【アレンジの】 カバー考・後編 【重要性】 | Void & Null ~ Empty Blog

前々回に公開した記事の続きを書こうと思います。
その時にはLinda Ronstadtを取り上げましたが、この人のストーリーを語る上でどうしても外せないのが、彼女のバックバンドというポジションからキャリアをスタートさせたEaglesというユニットの存在です。

 

 

彼らがセカンドアルバムとして発表した「Desperado」は、後年名盤としてすっかり有名になりましたが、発売当初は殆ど売れなかったそうです。
しかしこのアルバムのタイトルチューンを、当時キャリアのピークにあったLinda Ronstadtがカバーした事で注目を浴び、それをきっかけとしてその後彼らはスターダムを駆け上がって行きました。
その他にも彼らは彼女にいろいろ良くして貰ったらしく、後年公開されたドキュメンタリー映像の中でも故Glenn FreyやDon Henleyが「いンや、彼女に対してだけは頭が上がらねェんだ(^_^;)」的な発言を異口同音にしています。
そうした仲間の面倒見という部分に於いても、立派な功績があった人だったと言えるのでしょうね。

さて、ではここからはLinda Ronstadtを離れ、Eaglesを中心に書き進めます。
↑に書いたパターンと同じ理屈で言えば、Eaglesを語る上でどうしても外せないのがそう、「Hotel California」ですね。
これが発表された時代は当然私もリアルタイムで知っているのですが、とにかくあまりにも無茶苦茶にあちこちで散々流され続けた事が災いしてか、もうすっかりアレルギーになってしまい、未だにこの曲に対しあからさまに拒絶反応を示す人まで出るという、現在のミュージックシーンではとても考えられない奇怪な現象が起きるほどの脅威的なヒットを記録した、まさしく伝説的な名曲・名盤です。

一方、この時代はポップス・オーケストラというユニットも台頭し、イージーリスニングというジャンルを確立してブームを巻き起こしていた時期でもありました。
彼らはある程度オリジナルも演りますけれど、どちらかと言えば活動の中心はやはり他人が作った作品のカバーだったように思います。
そのような活動形態でしたから、自分達の傍でまるで怪物のような記録を更新し続けているHotel Californiaを、放って置く筈がありません。
当然こぞって一斉にカバーする訳です。
私はそれらをある程度一通り聴きましたが、結局どれ一つちっとも良いとは思いませんでした。
つまり彼らイージーリスニング界のポップスオーケストラがこの曲で演ったカバーは、悉く失敗だったのではないかと私は思うのです。

試しにこの曲の歌メロの部分だけを抜き出して聴いてみると判ると思うのですが、始まって暫くは抑揚があまり無いパターンが続きます。
そしてサビの部分は当然ハイライトになる訳ですが、抑揚の少ない前半部分をインストで、そこから本当に盛り上がる後半部分をポップスオーケストラがイージーリスニング特有のスタイルで「ロック特有のカッコ良さ」の要素を薄め、甘ったるく処理してしまえば曲全体が退屈でごくつまらない形に仕上がってしまうのは当然でしょう。
彼らがやった失敗はまさにそれであり、というかそもそもこの曲自体イージーリスニングというスタイルとは相性が合わないものを持っていたと思うのです。
では元々歌メロだけで聴けばそんなに面白くも無かった曲が、何故あれほど爆発的に売れたかと言えば、それはやはりEaglesのメンバー自身による究極かつ唯一無二の「これしかない」というアレンジが施されていたから。
つまりあの曲の大きな成功はまさしく「アレンジの勝利」なのだろうと私は思います。

思うに、カバーにだってアレンジは必ず伴います。
これが全く無い場合をコピーと呼ぶのでしょう。
そしてオリジナルの時以上に、誰かの作品をカバーする際はこのアレンジという作業が重要になって来るのだと考えます。
ここからの部分はあくまでプロ限定の話と解釈して読んで頂きたいのですが、誰かの作品をカバーしようと考える場合に施されるアレンジは、オリジネイターとはまったく違う独自の切り口からその作品を解釈した上で分解しさらに再構築し、そしてオリジネイターさえも気付かなかった作品の全く別な魅力を提示し、それを世に問うという事が出来ていなければいけません。
加えてカバーを演るという行為に「後出しジャンケン」の側面が不可避的に付いて回る以上、純粋に音楽の「質」という面に於いて、必ずオリジナルより優れたものになっていなければならないという事もあります。
だってそれはそうでしょう、どれだけやっても負ける後出しジャンケンなどバカげていますし、意味がありません。
違う言い方をすると、オリジナルには無かった全く別な魅力を提案してやろう、そしてその事によってオリジナルを音楽の「質」的な部分で超えてやろう、それを世に問い認められたいという意思と確信が持てないカバーは、演る価値そのものが無いという事になるのだろうと思います。

実際のミュージックシーンに於いても、そうしたわざわざカバーした意味が感じられない失敗作が沢山ある一方で、そもそもオリジナルが別に存在していた事さえ多くの人が知らなかったというくらい、世の中の認知度という面で比較にならない名盤カバーという成功例も、枚挙に暇がありません。
一例を挙げましょう。

 

 

典型的なセルフカバーになるのですが、Hotel Californiaより少し前に発表された名曲・名盤にBob Marley & The Wailersの「No Woman, Nuh Cry」というのがあります。
しかしこの曲で多くの人が知っているのはライヴテイクです。

今とは違いよほど特殊な事情でも無い限り、スタジオテイクで発表されてもいない曲がいきなりライヴで演られる事が有り得なかった時代だった事を考えれば、必ずスタジオテイク・ヴァージョンがある事は簡単に想像が付くと思うのですが、それでも知っている・聴いた事があるという人はきっと殆どいないでしょう。
私はまだPCすらもまだ充分に普及しきれていなかった時期に、このスタジオテイクを必死に探し回って見付け出し聴いたという経験があるのですが、このスタジオテイク(つまりオリジナル)はライヴと全然違い、ちょっとコミカルにも感じました。
そこへ彼らは全く別なアプローチで魔法をかけた訳ですが、その事によってあれほど感動的な名作に化けたんですね。
これなどは原曲に磨きをかける形で、より大きな魅力を引き出した事で成功に繋げられた好例と言えるでしょう。

さて、この「オリジナルとカバー」問題、ずっと以前から私周辺の友人のみならず実にいろんな人がいろんな立場から、さまざまなご意見を述べられて来ました。
そうした中で私も、コメントのような形で何かしら言及しようと思えば出来る機会もあったのですが、これまでは自分の意見を表明するに相応しい適切な言葉を持ち合わせていませんでした。
しかし今回この程度ではありますが、これまで何かやり残して来たような気がしてしようが無かった事柄に言及した事で、一応の決着のようなものが付けられたような、そんな気がします。

冒頭でEaglesがLinda Ronstadtのバックバンドからキャリアをスタートさせた、というのは有名な話だと書きました。
しかし私自身もそれについてはあくまでも「話」として知っていただけで、実際にそのスタイルで行われているライヴアクトは、映像でも目にした事がありませんでした。
ちょうど良いきっかけだと思いましたから、今回Youtubeで探しました。
実際にLindaがEaglesのメンバーをバックに従え歌うライヴ動画を見つけたので、最後にそれをご紹介しておきたいと思います。

このカバーでオリジナルを超えようとする意志が感じられる要素を挙げるとすれば、それはやはりLindaの他を圧倒するような歌唱力そのもの、という事になるのかも知れないですね。