昭和22年に皇籍を離脱された11宮家(※旧皇族) の子孫(※旧宮家) のなかに、男系で続いている家系があることに関する話題は、平成の中頃までは意味のあるものだったと思います。
小泉内閣が、皇室典範改正に向けて有識者会議を招集し、そのなかで「男女の別なく直系長子を優先する方針」がうち出されましたが、旧宮家に関しては早いうちから退けられていました。
私自身、男系・女系から離れても、皇族減少への対策として昭和22年の措置を無効化することについてもっと議論されるべきだと思っていましたし、
女系天皇に否定的な「私的見解」を表明された 寛仁親王(※ヒゲの殿下) の発言を、当時の有識者会議が、全く参考にすることなく結論を急いでいる印象が強く、
産経新聞や、同社の発行する論壇誌『正論』の影響から 男系維持に傾きつつあった私は、当時の有識者会議のやり方に失望していました。
見解に対する反響
- 寬仁親王が見解を発表する以前、小泉純一郎内閣総理大臣の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」座長の吉川弘之東京大学名誉教授は、皇位継承資格者議論について「皇族から意見を聞くことは憲法違反だ」と指摘していた。また、「憲法の解釈権は有識者会議にある」とも唱えた。
- 同年11月7日、有識者会議の会合を終えた吉川弘之は、「寬仁親王の見解は会議へ影響せず、女系天皇容認の姿勢は変更しない」とした。同日、小泉首相も、女系天皇を容認する有識者会議の方針を支持する考えを示した。
- 同年11月14日、静岡県知事石川嘉延は定例記者会見で、寬仁親王の見解に対し、「同様な考えを持っており共感した」と発言した。さらに皇位継承資格者議論に対し、拙速な議論に疑問を呈し「伝統的な国のあり方にかかわるものを、わずか数か月で結論を出して、ある方向に持っていこうとするのはとんでもない話。余りにも拙速。有識者会議には皇室問題について長年研究してきた人が何人入っているかというとお寒い限り」と主張した。
- 朝日新聞は社説のなかで否定的見解を示しており、2006年(平成18年)2月2日付けの社説で『寛仁さま 発言はもう控えられては』と題し、「政治的発言であり、象徴天皇制という日本国憲法で定められている大原則から逸脱している」と主張した。
ヒゲの殿下は、戦後生まれの皇族のなかでも自衛隊に対する最大の理解者であったことから、
私の父(※元自衛官) は、ヒゲの殿下を特別に敬愛しており、幼い頃から、庶民的で親しみやすい殿下のお人柄についてよく聞かされたものでした。
東日本大震災で、平成の天皇陛下(※上皇陛下)から、自衛隊の活躍について触れられた『お言葉』を賜るまでは、
実際、昭和の自衛官は、今とは比べ物にならないくらい日陰に追いやられていました。
そんな ヒゲの殿下 の御意向に対し、
歯牙にもかけない 吉川弘之ら有識者会議メンバーには、憎しみすら抱いておりました。
皇室との親戚関係についても、歴代天皇の皇女を妃としてお迎えしたことによる『女系』で維持されてきた皇統 だったのです。
それでも、男系維持を推進する政治家や学者が主張する「復帰論」についても「安倍さんなら、上手くやってくれるだろう」程度に考えて、積極的に否定してきませんでしたが、
選挙で『日本の伝統』を前面に出して当選した政治家や、
出版物を発行し、論壇誌に寄稿して『旧皇族・旧宮家』を散々食い物にしてきた連中 が、
具体的な『復帰』までのプロセスを示そうとしないまま、時間ばかりが経過していくのを、いよいよ座視していられなくなりました。
小泉政権時代の『皇室典範に関する有識者会議』が、旧皇族の復帰を否定していたのにはちゃんとした理由があったのです!!
それでも、未婚の皇族が女性のみの宮家への『養子』案 を実行する場合、
最初から皇統に属していない 一般人男性 も、宮家への養子候補の対象となることになり、
『本末転倒』
そもそも、姑息な『アリバイ工作』のために一般人男性を 対象範囲 に入れたら、収拾がつかなくなるのは目に見えています。
『明治天皇・大室寅之祐すり替え』陰謀説 の発信源で、自分の所有する土地に『古代遺跡』を建設していた頭のおかしい人。
「後南朝の末裔」を自称する者とその支持者 がぞろぞろと出てきたり、
天皇・皇族の『御落胤』を自称する詐欺師が、再び 事件を起こす可能性だってあります。
法律に違反したわけでなくても、旧宮家男子が、一般人として 今まで生計を立ててきた手段や、私生活に対して「皇族に相応しくない」と判断された場合、
本人の意思に関係なく連れてこられて、それ以前の生活に戻れなくなったとしたらこれ程残酷な話はありません。
自己責任論で済ませられるような話ではないのです。
そうなった時の責任を取る気がないなら、皇室や旧宮家の為にもやるべきではありません!!
今更、蘊蓄(※うんちく)を自慢した所で何の解決にも繋がらないなら、最初からやるべきではないのです。