皇祖天照皇大神 という「女神さま」であることは、記紀(※古事記・日本書紀) にも記されているとおりであり、

男系固執 が詭弁を用いてそれを否定しようが、皇統 に 男系・女系 もへったくれもありません。


それでも、内親王・女王 の配偶者は、戦前のように 親王・王 でなければならず「それが 女性皇族 『尊厳』を守ることだ!」とする主張があり、それが「旧宮家」を推す理由に繋がるのだそうですが、、、

私の知る限り「旧宮家」の 戦前・戦後の「振る舞い」をみる限り、むしろ不安になってきます。


 
伏見宮博恭王
実戦経験が豊富で、日露戦争も最前線で勇猛果敢に戦い抜いた帝国海軍の「プリンス」も、晩年は有害無益な「老害」に。

伏見宮貞愛親王第1王子(※庶長子。母は河野千代子)

海軍軍人 として、皇族 の地位に甘んじることなく艦隊勤務で実績を上げ、日露戦争 では 戦艦「三笠」の 第三分隊長 として部下を指揮し、自身も砲撃により負傷しています。

しかし、日露戦争前後から海軍の発言力が高まるなかで、
昭和7年に 海軍軍令部長 に就任し、海軍軍令部 (※昭和8年以降は「軍令部」とし、その長も「軍令部総長」となる) の権限を大幅に拡大し、海軍省 の人事権も掌握してしまいました。

伏見軍令部総長宮 は、それまでの 軍令部長海軍元帥 とは異なり「艦隊派」の重鎮として国策にも積極的に介入し、
ロンドン海軍軍縮条約 を受け入れる海軍省の「条約派」を冷遇し、それが 昭和11年 の同条約からの脱退に繋がり、日本と欧米諸国との緊張を高め、大東亜戦争の遠因をつくる形となりました。

昭和天皇 は、昭和16年4月に 伏見宮 を 軍令部総長 から 解任 しましたが、
同年12月8日の開戦を避けることができず、現役を退いた 伏見宮 も、海軍内で隠然たる影響力を残し、海軍大臣・軍令部総長 の選任には、海軍が 伏見宮 にお伺いを立てるのが「暗黙の了解」となっていました。

昭和21年8月に薨去。

子の博義王が昭和13年に薨去していたことから、孫の 博明王(※伏見博明) が 14歳で「伏見宮」を継承しましたが、翌22年10月に皇籍離脱。





久邇宮朝融王
大正天皇の勅許を覆しての婚約破棄。知子女王との結婚後も侍女に私生児を産ませ、戦後も世間を騒がせつづけた「不良」宮さま。

久邇宮邦彦王 の 第1王子 で、香淳皇后(※良子女王) の兄。

良子女王 の 母方の 島津家 に色盲の遺伝があるとする軍医学校教官の所見と、
朝融王 が学習院の身体検査で色弱が疑われたことから、枢密院議長の山縣有朋良子女王の婚約辞退を 久邇宮 に迫った宮中某大事件」が大正10年にありましたが、
翌11年に 朝融王 大正天皇勅許 を受けて婚約が内定していた 伯爵 酒井忠興 の次女・菊子 との婚約を一方的に破棄しました。

酒井菊子 には何ら落ち度はなく、久邇宮家側の主張が一方的であったことから大問題となりました。

これは、一般の結納にあたる「納采の儀」が行われる前であったものの、天皇陛下の勅許が下った婚約を破棄する前例はなく、周囲が必死に説得したものの、最終的には酒井伯爵家が「辞退」する形で婚約が解消されました。

この件で 父・邦彦王は摂政宮(※昭和天皇) から 訓戒処分 を受けています。

大正14年には、伏見宮博恭王の第3王女・知子女王を妃に迎えますが、
翌年には侍女を妊娠させて「私生児」を産ませています。

これは、側室が公認されていた当時でも大変な不祥事であり、久邇宮家 は、また世間を騒がせることとなりました。

終戦後も、昭和22年5月 時事新報 による「皇后陛下単独会見」の捏造記事に関与し、
後に、香淳皇后 自らが報道陣に対して記事内容を否定しなければならない事態にまで発展してしまいました。

