うつは病気じゃないらしい
これは父の言葉。

こんなこと言われるんだったら、電話なんてしなきゃ良かった。
そうだよ、そのくらいのことは言われるって、予想はついていたんだもの。なのに、なんで電話なんてしちゃったのだろう?

私が高校・大学で実家を離れていた7年間で、伝えられなかった(教えられなかった)心のあり方について、父は後悔しているとも言っていた。

そうだろうか?
違うと思う。


相変わらず、言うことだけは立派で、さも正しい事をいうけれど、この人は、自分の娘がもがいている事や、その原因や、そうなるに至った小さな出来事を、それも自分が原因であることを完全に無視している。

結局悪者は、私。
社会の悪いところを飲み込めない、融通がきかない私がいけないらしい。

そして、「女なんだから、一生働く必要は無いんだから、気楽に考えなさい」という、地雷を踏んで電話は終わった。


もう、絶対、どんなに苦しくても、迷っても、父にだけはアドバイスや感想を求めてはいけないのだ。
…と悟った日。
月曜にクリニックを受診して、頓服2種混合でも眠れないことを言うと、違う薬が処方されました。

どのくらいの量が適量かというのは最初からわかるわけではないのでとりあえず、これを1錠飲んでみてくださいと処方された。 ちなみにベゲタミンA。

で、どうなったかというと、
・寝つきは若干悪くなった
・口が異常に渇いて目が何度も(1時間おきくらい)覚める
・水を飲んじゃうから夜トイレにも行きたくなる

・朝はいつ来たの?今昼過ぎだね…
・あれれ?もう15時?
みたいな。
起きたらメールするといっていたのに、なかなか連絡が無い私を心配した夫が会社からTELしてきたくらい。
それでもろれつはまだうまく回らず、
夫曰く「今、お花畑にいるでしょう(笑)」だそうな。

余計な事をくよくよ考えるより今は1日中寝ていてもいいのだそうな(by担当医)


昨夜は口の渇き作戦を練ったので途中の目覚めも少なくて
全体的に少しましになったけど、やはり「お花畑」状態。深夜を除き、2時間起きて2時間寝るという新生児並みの生活です。
夜になると、薬が切れるのか、多少普通っぽくなるけど、基本は1日中お花畑。
でも、ある意味、ここまで来てしまうとやっと開き直れたところもあって、復職どうしようとか、そういう小さな心配はしなくなってよかったのかも。
2種混合眠剤で、個人的には「目覚めたら昼だったりして」とか「あっという間に眠りについたりして」とどきどきしつつベッドへ。

結果は当初の予想は両方×
でも、5時間弱眠れた。途中覚醒なしで。
目覚めがすごいすっきりしているわけでもないけど、だるくもない。でもなぜか頭痛がひどくていつものEVEのお世話にもなってしまったけど、うつからきている頭痛のときにはあまり効かないのに、ぴたりと治ったので、普通の頭痛だったみたい。

今日は夫の持病(いや、ほんと大したことないのよ、ご心配なく 笑)の月一の通院。いつもは私が付き添られてばかりなので付き添ってみた。待合室までだけど。
病院はいつもより混んでいた様で、なかなか名前は呼ばれず、病院まで徒歩で行ったので少々疲れたことや(普通の人だと10分強の距離)
朝から活動したことなどで少々しんどい。気付いたら寝ていた。夫に聞くと30分くらい寝てたそうな。
この病院には暖かい麦茶と冷たいお水がセルフで置いてあるので、普段水を手放せない私には荷物が一つ減ってありがたい。
どこの病院でもやって欲しいと思うのだけど、コストとか考えると難しいのかなぁ。

夫の病院が終わり、帰り道に夫が以前見つけたという洋食屋さんでランチを食べて、週末恒例のスーパーへの買出しをして帰宅。

夫は平日の疲労がど~っと出たかのように昼寝。
私もいつもと違う一日に疲れて同じように昼寝。
薬を使っても、何をしても、MAX睡眠持続時間は3時間弱。
だるいのに横になっても眠れない。
眠い気がするのに眠れない。
何をする気にもなれない。
イメージとしては時差ボケの10倍くらいしんどい感じ。
(時差ボケの場合、変な時間であっても眠れるしね)

なんでそれなのにこうやって書いてんだ?

