遠慮なく言ってっくださいね」

 

というような、

想いやりある言葉です。

 

『人に迷惑をかけてはいけない』が

行き過ぎると

迷惑をかけている人が許せなくなります。

そんな迷惑なやつ

いなくなってくれたらいいのにと

そうなってしまうと、

相模原事件のようなことに

なってしまうのではないかと

危惧します。

 

『人に迷惑をかけてはいけない』に

縛られすぎると、

育児が大変な時に、

助けてと言えなくなってしまいます。

だって、人に迷惑をかけてしまうから。

 

人に迷惑をかけてはいけないと

思うあまり、

やりたいことを我慢してしまうとか、

人の目が気になってしまうとか、

失敗を恐れてチャレンジしないようになるとか、

「人に迷惑をかけない」ということが

決していいことばかりではないと

思うのです。

 

でも、

ホントなら、助けてと言えるのが

当たり前の社会であってほしいはずです。

なにか迷惑をかけたとしても、

お互い様ですから気にしないでと

言える社会であってほしいはずです。

困っている人を助けるのは

当たり前ですよと言ってもらえる

社会であってほしいはずです。

 

誰にも迷惑をかけずに

大人になる人はいないはずです。

赤ちゃんの時に泣いて、

「元気な赤ちゃんだねぇ」なんて、

誰しも言われながら

育ってきたのではないかと思うのです。

子どものころ、

遊んでいて怒られた経験がない人も

少ないのではないでしょうか。

 

子どもにやさしくない社会で、

子育て世代に対して優しくない世の中で

子育てしたいと思うでしょうか?

子どもを産みたいと思うでしょうか?

 

ただでさえ、

日本の人口は減っています。

このまま減り続けたら、

日本はどうなってしまうでしょう?

私たちの老後を支えてくれる

子ども達はいなくなります。

子育て世代が少なくなると、

消費も落ち込むでしょう。

物が売れないということは、

商売が成り立たなくなってしまうでしょう。

 

子どもは宝です。

 

子々孫々繫栄するようにと、

昔から命をつないできてくれた

ご先祖様がいるはずです。

 

戦時中、

どんなことがあっても

子どもだけは守りたい。

だから、子どものために、

この国を守るのだと覚悟を決めて

子どもの幸せを願って

戦地に赴いた方々は

たくさんいたはずです。

 

そうやって、

今につながってきている命です。

 

堂々と、

「迷惑をかけていい」という覚悟をもって

子育てしていいと思うのです。

 

親が、誰かを頼ったり、

頼られたりする姿を見て育った子供は、

大人になったとき、

人を頼れる人になるでしょう。

同時に、困った人がいたら

手を差し伸べられる人になるでしょう。

お互い様ですよと、

笑顔で言える人になるでしょう。

 

近所の人に優しくされた

経験のある子は、

大人になったとき、

人に優しくできる人になるでしょう。

 

私のことで言うと、

学生時代に旅をして、

たくさんの人に優しくしてもらいました。

旅先で食べ物をいただいたり、

水をわけてもらったり、

ヒッチハイクで家族連れの車にも

乗せてもらったことがありました。

だから、旅する若者には

優しくしたいと思っています。

ヒッチハイクする人いたら

乗せてあげたいと思います。

旅の途中で泊るところに困っているなら

泊めてあげたいと思っています。

 

たくさんたくさん

人に優しくされたから、

困った人がいたら

手を差し伸べたいと思うようになりました。

 

ペイフォワードですね。

自分が受けた優しさを

他の人に返してあげる。

そうやって、優しさを循環させていく。

 

そういう社会を

作っていきたいじゃないですか。

 

子育てしていると、

子どもなんて、

迷惑かけっぱなしです。

 

でも、それでも笑顔で見守ってくれる

地域の人がいて、

子どもの声を

元気があっていいねと

言ってくれる人がいて、

そうやって温かく見守られるからこそ、

子どもは健全に育っていくし、

温かくされた親御さんは

年をとっても

地域の人に優しくできるようになる。

だって、自分も子育て新米で

大変だったとき助けてもらったから。

 

お互いさまって、

ペイフォワードなんじゃないかと思うんです。

私もかつて大変だったとき

優しくしてもらったから、

同じ状況にあるある人に

優しくできる。

 

そういう世界にしていきたいですね。