昭和22年10月には皇籍離脱、海軍軍人であったことから昭和27年まで公職追放。
最終的には宮邸も売却し、妹の大谷智子(※智子女王)の長男・大谷光紹(※浄土真宗東本願寺派第25世法主) の留学中に大谷家聖護院別邸に住もうと試みたものの、真宗大谷派門徒の反対に遇い断念。

昭和34年12月に亡くなりました。


 



 先日、明治天皇の玄孫に当たる竹田恒昭被告が、大麻所持の疑いで現行犯逮捕されていたとのニュースが報道された。この竹田という苗字でピンとくる人も多いと思うが、竹田恒昭被告は日本オリンピック委員会(JOC)竹田恆和会長の甥で、ネトウヨのアイドル・竹田恒泰の従兄弟にあたる。

 旧皇族・竹田宮家をルーツにもつ男が、まさかの大麻取締法違反容疑で逮捕され世間に衝撃が流れた。


 しかし、旧皇族・旧宮家の人間にスキャンダルが流れるのは決して珍しいことではない。むしろ、考えようによっては、今回のような個人的な犯罪よりもっと悪質な、“旧宮家の権威”を悪用するような事件を頻繁に起こしている。

 竹田恒昭被告の従兄弟、竹田恒泰氏もそのひとり。ネトウヨ発言の数々や、華原朋美と元AKB48畑山亜梨紗との間で二股をかけていた醜聞でもおなじみの彼だが、過去にはのっぴきならないスキャンダルを二つも起こしている。

 一つ目は、マルチ商法への関与。「FLASH」(光文社)2002年7月30日号によれば、彼はインターネットマルチ商法・スカイビズ2000に関わっていた。スカイビズ2000は、加入金110ドルを払えば自由に使えるホームページのスペースと、簡単にサイトが作れるソフトの利用権が得られるというサービスだが、新会員を勧誘すると、その数に応じて多額のボーナスを得られるとも喧伝しており、“ねずみ講”と指摘されていた。

 竹田恒泰は旧皇族の出自を出すことで信用を得て、新規会員を次々と勧誘していった。そのためのミーティングを東京のみならず全国各地で行なっていた事実も報道されていた。

 ちなみに、スカイビズ2000を展開していたスカイビズ社は、01年に米国連邦取引委員会からねずみ講にあたるとして提訴され実質破綻している。

 二つ目はもっと事件性の高いもの。彼の祖母・松見イクが経営していた精神病院・松見病院の多額借金をめぐるトラブルである。松見病院の経営陣のひとりでもあった竹田恒泰氏は、この件をめぐる借金の保証人となっており、東京地裁で1200万円および13年6月24日から年5分の利息の支払い命令を受けた。その経緯について、「週刊文春」14年10月16日(文藝春秋)で、原告の男がこのように語っている。

「知人から金を貸してくれという話があったのは去年2月のことでした。聞けば、“病院の売却話が進んでいる。ついては、つなぎ資金が必要で、融通してもらえないか”という話でした。それが1200万円だったのです。大金なので躊躇していると、今度は竹田さんを“保証人”につけると言う。本人にも会いましたが、なにせ明治天皇の玄孫というから信用するでしょう。大丈夫だろうと考えて知人に1200万円を貸すことにしたんですよ」

 歴史を紐解いていけば、こうした“旧皇族”“旧宮家”としての名を使った詐欺まがいの行為が、枚挙に暇がないほど大量に存在するのだ。


 その前に、“旧皇族”“旧宮家”とは何かを、簡潔に解説しておこう。

“旧皇族”“旧宮家”とは、戦後GHQにより特権を享受している宮家の縮小を求められ皇籍離脱した11宮家のこと。これにより1947年、秩父宮、高松宮、三笠宮のみを宮家に残し、山階宮、賀陽宮、久邇宮、梨本宮、朝香宮、東久邇宮、竹田宮、北白川宮、伏見宮、閑院宮、東伏見宮の11宮家51人が一般人となっている。