誰かに分かって欲しいのかもしれない。
いや、単に書くことで発散したいだけなんだ。

さきほど、迷った末、クリニックにTELをして相談してみた。
手持ちの薬の数をいろいろ聞かれ、クリニックからの答えは、
昔頓服で出ていて残っているのと今頓服で出ている眠剤両方1錠ずつ飲んでいいよと。
後は来週の診察のときに相談しましょうと。

ほっとした。もしかしたら、眠れるかもしれない。
たとえ眠れなくても、来週きっとあの先生なら真剣に対応してくれるだろう。よかった。
すこしだけ、ねむれなくてもいいから横になろう。
夜中の3時に目覚めた。ちなみに眠剤のんでベッドに入ったのは0:30ころ。

嫌な夢をみた。
現実にも悲しいこと、不安なことが山ほどある。

友人を傷つけたのではないか?
わたしのせいで、その人は苦しい想いをしているのではないか?
自分が傷つけられるよりも、他人を傷つけてしまうほうがずっと怖い。

今夜はこのまま朝を迎えるかもしれない。
夫はこんな私でも支えてくれる。

申し訳ない、申し訳ない、どうしたら許されるのだろうと
そんなことばかりを考える。
日付が変わって昨日(金曜)は定例のメンタルクリニックの日。夫も付いてきてくれました。

前回~今回の診察までの間の2週間で、いろいろあって、かなり落ち込んだり、苦しい思いをしたので、それらの気持ちをどうしても医師に分かってもらいたくて(感情論というよりも、どうして私がそう思ったのか等を分かってほしかった)
メモ帳2ページに渡る箇条書きを持参して、いざ。

毎度診察時には、言い忘れが無いようにメモ帳に箇条書きはしていくのだけれど、今までは1ページだったわけで、そういう意味からしてもこの2週間は精神的に激動だったんだなぁと、今になって思ったり。

基本的に診察は15分なので(そうは言いつつ、たいてい30分オーバーする患者です 笑)簡潔に、そして的確に、私のバックグラウンドを完全には把握していない医師でも理解できるように補足を入れつつ、数時間かけてメモを作成して行きました。
話す内容も、時系列にしてみたり、なるべく先に結論を持ってきて理解してもらいやすいようになど工夫をした力作。

診察はやっぱり時間オーバーしてしまったけれど、
そして、伝えたかったことを全ては伝え切れなかったけど(これは時間オーバーで次回持ち越しということで合意)
私にどういう事が起きて、それについて私がどう感じて(悲しいとか嬉しいとか)、何について消化しきれていないのか、と言うことが伝えられた。
そして、それがちゃんと医師に伝わったことも確認できてよかったなぁと。

医師も、夫も、これだけの内容を順序立てて話す私に感心していたみたい。
もちろん、その説明をするためのメモを作成するのはとても時間がかかったし、書いているうちに訳が分からなくなったり、しんどい作業だったけれども、やっただけの価値はあったなと思っている。

まだ消化不良(持ち越し分)なのがあるのと、少々不安定なので、次回は予定よりもちょっとだけ早めの受診予約を取ってもらいました。

アケボノを聴きながら、今の私は折れ線グラフのどの辺なのかな?とか、今は一番下だと思っているけど、これから先、まだ下があるのかもしれないな とか、でも、今回のようにちゃんと自分の気持ちを説明して、理解してくれる人が複数いるというのはうれしいなとか、そんな事を思っています。
号泣です。
あの、誤解があるといけないので書いておきますが、曙じゃないですよ。川村結花の曲名です。

病院帰りの途中、近所の遅くまでやっている薬局に処方箋を渡して外出。
(ここの薬局、近所の小児科の患者がやたら多くてうるさかったり、処方ミスが無いように何重にもチェックしているとかで待ち人なしでも15分以上 はかかる。変えてしまいたいけど、かかりつけ薬局がほしいし、でも他の近所の薬局は土曜休みだったり平日も18時までとか患者に優しくないから仕方が無 い。ちなみにここは22時まで平日はやっているし、土曜もやっている。ただそれだけの理由で利用している)
そして、薬局の近くのCD屋でアケボノが入っているアルバムを発見、即買いしました。

今、リピート演奏中です。
初めて聴いたときには、人生でたぶん一番の号泣。
今はもう5回目くらいなのでちょっとメソメソしているだけ。
今までの川村結花ベストでダントツ1番決定。
夜中に電話があり急遽両親が今朝我が家にやってきた。

いろいろ自分が過去のこだわってることを聞き
誤解をひとつひとつ、解いていけたと思う。
でも両親を傷つけてしまった質問も、多数してしまった。

両親に全てを理解してもらえたとは思っていない。
でも、これでなにか変われたらいいなぁと
変われるかもしれないとわずかな光が見えた気がする。
どうしても両親に分かってもらいたいことがあって、長文のメールを送った。
まあ内容を一部伏字&修正で暴露してしまうと

お父さん、お母さんへ。


これを書いている今、精神的にとても辛い状態です。
でも、どうしても、今の私をわかってほしくて
メールと言う形になってしまいますが聞いてください。

今の私は毎日泣きながら眠りにつき(強制的に薬で眠っています)、
毎日目が覚めてからもしばらくはベッドで泣きながら過ごしています。
薬も、抗うつ剤(最大量)と睡眠導入剤、
気分安定剤(抗てんかん薬)を飲み、
それでも一日の大半は不安や悲しみや、どうしたらこの苦しみから
逃れられるのか等を考えています。

