前回の記事について、宮内庁長官の人事に関して いくつか誤りがありましたので訂正します。 


宮内庁長官は、他の省庁の事務次官若しくはそれに相当する官職 (※警視総監) の経験者が、宮内庁次長に就任したのちに長官に就任する慣例となっておりますが、

宮内省が戦後『宮内府』となり、宮内庁法が施行された際の長官には民間出身の田島道治(1885~1968)の例もあります。


ただ、田島氏が宮内府・宮内庁の長官にあった当時は、日本の国家主権がGHQによる制限下に置かれていたという特殊事情も考慮しなければなりませんが。



しかし、平成の天皇陛下(※現・上皇陛下) の所謂『生前退位』がNHKをはじめとするメディアを通じて国民に伝わった平成28年の夏以降、

宮内庁の人事異動が、時の内閣主導で強引に進められたことは誰の目から見ても明らかでありました。




当時の宮内庁長官である風岡典之氏が、同年9月26日に、突然『定年』退官(※通常、宮内庁長官は70歳の定年を迎えた春に退官する)が発表されたのに加え、

警察官僚出身者が次長に就任したのは22年ぶりでありました。



昭和63年に長官に就任した藤森昭一氏以降、


・藤森昭一 

 昭和元年(1926年) 12月26日生まれ

 宮内庁長官退官・・・平成8年(1996年)1月18日

 (※23日)


・鎌倉定  

 昭和5年(1930年) 4月27日生まれ

 宮内庁長官退官・・・平成13年(2001年)4月3日

 (※341日)


・湯浅利夫 

 昭和10年(1935年) 10月3日生まれ

 宮内庁長官退官・・・平成17年(2005年)4月1日

 (※誕生日を待たず依願退官)


・羽毛田信吾

 昭和17年(1942年) 4月5日生まれ

 宮内庁長官退官・・・平成24年(2012年)6月1日

 (※58日)


・風岡典之

 昭和21年(1946年) 9月15日生まれ

 宮内庁長官退官・・・平成28年(2016年)9月26日

 (※11日)


 



皇太子殿下(※今上天皇)による、所謂『人格否定発言』がなされた頃に長官だった湯浅氏を除けば、

風岡氏までの宮内庁長官は、70歳の誕生日を迎えて以降も、しばらくは宮内庁長官の地位を退くことはありませんでした。


また、湯浅氏の『辞職』も 4月1日付けであり、

風岡氏も少なくとも1ヶ月~半年は長官のポストにあり続けられた筈です。




加えて、平成28年8月の『天皇陛下お気持ち表明』に際して、文仁親王殿下(※秋篠宮さま)とNHKとの調整役をしていた西ヶ廣 渉 宮務主管も更迭されています。


天皇陛下(※上皇陛下)の所謂『生前退位』のご意志がメディアが先に報じたことに対して、安倍総理が宮内庁に対して怒ること自体、筋違いであり、

既に平成22年頃には、上皇陛下から『譲位』の意志が周囲に語られていたことは後の報道でも明らかにされています。


東日本大震災の影響とか、民主党政権からの申し送りがなかったとしても、その後も『内奏』を通じて直接陛下からお話を賜る機会もあった筈ですし、それを黙殺していたのは『怠慢』と言わざるをえません。



それまでにも、羽毛田長官の要請を受けて、野田内閣の頃に検討が進められていた『女性宮家』についても安倍総理は握り潰していますし、
風岡氏の退官に伴い、長官になった山本信一郎氏の後任の次長に、内閣危機管理監の西村泰彦氏を据えたことについても、
皇室のご意志が、自身(※安倍総理)の政治信条にそぐわないものだった場合には「天皇が相手だろうが、関係なく潰してやる!」といった喧嘩腰と受けとれるものでありました。





何度でも言いますが、これらは安倍総理による宮内庁に対する『報復人事』であり、
小飼を宮内庁に送り込み、自らの政治信条のためには皇室のご意向さえも握り潰そうとする『大人げなさ』を如実に現しています!!

これは、存命中の安倍総理に対し、なかなか良い評価を下せなかった最大の理由であり、
神政連や日本会議など、宗教右派と積極的に関係を築いて『愛国者』としてのイメージを振りかざしてはいたものの、
『畏れ』を知らない、実質『無神論者』である安倍晋三は、権力にしか興味がないように思えて仕方がなかったのです。


安倍晋三氏が、選挙応援中に凶弾に斃れた事により、
同氏に対する批判が許されない空気が支配していますが、これだけはハッキリさせておきたいと思います。

私自身、元総理が暗殺されたことを寂しく感じていることは嘘ではありませんが、
皇室・宮内庁という『聖域』に、
アベ流『喧嘩殺法』を持ち込んだのは外道というほかありません。




しかし、必ずしも安倍晋三の思惑通りには事は進んでいなかったようで、
譲位の日程調整では政府筋の発表を宮内庁が即座に否定する様子を振り返ってみると、、、

西村長官も、政府権力の傀儡に成り下がることなく、
過酷な状況のなかであっても、皇室を思って職務を遂行していたことを認めなければならないと反省しています。