銀座まるかんの創業者であり、2005年まで発表されていた高額納税者番付の常連でもあった斎藤一人さん。
著作も多く出されていて、2冊くらいは自分も斎藤一人さんの本を持ってる。
本に書かれてることは素晴らしくて、一流の人らしい心の広さを感じられた。
でもネットでは斎藤一人界隈が宗教じみていて気持ち悪いだのなんだのの悪評も結構見かける。
自分は斎藤一人さんに会ったこともないし銀座まるかんの商品を使ったこともない。
斎藤一人さんに悪い印象は全くないけどなぜこのように言われてるのかを考えてみた。
原因となっているのはおそらく愛弟子と呼ばれる斎藤一人のファンたちと思われる。
しっかりと調べてはいないけどまるかんの商品を買った人だけが参加できる愛弟子勉強会とかいうものがあるらしい。
そこでは斎藤一人さんが講演のようなことをしたりするのだろう、きっと。
愛弟子さんたちは斎藤一人さんの教えにならい、「ありがとう」や色々ポジティブな言葉を習慣化しているとのこと。
これ自体は良いことだと思う。
斎藤一人さんを中心にポジティブな精神の人々の輪が広がることはどう考えてもいいこと。
これを宗教じみていると気味悪がるのは、愛弟子さんたちが言うように日頃愚痴を言うことでストレス発散しているような人たちの嫉妬ということも一部はあるのだろう。
ただ、それにしても自分個人としても気味が悪いようにも感じた。
おそらくそれは、愛弟子さんの過剰な斎藤一人さん愛と、言葉に重点を置き過ぎてること、という二つの理由によるのかなと。
①過剰な斎藤一人さん愛について。
誰かを尊敬することは素晴らしいことだけど、何事も行き過ぎると弊害がある。
過剰な愛は無条件にその人の言うことを信じてしまったり、逆に意見が異なる人を拒絶したり場合によっては排除したりしようとする。
そのようなケースを多くの人は実際にオウム真理教などカルトによる事件等の形で知っている。
そこでこれを重ね合わせてカルトじみた気味の悪さを感じてしまう。
尊敬はしても崇拝するのは個人的には間違いかなと思う。
すでに死んでいたり実在していない神様のような存在と違い、現在生きている人を崇拝するのは変化の可能性という部分でリスクがあると思うから。
②言葉に重点を置き過ぎてることについて。
ポジティブな言葉を心掛けるのは素晴らしいこと。
日本には昔から言霊信仰もあるし、実際に言葉には力があると自分も思ってる。
でも言葉だけで開運できるなら苦労しない。
言葉を変えることは心掛けにつながる。
そうすると精神的に落ち込みにくくポジティブになる。
ポジティブになれば行動にも変化があらわれる。
行動を起こせば幸運を掴むチャンスが巡りやすくなる。
つまりは言葉をきっかけに性格、習慣、行動を変えていくべき、ということ。
だから重要なのは自身を二流から一流へ押し上げようとするためのすべての振る舞いであり、言葉に重点を置きすぎると思考停止しているようで滑稽でもあり、また宗教じみた気味の悪さを感じてしまう。
だいたいこんなところが斎藤一人界隈が気味悪がられる原因ではないかと思うけど、内情は全然知らないし愛弟子さんから見たら反論もあるのかもしれない。
ただ、斎藤一人さんに対してポジティブな印象を持つ第三者である自分から見てこんな印象、ということなので、内情を知る人の反論はあんまり意味がないとも思ってる。
いずれにしても常にネガティブな言葉を口から吐いて人生を呪ってるような人に比べればはるかにマシだし、過剰な崇拝を控えつつ自分を高めるために頑張ればそれはすごくいいことだと思います。