僕がロサンゼルスを走りたい理由(わけ) | ラクダのオーナーのブログ

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モンゴル国際草原マラソン100キロの部で優勝してラクダのオーナーになりました。
次はハーフマラソンの部で優勝して馬のオーナーを目指します!

今シーズンの勝負レースを2015年3月のロサンゼルスマラソンにしようと思ってます。

ボーナスを全部注ぎ込んででも、走りたいと思ってます。

その理由はドジャースタジアムがスタートだからです。

1年半前に読んだドジャースタジアムと野茂英雄のある記事に興奮と感動を覚えました。ここ数年で一番の名文です。

多くの人にも読んでもらいたいので、長文になりますが、引用します。

(平成25年4月4日発行 スポーツグラフィック ナンバー 824.825  文 芝山幹郎 )




『知らぬが仏、とは褒め言葉なのか。それともやはり、間抜けな人間を嘲笑う言葉なのか。私は時々分からなくなる。
1995年、野茂英雄がドジャースタジアムのマウンドに立ち始めた頃、私は、野球の世界とステロイドという単語を一度も結びつけたことがなかった。
なりよりも、私は、野茂の立ち姿に見とれていた。ナイトゲームが始まる頃、あの球場は夢のように美しくなる。左中間後方のサンガブリエル山地が薄紫色に染まり、フィールド全体が霞のかかったような光に包まれるのだ。
野茂英雄は、そんな空気の中で直立していた。マウンドで気おつけの姿勢をとったあと、身体をしなやかに旋回させて打者に第1球を投げ込むのだ。私は、あの瞬間がたまらなく好きだった。
そんな野茂に牙を剥いた打者の一部は、薬物で肉体を改造していた。ボンズもソーサもカミニティも、だ。全てはあとになってわかったことだが、そんなのありかよ。「打たれても気持ちがいい」とほほえんだ野茂の心根にすまないと思わないのか。
いや、私の怒りは空回りかもしれない。一部は汚れていても、全てがそうだったわけではないからだ。野茂だったらこういうだろうか。いいですよ、もう。あいつら、薬がなくても打ちますから。
そう考えて、私は時々堂々巡りをはじめてしまう。客観的に見て、95年から2003年にかけての大リーグはステロイド汚染時代だった。そんな時期、野茂は徒手空拳で強敵に立ち向かって行った。あっぱれな姿ではないか。野茂の値打ちはいまにもっと上がると思う。』




ロサンゼルスマラソンの前日、球場内に入れるようなので、マウンドに立ちトルネードしてきます。




今日の走行距離  10キロ
今月の走行距離 136キロ