宗教団体が『特権』を振りかざして政治に影響を与えた結果、国が滅びた事がありました。

フランス革命は、1783年にアイスランドのラキ山の噴火による農作物の不作や、外国との戦争による財政難を理由に、
時の国王ルイ16世が、聖職者や貴族からも税金を取ろうとして失敗したことが原因でした。



ルイ16世は決して暴君などではなく、どちらかと言えばお人好しであり、国王として平民の陳情に答えようと努力していましたが、
免税特権に固執する聖職者や貴族を押さえることができず、三部会(※身分制議会)における第三身分(※平民代表)の議席を増やしたものの、フランス国の土地の多くを所有する教会や貴族の力を削ぐことはできず、にっちもさっちもいかなくなったルイ16世は三部会を閉会させてしまいました。

ルイ16世が非難されるべき所は、優柔不断で政治指導者としてのセンスに欠けていた所でしょう。

国王の命運が尽きたのは『ヴァレンヌ事件』であり、国王一家が国外逃亡を図るまでは、民衆の境遇に心を悩ませる優しい王様をフランス国民は敬愛していました。

フランス革命における悪人がいるとすれば、深刻な財政難を前にしながら税金を払いたがらなかった教会と貴族だったと言えるでしょう。



【日本史における政治と所謂『宗教』との関わり】

日本に於いては、織田信長による『比叡山焼き討ち』『石山合戦』の結果、政教分離が確立され、
豊臣秀吉や、後の江戸幕府も、新興勢力であるキリシタンを徹底的に取り締まり、政治が所謂『宗教』をコントロール下に置いていました。

明治維新以降は、神道を国教にする試み(※大教宣布運動)がなされましたが不振に終わり、
神道を『国家の祭祀』と位置付け、神社は宗教とは異なる公的な位置付けとする所謂『国家神道』という形式を取り、政教分離が政府の方針となりました。

昭和14年に制定された『宗教団体法』に於いても、教派神道や寺院、教会などは宗教団体として法人格を獲ましたが、神社は蚊帳の外でありました。

所謂『国家神道』と呼ばれる状況は、旧内務省をはじめとする公権力の積極的介入と他の宗教団体との『妥協の結果』によるものであり、必ずしも神社にとって良い結果をもたらしたわけではありませんでしたが、
神社が国民宗教的な位置付けになっていたことは、政治に『カルト』が介入し、それらが政治権力を行使することを防ぐ役割を果たしていたのは確かでした。



【神道指令の亡霊と戦後民主主義】
昭和20年12月に『国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件(SCAPIN-448)』が、連合国軍最高司令部からなされました(※所謂『神道指令』)。

神道が事実上の国教として特権を享受し、軍国主義を押し進めることに繋がったとする考えのもとに、戦勝国側の『偏見』に基づいて神社の公的性格が徹底的に排除されました。


神道司令そのものは占領政策の一環であり、その法的根拠は既に失われていますが、
皇室の儀式が神道式であることや、靖国神社や護国神社に対するネガティブキャンペーンを行う左翼や宗教団体は、神道指令の考え方に基づいています。

こと、神社以外の宗教団体に於いても、教勢拡大を目的として先の戦争に自発的かつ積極的に加担していたことに変わりはない筈ですが、
それでも、国家や神社のみに全責任を負わせ、手前は臆面もなく被害者ぶる不届き者は少なくありません。



そして、戦後民主主義と神道指令の亡霊によって産み出された『空白』は、カルトが国家権力に付け入る隙を与え、
宗教団体が政党を結成したり、選挙を通じて宗教団体が政治的影響力を行使することに繋がりました。

これは、非常に好ましくない状況であります。



【カルトに主導権を握らせるな】

第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

ですが、実際には連立政権には公明党(※創価学会)が存在し、
旧統一教会(※家庭連合)やその関連団体に自民党をはじめとする与野党の政治家が物心両面で支援を受けているのが現状です。

戦後民主主義おける政治と宗教との関係は、言ってしまえば『僧兵』が横車を押していた平安時代の状況に逆戻りしてしまっているわけであります。