僕は、相手の気持ちを本質的に理解するためには、ある程度の「経験」が必要ではないかと思っている。
例えば、食べ終わった後、油がついた皿を重ねて置かれたり、食べ終わった茶碗を水につけずにそのまま置かれたりすることがある。
皿を洗う側からすると、正直なところ少し困ってしまう。
油汚れが広がるとスポンジにニオイが残りやすいし、茶碗についた米粒は乾いて固くなり、なかなか取れなくなる。ほんの少しの気遣いで防げることなのに、やる側にとっては手間が増えてしまう。
もちろん、「こうしてくれると助かるよ」と言葉で伝えることはできる。
でも、それだけではなかなか変わらないことも多い。
なぜなら、人の行動は習慣になっているからだと思う。
自分では悪気なくやっていることでも、その行動によって誰かがどんな苦労をしているのかを知らなければ、本当の意味で相手の気持ちを理解するのは難しい。
実際に皿洗いをしてみて、「こういうことだったのか」と初めて気づくこともある。
経験することで、大変さを実感し、本質的な理解につながっていくのだと思う。
では、経験できないことはどうだろう。
例えば、男性の気持ちを女性が理解すること。逆に、女性の気持ちを男性が理解すること。
性別による感じ方や、生きてきた中での経験は完全には同じにならない。だから、「本質的に理解する」ことはできないのかもしれない。
でも、だからといって「どうせ経験できないから理解なんて無理だ」と諦めてしまうのは違うと思う。
経験できなくても、相手の話を聞くことはできる。
何度も言葉にして伝えることもできる。
最初はピンとこなくても、伝え続けることで少しずつ相手の見えている景色を想像できるようになるかもしれない。
だからこそ、自分の気持ちを相手に伝えることは大切なのではないだろうか。
どうせ伝わらないと諦めるのではなく、伝える努力をすること。
完璧に分かり合うことはできなくても、その積み重ねによって、人は少しずつお互いを理解していけるのだと思う。
経験できることは、自ら経験することで相手への理解を深められる。けれど、経験できないことは「どうせ分からない」と言う理由で諦める必要はない。伝える努力と、理解しようとする姿勢があれば、人は相手の気持ちを理解できるのではないかと僕は思う。