 彼らは皇籍離脱し、自分の食い扶持を自分で稼がなければならなくなったわけだが、多くの旧宮家はこれまで同様の華美な生活を維持するために、大量の資産を元手に商売を始める。その過程で怪しげな人物に騙される人が後を絶たなかった。

 牧場経営や菊の紋章を入れた“久邇香水”の製造販売、ダンスホール経営などに手を出し失敗した久邇宮家。そして、禅宗の僧を名乗る人物にカモにされ食料品店、喫茶店、骨董屋を開きすべて潰した東久邇宮家。東久邇稔彦にいたっては、最終的に、“ひがしくに教”なる新興宗教の教祖に祭り上げられるも、元皇族が宗教を興すのには問題があるとして宗教法人として認められず解散する騒動まで起こしている。

 そんな戦後と皇籍離脱のゴタゴタのなか起きたのが、東伏見宮家の150万円詐欺事件だ。「真相」(人民社)1949年8月号には、観光事業に手を出すも放漫経営により資産を食い潰し、明治時代にジョージ5世の戴冠式で使用した王冠を売りに出すことになった経緯や、不渡手形を濫発し告訴された事実が記されている。

 こうして凋落していった家の多い旧宮家だが、高度経済成長期には皇族としての名を商売道具に使う者も登場する。その例が、賀陽宮家の賀陽邦寿である。「産経新聞」76年12月20日夕刊には、以下のような記事が載っている。

〈「名誉売る“民間勲位”」「ああ、ありがたやと五千人」
 賀陽邦寿が会長を務める「日本経営功労顕彰委員会」という団体が、二万八千円から六万八千円を支払った中小企業経営者に「功五等位」から「功一等位」まで与えていた。厳密に言えば詐欺事件ではないが、総理府賞勲局がこれを問題視し、調査に乗り出した〉

 また、賀陽邦寿はこの後、彼が会長を務める「時事新聞社社会事業団」という団体が全国の中小企業の社長や商店主に菊の紋章入り「経営褒華賞受賞資格推薦書」というものを送っていたことも公になっている。こちらも、受賞するためには一律5万円が必要であったという。

 このように、旧宮家の人物がトップにいる団体が“賞”を送り、その代わり金銭が必要になるという商売を行なったのは賀陽邦寿だけではない。
 
 日本文化振興会なる団体の名誉総裁であった、梨本宮の梨本徳彦も同じようなビジネスに手を染めていた。こちらも、表彰にあたって、対象者から多額の礼金を募るシステムは同じ。「週刊新潮」(新潮社)85年8月15日・22日合併号では、受賞にあたり50万円ものお礼金を出すよう仕向けられたとの証言が臨済宗妙心寺派興禅寺の住職からなされている。


 この詐欺まがいの商法は長く続けられているようで、「週刊新潮」2012年3月15日号に掲載されている、作曲家・青島広志による連載コラム「ブルー・アイランド氏のクラシック漂流記」にはこんな記述が出てくる。ちなみに、01年から、この団体の名誉総裁は、伏見宮家の伏見博明になっている。

〈日本文化振興会というところから連絡があって、あなたに賞を差し上げることになりましたと言われたら、喜ぶべきなのだろうか。(中略)箔押しの封筒が届いた。授賞式の知らせかと思って開けると、これが驚いたことに寄付金の要請なのである。曰く「民間の国際文化交流団体であり、会員や受賞された各先生方のご協賛を頂き運営」しているのだそうで(中略)しかも念の入ったことに「平均的な協賛金は50万円となっておりますが、ご事情もあるかと思いますので、一括でなくとも可能でございます」と書かれており、封筒の中を見ると、何と大手有名銀行銀座中央支店の口座を記した用紙までが入っていた〉

