僕は、自殺を止める行為は必ずしも善ではなく、むしろ悪に近いのではないかと思うことがある。
多くの人は「自殺はよくないことだから止めるべきだ」と考える。けれど、その言葉を口にする人たちは、本当にその人の苦しみや気持ちを理解しているのだろうか。
何も知らないまま、「生きなさい」「死んではいけない」と言うだけでは、根本的な解決にはならないように感じる。ただ世間一般の価値観に従って、「みんながそう言うから」という理由で止めている人も少なくないのではないか。
人生は後悔の連続だと思う。誰もが失敗し、選択に迷い、ときには「あのとき違う道を選んでいれば」と考える。だからこそ、本人の意思よりも周囲の「正しさ」を優先して無理に止めることが、本当にその人のためになるのか、僕は疑問に思う。
そもそも、自殺を考えるほど追い詰められるまで、その人を放置してきた社会や周囲の大人たちには責任がなかったのだろうか。苦しみに気づかず、逃げ道を用意せず、助けを求める声を受け止めなかったことのほうが問題なのではないか。
僕は、「自殺を止める=善」という単純な考え方には賛同できない。止めることそのものよりも、その人がそこまで追い込まれる前に何ができたのかを考えるべきだと思う。
自殺をしようとしている人を前にして、必死に引き止めることだけが優しさなのだろうか。もしかすると、見て見ぬふりをすることも、その人の意思を尊重するという意味では、一つの優しさでもいいのではないかと思う。
もちろん、この問いに簡単な答えはない。誰かの命を前にしたとき、何が正しくて何が間違っているのかを断言することは難しい。
だからこそ僕は、「止める人は善、止めない人は悪」という単純な二択ではなく、なぜその人が死を選ぶほど追い詰められたのか、その背景に目を向けるべきだと思う。