今の環境に感謝するのは難しいと思う。


なぜなら、それが自分にとって「当たり前」だからだ。


例えば、日本では蛇口をひねれば綺麗な水が出る。安全な場所で眠ることができ、毎日食事をすることもできる。しかし、それらは生まれた時から身近にあるものだから、特別なことだとは感じにくい。


一方で、世界には汚れた水を飲まなければならない地域や、十分な食事を得られない人たちもいる。そう考えると、自分たちの環境は決して当たり前ではない。


だからこそ、「当たり前」に感謝しようと言われるのだと思う。


ただ、この考え方には少し複雑な部分もある。


言い換えれば、「自分より厳しい環境にいる人がいるから感謝しなければならない」という考えにも聞こえるからだ。もちろん、それが間違いだとは思わない。しかし、それだけではどこか納得しきれない自分もいる。


なぜ感謝するのが難しいのか。


それは、自分がその環境を実際に経験していないからではないだろうか。


人は言葉で知ることはできても、本当に理解するのは難しい。特に、生まれた時から与えられていた環境についてはなおさらだ。


水がない生活をしたことがない人にとって、水のありがたさを実感するのは簡単ではない。安全な国で育った人にとって、平和の価値を日常的に感じることも難しい。


だからこそ、感謝は自然に湧いてくるものではなく、意識して気付くものなのかもしれない。


普段見過ごしているものに目を向ける。


今日も目覚められたこと。

ご飯を食べられたこと。

安心して眠れる場所があること。


それらは当たり前のようでいて、本当は決して当たり前ではない。


だから僕は、もっと毎日生きていることそのものに感謝しなければならないと思った。


当たり前に慣れてしまうのは人間として自然なことだ。


それでも時々立ち止まり、自分が今持っているものに目を向けてみる。その積み重ねが、本当の意味での感謝につながるのではないだろうか。