病気のせいだと夫には言われますが
あらゆる過去のことを思い出して、自分は最低だと責める日々です。

T町のおばあちゃんが亡くなったときに聞いた、自分の小さかった頃の話。
私は生まれたときから今に至るまでいろんな人に迷惑ばかりかけていたのではないか
と、そんな風に考えてしまうのです。
そんなこと書いたら、お父さんもお母さんも悲しむことは百も承知です。
だから、私はず~っと昔から、「気にしていない振り」をしてきました。

家が裕福ではないこと、お父さんがお金の使い方が下手なこと、
お母さんがそのことの不満を私に言うこと
親戚との不仲
弟が社会人としてはあまりにもいいかげんなこと
などなど、挙げればきりがありません。

そして、よく振り返るのは中学生の頃のこと。
あんなに勉強したのは、お父さんの熱心さもあったけど
私には、学力というものが、唯一、自分でコントロールできることだったのです。
S高を選んだのも、家から出たかった、0からやり直したかった気持ちが
あったのも事実です。
でも、結局、H君のことがあって、0からとは行きませんでしたが。
H君のことはずっと許せませんでした。
でも、T町のおばあちゃんが亡くなってから聞いた話で、
私は自分が思い上がっていただけだと気づいたのです。
「許されない」のはH君ではなく、勝手に思い上がっていた私なのです。


大学に入って、寮の友人たちはもっともっと過酷な人生を送ってきた人
ばかりでした。
母親が灯油をかぶって焼身自殺してしまった子
父親が自宅で首吊り自殺をしてしまった子
父親ががんで余命わずかで、自分自身も原因不明の病気と戦っている子


ああ、かなわないなあと思いました。
私は甘いなと。私なんて苦労したうちにも入らないと。
頑張らなくっちゃと、負けていられないと、
そう思って去年まで仕事をやってきたつもりです。
でも、客先での仕事の調整が今年に入ってうまくいかず、
半年もの間仕事はほとんど無く、周りの外部社員(派遣の人とか)が
次々と辞めていきました。
そして、去り際に、「ここの職場で得るものはもう何もない」
と。

転職をすべきなのか、それとも残ってちゃんとした仕事をもらえるように
訴えるべきなのか、何ヶ月も悩みました。
私が取った道は、残ること。
ちゃんと自分の意見をぶつけないで辞めるというのは、卑怯だと思ったのです。
でも、結果は何も変わりませんでした。
そして、その頃から病状は悪化していき、会社へ行けなくなったのです。

他の派遣さんや、相性が合わなくてやめたメンタルクリニックの医師は
「そんなの遊べてお金がもらえてラッキーじゃない」
「あなたまじめすぎるんだよ」
と言いました。
でも私にはそんな度胸なんて無かったのです。

7月から休職に入り、一時は症状も落ち着きましたが、
病院が変わって不安定になったり、
友人との関係(先日参加した結婚式の花嫁)で友人関係に絶望し、
とにかくこの1週間は最悪です。

神様も仏様も信じられず、
私には親友がいないなと、悲しくなり
それでも自死できないのは、夫を悲しませたくない、
ただそれだけなのです。

いつか必ずよくなる
と、うつ病について書いてあるものには、必ず書いてあります。
でも、その「いつか」が本当に来るのか、
何日後、何ヵ月後、何年後にくるのかが分からない不安。
そして自分は何の役にも立てない人間だと、
むしろ水を消費してCO2を出すだけのダメな存在だなと思ってしまうのです。

長い文章を書いてしまいましたが、これは遺書などと言うものではないので
心配しないでください。
残念ながら、私に処方されている薬は何百錠飲んでも死ねませんし
家のベランダの下は芝生なので、落ちたところで怪我する程度でしょう。
リストカットが世の中流行っていますが、あれは絶対死ねないですし。


ただ、今私が思っていることを知ってほしくて書いただけです。
いつか、このメールを読み返して、笑える日が来ることがあればいいなぁと
思っています。
クリニックにて。
15分しか割り当たってないのに、先生も切らずにいろいろ話してくれて40分くらいになってしまった。

待合室へ戻るとだれもいない。
よかった~と安堵するまもなく、受付の人がどこかへ電話。
「診察できますよ~」

待ちきれず、どこかへお出かけしていたみたい。
ごめんなさい。
次の人は私が会計を済ませる前に戻ってこなかったので、顔を合わさずに帰ってこれてラッキーだった。

今日のネタとしては自分の両親について。
どんな人だと思うかと聞かれた。
素直に話して少しすっきりした。