昨日の夜は、実家に兄が一時帰ってきた。今、兄は九州に住んどって、多分これからもそっちで暮らすんだろぉ。兄は医療関係従事者なのだけれど、その研修がこっちの東海であるとのことで帰ってきたんさ。


あたしはついこないだ、実家に帰省・・・とゆうか、完全に帰宅した身。それまであたしは、東海にはおったものの、転々としとって、実家には寄りつかんかった。


そいで、昨日は家族4人が12年振りに実家に揃ったそぉな。

母がそぉゆった。


12年振り・・・。

そんなに・・・?? へーぇ・・・。


兄は明日にはまた九州へと帰るだけど、何だかさ、家族それぞれが自分の意思で動いて、それでバラバラになったのに近い感じになって、またも集まるとちょっと変な感じはあるんよな。ちと緊張するとゆうか、気を遣うとゆうかね。


何故、バラバラにならんといかん家族だったんだろね。

親はそこんとこ、何か思うだろか・・・いや、思わんであろぉ。


風、薫る。
何をしたら親孝行になる?

って聞いたら、何と答えが返ってくるだろう。


「生きていてくれたら。」

「幸せになってくれたら。」


生きているって何?

幸せになるって何?


「夢を叶えてくれたら。」


夢が破壊であっても?


結局は、あたしがどうなろうと、何になろうと、

親の邪魔になるならダメで、親の一部になれば孝行できるんだよ。


あたしは分身だから。

ただの。

未だもって、“恋”がよく分かっとらんあたしだけれど、実は男の人と付き合ったことはある。何年も。そして同棲まで至った。


支配下に置かれていることにすら、気付かんかった。大学のカウンセで、初めて『デートDV』とゆう言葉を知った。

始めは、言葉の暴力だった。あたしを蔑む様な言葉たち。「バカ」「だからお前はダメなんだ!」など、人格否定のオンパレード。

そして、身体への暴力もあった。髪の毛を掴まれたり、そのまま押されて投げ飛ばされたり、蹴りを入れられたこともあった。ケガする程じゃない。その人も言っていた「手加減してやってるんだぞ!」と。それが、脅し文句だと、あたしも分からんかったし、その人も気付いとらん・・・?

更にまた、性の強要。あたしはしたくなくて断っても、相手は機嫌を損ねて、怖い顔をした。その空気・・・断ったらダメな空気・・・。


この3つ。基本的なデートDVは主に、「精神的暴力」「身体的暴力」「性的暴力」で構成される事が多いそぉだが、まさにそれだった。

友達にも何回も相談した。「別れた方がいいのか?」と。きっと頭のどこかで自分も分かっとったんだろぉ、別れたが良いって。それでも、別れるのに何年もかかってしまった。“支配”とは怖いものである。


あたしが体験したのは、“恋”ではなく、ただの“支配”だった。

切り抜ける方法は、体験したあたしでさえ未だよく分からん。決断力は多いに必要だし、精神的距離と同時に、身体的距離がかなり必要だと思う。ケータイやネットで簡単に繋がってしまう時代・・・多分それ、長引かせる原因になると思うよ。

今日も親に言われた。

「ミュルなら違う。」

そんな言葉。


あたしは何が人と違ってしまうのだろう?


特にさ・・・

“恋”だとか何かな・・・。


あたしには所謂、思春期が来ていない。反抗期すら分からない。異性の友達ならおった。幾人か。遊ぶことだってあっただよ。でも、周りが「恋」だの、「彼氏」だの、ふーんと聞いとった。いや、別にちゃんとは聞いてはおっただけど、ほんと他人事だった。


自殺で死んじゃった知り合いに、最期に相談されたのが恋の話だった。あたしは「恋愛経験はほぼない」と話した上で、それでもちゃんと考えて、想像して答えた。「待つのも恋の内なんじゃないかな?」って。そしたら、「ミュルちゃんに話して良かった!」と、少しスッキリした感じに言われた。

でも、その数ヶ月後には自分で死んでしまった。確か、年齢は23歳だったかと思う。年齢がどぉのではないのかもしれんと思う一方、やっぱその子は若かったかと思う。どんな世界をその子は生きていたんだろ。