 また、話は梨本徳彦に戻るが、彼は日本文化振興会の名誉総裁を退いた後も詐欺まがいの報道にたびたび登場する。

「FRIDAY」(講談社)04年3月5日号では、元本保証と高配当を約束して焼却炉販売事業への出資を募り約1000人から10数億円を集めたものの、配当未払いを理由に詐欺や出資法違反容疑で警視庁に告訴されたNPO法人・やまびこ会の名誉総裁に梨本宮家・梨本徳彦の名前があったと報じられた。このNPO法人をめぐる一件では、法人の代表理事ら4名が詐欺容疑で逮捕されるという事態にまで発展している。

 また、その2年後、「週刊新潮」06年2月23日号では、伊勢神宮の灯籠を建て替えるとウソの話を出し寄付を募っている団体の名誉総裁に、またしても梨本徳彦の名前があったとの報道がなされた。

 03年、すでに断絶している有栖川宮家を騙る、自称・有栖川識仁が結婚式の祝儀を騙し取った事件を覚えている読者も多いと思う。この事件は、皇室の権威を利用して金品を騙し取るべく、何の関係もない人間が皇族を騙った事件だが、すべての旧宮家がそうだとは言わないまでも、ここまでご紹介してきて分かる通り、実際の旧宮家もやっていることはさほど変わらない。“皇室の権威”を利用して悪辣な商売をしている点では同様である。


 本稿前半でご紹介した作家の竹田恒泰は、皇室典範をどのように変えていくかの議論のなかで、女系天皇を認めるのではなく、皇籍から離脱した旧宮家を復活させたらどうかと主張している。彼自身、竹田宮家の名を掲げているなかでの発言だが、それに関して、小林よしのりは「SAPIO」(小学館)10年3月31日号掲載「ゴーマニズム宣言スペシャル 天皇論 追撃篇 旧宮家復活なんてありえるか?」のなかでこのように批判を加えている。

〈現在、「旧皇族」はもういない。旧皇族で「俗界」に降りた人々を「俗界一世」とすれば、今生きているその子孫は「俗界二世・三世」だ。それを今になって、これら旧宮家の末裔を再び皇族になどという妄想を本気で信じているのが現在の男系絶対主義者だ。そもそも、旧皇室典範で伏見宮系皇族は邦家親王の4世子孫を最後に消滅することになっていた! その4世子孫とは、現在60~70代の当主にあたる。「男系絶対主義者」たちが期待をかける竹田恒泰らの世代は5世である。要するに彼らの言う「GHQの陰謀」がなくても、旧皇室典範の下でも彼らの世代は皇族ではなく、臣籍降下させられる身分だったのだ! さらに竹田恒泰についていえば、彼の父・恒和氏は竹田家の三男なので、父の代で臣籍降下していたはずである。仮に時代がどう違っていても、彼が皇族だった可能性は全くないのだ!〉

「正論」(産経新聞出版社)06年2月号で、「DIME」(小学館)デスクの今井康裕は「民間の経験をされた旧皇族の方が皇室に入ることこそ、新しい風ではないかな」というコメントを寄せているが、こういった意見が「男系絶対主義者」たちの主張だ。

 しかし、小林よしのりの語るような旧皇室典範と照らし合わせても彼らに皇族を名乗る資格がないという問題に加え、彼らの主張の拠り所である「民間の経験」というのも、本当に価値のあるものなのかは疑問だ。皇室の権威を悪用する術を一般社会で学んできたような人が宮家に戻ることが、本当に皇室を良い方向に導く策なのだろうか? 紹介してきたようなスキャンダルを見る限り、正直、それが正しいとは全く思えないのである。
(井川健二)


もう、そっとしておいてあげましょうよ……。

そもそも、日本国憲法 第14条【法の下の平等】の観点からも、旧宮家の「復帰」は違憲の疑義は避けられませんし、
戦後、苦労して今の生活を確立した人を無理矢理引っ張ってきて、
皇族にもなれず 元の生活にも戻れない状況に追いやる非人道的行為に荷担したくありません!!