正直、あたしはあたしが答えた「待つ」とゆうことが、その子の負担になったんじゃないかなって思う節はある。でも、何も出来ない。


親がゆってた、「あんたには全然“男”の話が浮上しなくて変だと思った」と。

何故だ。

ただ、周りの男の子の中にはあたしに「付き合ってください」と告白ってやつをしてきてくれる子もおった。断った。あたしにとっては、どう考えても“友達”。その子は、その後も普通に接した。接することができた。

でも、ほとんどは“その気”を感じたら、もうその男の人とは基本喋らん。それまで普通だったとしても、避ける。「こいつもか・・・」とめっちゃ残念な気持ちになってしまう。そんな感覚・感性。


まぁ、今日親がゆった言葉は、芸術がどぉのって話だったんだけどね。

芸術?あたしだって、よく分からんさ。「ミュルなら分からなくない」みたいに言わんでよ。分からん事は分からんですよ。


風、薫る。

出てきた、ぽつんとライターだけ。

ただのありふれたライターの種類かもしれんけれど、でも、あたしにはこのライターがジッを見つめてしまう程の求心力を持つライターなんだな。


「大切な人は近くにいる」だなんてそんな言葉があるけれど、あたしの近くにはおらんかった。遠くにおった。でも遠くにおったけど、確実にいつも傍におってくれた。辛くなると、夜中に決まって電話をかけた。いつも助けられた。


そんな人の傍にいられた一日があった。

その後、1週間で少し近付けたその人にもぉ電話かけられんよぉになった。


一日の終わり、「今度ライター持ってく。」と言ってバイバイしたんだ。そのライター。持ってけないよ、これじゃ。だって、その人遠いんだもん。遠くにおるんだもん。遠いよ。ほんとに遠い。


でも何? ライターを捨てられんのは、また逢うとか思えちゃっとんのかな。どんなお花畑なおつむなんだよ、自分。


あー、でも気付いて欲しいんだ、その人には。

その人の声が聞きたいけれど、聞こえてこんよ、その人だけ。要らん声は聞いてしまう。もぉ耳は塞ぎたいって思っちゃう。でもさ、塞げないさ。


また書いちゃうかもしれん。

何かふとした時にね。ライターはしまっておくよ。

体だけ帰ってきとった身だけども、昨日は荷物をアパートから今の家まで持って来ましたよぃ。

生活しとると荷物って増えるもので、2㌧乗る車に結構いっぱいになってしまった。アパート行った時は、乗用車の“ノート”一台で済んだのにねん。


そいでもって、今日は体中が筋肉痛・・・とゆうよりかは、めちゃくちゃ重いでっす。昨日寝る時にも、疲れ過ぎて、頭痛がして、でも頭痛薬取りに行くのも諦めたくらいダル疲れ。まだ、完全に部屋は片付いてないもんで、今日も、また進める予定。


にしても、荷物も持って帰ってきたわけで・・・。

ここで生活するわけで・・・あたしは一体いつまで生きるのだろぉか??


風、薫る。
どうして人は利用し合うんだろう。


「寂しいから」

「寂しい人間になりたくないから」


そうやって人は人を求めるんだろう。

風、薫る。

知らない事が悲しくて、

知っても悲しいのなら、

真実なんてもの放り投げて良いでしょうか。

実はこのブログ、『風、薫る。』はあたしの新しいアカウントでのアメブロです。

ひっそりアメブロに戻ってきて、新しく作ってまった。


何故、ひっそりでなのか・・・?


簡単だ。

見つかりたくないもんだで。いや、どこかで見つけてと思っとる人も中にはおるだけど。。。

ただ、本当に見つけて欲しくない人がいる。こちらに圧力をかけてくるのでは?と思ってしまう人がおるってゆうのもあるし、逆にあたしが傷付けた人を更に傷付ける人もいるであろうとゆうのもあるもんだでねぇ。


何を書くかはまだよく決めとらん。発信したって、受け止めてもらえないどころか、気付くことすらされん。それは辛いで、気まぐれに綴るんだと思う。


特に何か毎日コロコロと話題があるわけじゃぁない。刺激は避けとる。刺激に弱いことは嫌とゆう程、自分でも分かる。周りが分かる位に弱い。弱々。


まぁただ、色々とぶっちゃけたブログになるかもしれんっちゅうことである。

改めまして、よろしくね、誰か見てくれるかもしれんが、主に自分さん。


風、薫る。
あたしを愛するは…


汚い人間か
汚れた自然か


壊れた自分なのか。


そして

その中であたしが愛するは…


存在しているか。